板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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幸せに生きる経済学

幸せに生きるための必要最低限度の「ちょっと視点の違う考え方」

(ITAKURA’s EYE 「お金のなる木」 を、
 幸せに生きる経済学 第3回 「お金のなる木」 と、タイトルとカテゴリを変更しました。)

前回の幸せに生きる経済学 第3回 「お金のなる木」の続きです・・・

 

「手っ取り早く儲けたい!」

まあ、誰しもお金があるに越したことは無いですから、そう思いますよね。
けれど、そういった儲け話は、儲ける可能性(←アップサイドリスク)がある一方で、損する可能性(←ダウンサイドリスク)も当然あるわけですから、願ったところで儲けが現実になるとは限りません。

いわゆるデイトレードやオプション取引などは、正に高リスクということになるわけです。
「ごく稀に」、特殊な能力を持った方が、トンでもないキャピタルゲインを得続けるケースがあるようですが、それはあくまで「稀」であり、ついでに言わせてもらえれば、たまたま「運が良かった」ということですから、お金儲けの手段としては、一般に推奨されるべきではないと思います。

お金を稼ぐために、資産を運用するために、こう考えたらどうでしょう・・・

「現在の確かなキャッシュを差し出し、安定的なキャッシュフローを手に入れる」

 

たとえば・・・

割と安定的に、年に1000万円のキャッシュフローを生み出す「お金のなる木」があったとします。
この木の権利が、仮に1億で売られていたとすれば、利回りは税引き前で、10%。
長期金利が1.5%〜2%の間で推移すると仮定すれば、決して悪い利回りではありません。
で、今権利を手に入れたとします。

権利の価格は、それが上場されていないものでも、明確な価格が提示されないだけで、日々上下します。

アップサイドリスク・・・

もし、この木の権利が、購入後1年で3億に上昇したとしましょう。
3億でこの木の権利を取得した人の利回りは、わずか3.3%。
「こんな利回りで良く買うよなぁ」と思うのであれば、さっさと売却すべきだと思います。
1年で、1億が3億になったわけですから、年間1000万円の配当分を除いたとしても、年率200%の「キャピタルゲイン」を得ることができるわけです。
ここで重要なことは、「そもそもキャピタルゲインを目的としていたのではなく、キャッシュフローの利回りに満足したから購入した」、という点です。

仮に、この木の権利の価格が、1億で変わらなかったとしても、毎年1000万円のキャッシュフローが得られるわけで、それを目的にしていたの「だが」、市場が勝手に非合理的な価格をつけたので、「オマケとしてのキャピタルゲイン」を得てしまったというわけです。

悪い話ではありません。

また、「そもそもキャッシュフローを目的に投資した」わけですから、仮に1億と100万円に、わずか1%上昇しただけで、「今売れば100万円儲かる」なんて間抜けな考えを起こすことも無いわけです。

 

ダウンサイドリスク・・・

もし、この木の権利が、購入後のある時、3000万円になったとしましょう。
キャピタルロス(評価損)は、7000万円!です。

かなりがっかり・・・でしょうか?

「〜していれば」とか、「〜だったら」、という視点で見れば、3000万円の時点で購入していれば、年率33%もの利回りを得ることができたわけですから、「購入タイミング」を見誤ったということにもなりますが、これは言ってもしょーがないことです。

もし、当初「キャピタルゲイン」を目的にしていたとしたら・・・

「ほっといたら評価損がドンドン膨らむかも!!!」

なんてパニックになって3000万円で売ってしまって、キャピタルロス(評価損)が実損になってしまいます。

けれど、冷静に考えれば、年1000万円のキャッシュフローに変化がないとすれば、何も市場価格に翻弄されてキャピタルロスを蒙る必要は無いと思いませんか?

むしろ買い増ししたってよいぐらいですよね。

 

 

まずは、キャッシュフローを手に入れる。

ウォーレンバフェットの投資術が正にこれです。
彼は、(バークシャーハサウェイ社を通じて)、「(投資家に帰属する)キャッシュフローが安定的に継続するであろう企業」を、「市場が間違って安い価格を提示したとき」に、「大量に」、投資してきたわけです。
仮に株価が大暴落したとしても、(それが実体経済に深く影響しない限り)、評価損は出るが、毎年のキャッシュフローがあるわけですから、「評価損なんて気にしないもん!」ってことになるわけですし、手元に過去のキャッシュフローの積み上げである潤沢なキャッシュがあるわけですから、上記の様に買い増しすることもできるわけです。

 

人は、どうしても、「手っ取り早く儲けたい」と思うあまり、高リスクの「キャピタルゲイン」に魅力を感じてしまう傾向があります。
けれど、毎日博打に勤しむことより、「まずは安定したキャッシュフロー」を得ることによって、精神的にも、経済的にも、安定していられる・・・こちらの方が「幸せに生きる」ためには重要ではないでしょうか。

 

安定したキャッシュフロー・・・

それは、「労働」でもいいわけですよね。
最初のキャッシュフローは、多くの人にとって労働でしょう。
労働で得られたキャッシュフローを生活費に充て、将来の成長のための勉学に充て、人生を楽しむための遊興に充て、その残り=個人としてのフリーキャッシュフローを蓄積することによって初めて、投資の原資を確保できるわけです。

投資原資を確保できたら、慌てて「キャピタルゲイン」を狙いに行くのではなく、「安定した労働以外のキャッシュフロー」を手に入れるべくチャンスを待つのが良いでしょう。

その投資が成功していれば、毎年投資によるキャッシュフローが得られます。
放っておけば、ドンドンキャッシュが増加します。
そのキャッシュを、これまた慌てて「キャピタルゲイン」を狙いに行くのではなく、「更なる投資によるキャッシュフロー」を手に入れるべくチャンスを待つ・・・これの繰り返しです。

これを基本としていれば、時として、上記の「アップサイドリスク」が顕在化し、思いも因らぬキャピタルゲインを手に入れるという「オマケ」が付いてくる場合もあるわけです。
キャピタルゲインは、その程度に考えるのが妥当だと思います。

 

人が儲けるための方法を大きく分ければ・・・

労働などの「価値創造」。
安く買って高く売るという「裁定取引」。
そして、「かっぱらい」(笑)ですが、その人の状態別の儲け方で言えば・・・

お金を持っているなら、お金で稼げばよい。
お金を持っていなければ、頭を使って稼げばよい。
頭を鍛えるのが億劫なら、体を使って稼げばよい。

 

どれがいいですかね。

 

2009年6月8日 板倉雄一郎

 

PS:
なんだか梅雨っぽい感じになってきましたね。
1年の中で最も嫌いな季節ですが、やってきてしまうのは仕方ないので、何とか楽しむようにしています。
意外と良いのが、屋根のあるオープンカフェなどで、シトシト雨を見ながらのBBQとか。
悪くないですよ。

てか、本日思いつきで、当事務所プレミアクラブ会員の皆さんに、「海と夜景を見ながらのオープンBBQ(屋根付き)」の募集をしてしまいましたぁ。

楽しみ(ニコニコ)  ケータイじゃないと絵文字がねぇ・・・

世界を見渡せば、お金持ちはたくさん居ます。
この日本でも、このご時勢でも、スーパーリッチはたくさん居ます。

一時に羽振りが良くなる人も居れば、10年、20年と、たとえ現在のような世界的不況の中であっても、「いやぁ〜やられちゃったよぉ」とか言いながらも、実はたんまり持っている人はたくさん居ます。

彼らのビジネスモデル上の共通点・・・一体なんでしょうか。

僕は、ウォーレン・バフェット氏の研究、そして実際にお会いしたことのある日本人著名投資家に対する分析などを通じて、「本物(=不景気でも凹まない)スーパーリッチ」の共通点について以下のような結論に達しています・・・

「彼らは、お金の生る木を持っている」

です。

 

たとえば、バフェット氏・・・

一般的には、企業を見る眼を持ち、割安時での大胆な投資が彼の成功の根源である、といった解釈がされ、彼の企業を見る眼を学ぼうという機運があります。

でも、ぶっちゃけ、実際のところ、彼は、若い頃にGEICOという「お金の生る木」を手に入れていることが、彼の成功の根源であることに疑いの余地はありません。

たとえば、僕が実際にお会いした、とある日本人著名投資家とされるお爺さんの場合も、彼がオーナーであるお菓子会社という、「お金の生る木」を持って居たりします。

その他、僕が接した「本物」の場合に共通するのは、「お金の生る木」・・・つまり、「安定したキャッシュフロー」を生み出す「何か」を持っていることです。

 

ここで強調したいのは・・・

「安定したキャッシュフロー(≒インカムゲイン)があってこそのキャピタルゲイン」

が、彼らが財を成した根本的条件であるということです。

 

安定したキャッシュフローがあれば、生活費や遊興費などを差し引いた「あまり」を、長期的な運用に回すことができます。
そして、運用が長期的であれば、とんでもなく馬鹿げたビジネスにでも投資しない限り、キャッシュフローが得られるわけです。

(ここでいうキャッシュフローとは、投資家自身の「手元」に直接配分される配当だけではなく、投資家に帰属するキャッシュフローすべてを指します)

キャッシュフローがそもそもの投資目的であれば、ポートフォリオの評価額(キャピタルゲイン/ロス)が短期的に上昇しようが下落しようが、さほど気にもせず保有し続けることができるわけですから、それなりのゲインを得ることができるわけです。

また、安定したキャッシュフローを持っていれば、必死に「博打(=高レバレッジのFXやデイトレードなど)」に勤しむ必要もなく、のんびり長期投資を行うだけで純資産は時間経過と共に増加します。
仮に、キャピタルロスを蒙ったとしても、しばらくじっとしているだけで、安定したキャッシュフローは、純資産の増加に繋がります。

 

スーパーリッチを分析する書籍などは、どういうわけか、以上のようなスーパーリッチがスーパーリッチに成り得た「根源的理由」より、スパーリッチが、スパーリッチに「成った後の」キャピタルゲインにばかり注目する傾向にあるように思います。

彼らが得てきたキャピタルゲインの背後には、彼らが持つ「安定したキャッシュフロー」があることに、どういうわけか、その手の分析本は注目しません。

 

彼らのやっていることは、極めて「当たり前」の行為だと思います。
安定したキャッシュフローを手に入れ、もてあましたキャッシュを、「博打で無い範囲で=大化けの可能性に賭けたりせず」長期投資に回す。
短期の評価額に影響されず、割と長期に保有する。

ただそれだけなのです。

まずは、安定したキャッシュフローありき。

この点、お金に興味のある人は、是非注目すべきだと思います。
彼らの輝かしいキャピタルゲインの背後にある、安定したキャッシュフロー。

それこそが、スーパーリッチといわなくても、余裕のある生活を継続する上で最も基本になる要素です。

 

以上のことに気がついていない人が・・・

「宝くじで一攫千金」だとか、
「短期トレードで〇〇さんのように、ガッツリ儲けるぞ!」とか、
「この取引で、〇億円だぜ!」のように、「一時の稼ぎ」に走る傾向があるわけです。

でも、「一時の大金」は、それが継続しない限り、あっという間になくなってしまうわけです。

10億あれば、100億欲しくなり、100億あれば、1,000億欲しくなる・・・

かくもキャピタルゲインとははかないものです。

 

目の前に継続性の無い1億円のキャッシュ(=今のキャッシュ)と、
年に1,000万円の継続性のあるキャッシュフロー(=今のキャッシュを差し出して手に入れる「お金の成る木」)。

どちらが欲しいですか?

その答えが、本物に成るか否かの分かれ目なのだと思います。

 

2009年5月29日 板倉雄一郎

 

PS:
「パトロン探し」の女性の方が、以上のようなキャッシュフローこそ大事、ということがよーくわかっているような気がしますね(笑)

「貧乏暇なし」と言われます。

この言葉の一般的な解釈は・・・

「貧乏だから休む間もなく働き続けるしかなく、結果として暇が無い」

ということだろうと思います。

果たしてその「因果」、本当なのでしょうか。

僕の解釈は・・・

「暇が無いから貧乏」

なのだと思います。

 

<人生の最も貴重な資源は時間である>

このご時勢でも、投資銀行で年収〇億の人間。
このご時勢だからこそ、低価格商品を提供し、ガンガン稼いでいる経営者や投資家。
このご時勢でも、まだまだお金を持っているスーパーリッチを顧客に持つ企業のオーナー。

一般的なサラリーマンの十倍も百倍も稼ぐ彼らも、一日24時間しか与えられていません。
そして、特別な病気でも無い限り、就業できる期間はせいぜい50年。
「今の能力の範囲で身を粉にして働くことが収入の手段である」との考えの下では、一般的なサラリーマンと彼らの収入の「膨大な差」を説明することができません。

(へなちょこ人間は、こういった事実を前に、「どうせインチキしてるんだよ」と自分を慰めてしまうからたちが悪いのですが)

彼らに接すれば誰でも感じられることですが、彼らには稼ぐ能力がある。
その能力を細かく分解すれば、たくさんの分類ができると思いますが、彼らに共通するのは、

「自分がどうありたいか」

を、はっきり具体的に持っていることだと、少なくとも僕は感じます。

どうありたいかにブレがなく、したがって、努力する点、学習する点、作業する内容を選択し集中できるわけです。
当然ながら、時間効率は極めて高くなるわけですよね。

<じゃあ、どうすればいいの!???>

こういう話をすると、暇の無い人は、「じゃあどうすればいいの!」と答えを他人に求めます。
暇が無いから自分の過去、自分の今、そして自分の将来について「考える暇もない」わけですね。

これがいけない。

暇な時間を作る。
すると、人間は「じゃあどうすればいいのかなぁ???」と自然と考えるようになります。
考え始めた頃は、些細なことばかりが頭に浮かびます・・・

とりあえずお金をつくらなきゃ。
もっと稼げる仕事をさがさなくちゃ。
もっとかっこよくなるために痩せなくちゃ。
・・・・

考えに考えを重ねていくうちに・・・

「で、僕は、一体、どうなりたいのだろう?」

という究極の思考にたどり着くわけです。

<本当の暇>

現代人は、先々の予定が無いことを恐れる傾向にあると思います。

今日の仕事の予定が無い。
今週末の遊びの予定が無い。
今の時期だったらお盆や夏休みの予定を「今組まなくっちゃ!」などなどと。

または、向上心のある方は・・・

「週末は遊ばずに仕事に役だつ本を読もう!」とか、
「〇〇資格を取得するためにセミナーに行こう!」とか、

「自由な時間を学習に充てる」といった、一見有意義な、これまた「予定」を作ろうとします(笑)

でもこれじゃ、ぜんぜん暇じゃない。

「どうなりたいのか」が無いところで、予定を組み込み、表面的に忙しくすることこそ、「時間の無駄遣い」ではないでしょうか。
そんなことしていたのでは、人生300年あったとしても足りません。
いつまでたっても、満足することができないわけで、ハッピーも味わえません。

本当の暇とは、「なぁ〜〜〜んにも予定が無い」、「予定が無くても全然へーき」、という精神状態こそが、本当の暇なのです。

僕の経験から言えば、1997年に自ら経営していた企業を倒産させ、収入も無く、仕事も無く、そして予定も無い状況に図らずしも追い込まれましたが、そのとき「作られた時間」は、自分の過去を思い出し、自分に足りないもの、間違っていたことを分析し、将来の自分が「どうなりたいか」をひたすら考える機会となりました。

僕の人生を振り返ると、このときの「思考経験」がその後の人生に、収入に極めて大きな影響を与えています。

僕はこのエッセイで、

「自由になる時間を作って、学習や体力づくりに充てなさい。
 そういった自己投資が将来の収益に結びつくのだ!」

などといった、教科書通りの主張をしたいのではありません。
むしろその真逆・・・

「なぁ〜〜〜んにもない時間」=「本当に大切なことが自然と考え浮かぶ時間」=「暇」

を、恐れずに作るべきだと主張したいわけです。

そんな時間は、「自分がどうなりたいのか」、について深く考えることができるはずです。

自分がどうありたいか・・・それがはっきりすれば、そのための努力など、苦痛どころか、楽しみに過ぎなくなるでしょう。

「勉強しなくっちゃ!」などと思いながら勉強しているようじゃぜんぜんダメ。
自己投資なんて、「成りたい自分」がはっきりしていれば、他人からとやかく言われる前に自然と体が動くものです。

「自分がどうありたいか」が漠然としている段階で、「自己投資」と称し、書籍を濫読したり、何の役に立つかもわからない資格を取ろうとしたりしても、そもそも「何のため」が無いところでは、雑学王になる程度の役にしか立たないわけです。

世の中、「秀でている人」を思い浮かべてみてください。
結構、「これは人よりできるが、ほかの事はそこそこしかできない」、って人、多いと思いませんか。

「成りたい自分」に向かって、時間とエネルギーを選択&集中しているからではないでしょうか。

時間とエネルギーを集中できるのは、「成りたい自分」を明確に持っているからできるのではないでしょうか。

成りたい自分を発見するために、「暇」、はとっても有効です。

 

2009年5月25日 板倉雄一郎

 

PS:
僕個人的に、成りたい自分とは、

「社会の様々な作られた価値観から開放されている自分を維持したい」

ということに、1998年の「暇な1年」を通じて気がつきました。

可能な限り、他人に依存しない。
Give and Take ではなく、Give and Given でいたい。
仮にGivenが無くても、平穏に生活できる経済状態、精神状態を維持したい。

そんな理想を維持するためには、結構努力しているわけです。
でも、その努力もまた、「成りたい自分」が明確であるがゆえに、楽しみの一つなのですけれど。

 

PS^2:
ただし、いわゆる「自分探しの一人旅」は、いただけないと思います。
つまるところ、「社会とのなんらかの関係」の中から、自分のことも含め、様々なことを発見するのが「人間」という生き物ですから。
この辺、間違えると、単なるヒッピーになっちまいますよ(笑)

 

PS^3:
で、僕の今週はというと、暇どころか夜の予定まで毎日埋まっています。
朝は、皆さんご存知の通りエッセイ執筆。
昼は、自宅でワンコと一緒に経済データや個別企業の決算情報の収集と分析。
で、「これは!!!」というチャンスがあれば、実際のポジションを取る。
そして、新しい本の原稿(というか、執筆前の頭の整理)。
夜は、今日も明日もお食事会(笑)
明後日はデート。
その次の日も、その次も日・・・

でもね、「成りたい自分」がはっきりしているから、その上での忙しい自分は、ぜんぜんありなんです。

ITAKURASTYLE 「所有幻想」 2007年8月1日付より引用・・・

隣の家の柿が、腐って自分の所有する庭に落ちれば、
きっとハッピーな気分ではないでしょう。
腐って落ちた柿は、
自ら所有する大切な不動産を綺麗に保つために、
嫌な思いをしながら片付けるか、
柿木を所有する隣人の管理責任を問い、
隣人に片付けてもらうしかありません。
自ら片付ける行為においても、隣人に管理責任を問う行為においても、
所有における責任を如実にあらわしているといえるでしょう。
所有することのメリットは何か?
と問うと、
「所有している対象を自由にできる事」
と答えが返ってくることが多いのですが、
では、不動産を所有し、ゴミ屋敷にする自由が得られるかといえば、
答えはもちろんNOです。
近隣が迷惑だと感じれば、ゴミ屋敷にする自由は所有者から奪われます。
自ら所有する自動車を路上に放置すれば、駐車違反の切符を切られます。
つまり、所有とは、所有する対象を「ある程度」自由にする権利を得ることができる一方で、所有する対象に対する「責任」を負う必要が生じるということです。
しかし人は、所有することを執拗に求めます。
車が欲しい、家が欲しい、企業が欲しい。
所有する前は、所有のメリット「=ある程度の自由が得られる」を過大にカウントし、一方の所有することの責任についての労力やコストを過小にカウントするからではないでしょうか。
株式投資は、これを如実にあらわしています。
上場企業なら、誰でも「株価さえ支払えば」簡単に(会社法で定めるところの)所有をすることができます。
しかし、
所有する企業が、何かヘマをやらかせば、
株主は「キャピタルロス」という責任を取らされます。
所有する企業が、好業績を発表したとしても、
必ず「キャピタルゲイン」が得られるとは限りません。
誰かさんのように、「企業は株主のものだ!」と叫んだところで、
企業の価値の源泉である「人」を自由にすることなどできるはずもありません。
所有について私達が理解しなければならないことは、
所有による責任は間違いなく生じるが、
所有によるメリットは、
当初期待していた通りであるかどうかは「分からない」ということです。
以上は、所有そのものを否定しているわけではありません。

===

ITAKURASTYLE 「本末転倒」 2008年3月26日付より引用・・・

僕は、自分が所有する自動車を割りと神経質にメンテナンスするほうです。
ボディーの傷、汚れは気になるし、
特に海や雪道に出かけたときは、塩分を洗い流すために直ちに洗車するし、
エンジンや駆動系の不具合に至らないように油脂類の交換はこまめに行うし、
ホイールアライメントが狂えば、コストをかけて調整するし、
ローテーション可能なタイヤ(←ユニディレクションでなく、前後のタイヤサイズが同じ)であれば、こまめにローテーションするし、
室内においても、快適にドライブできるように、こまめに掃除をします。
自動車に関し下手に知識があるものだから、いろんなことが気になり、気になれば直ぐに対応しないと気が済まない、そんな傾向があります。

けど、メンテナンスに神経質になっている自分に気がつくと、

「おい俺、ところでそのメンテナンスは、何のためにやってるんだ?」

と疑問に思うことがあります。

今、フェラーリなどの平べったい車を卒業した僕が主に乗っている車は、キャンプや釣り、そしてオフロード走行を楽しむための「道具」として購入したトヨタランドクルーザー100。
なのに、あまりにも神経質にメンテナンスしていると、オフロード走行における泥んこ遊びを躊躇するようになります。
それじゃ本末転倒ですよね(笑)

道具を道具として快適に利用するためのメンテナンスならばやってしかるべきですし、メンテナンスがろくにできない人はその対象を管理する能力に欠けると思います。
けれど、メンテナンスに神経質になりすぎると、何かの目的のために道具を道具として快適に使うことより、道具を綺麗に保つことそのものが目的化してしまうことがあります。

そんな時、僕はこう思います・・・

「俺って、本末転倒。」

以上は、自動車の扱いを比ゆとして使いましたが、自動車でなくても何でもそうです。

 いきなり過去のエッセイの引用から始まりましたが、これらのエッセイで表現したいこととは、

「所有する前とした後では、所有に対する価値がまるで違う」

ということです。

読者の皆さんも経験があると思いますが、「手に入れる前」は、それが輝くほどすばらしいモノに見えたが、実際に手に入れてみると、わかってはいたものの、

「所有に対する責任の重さ」

に気がつき、所有するために支払った価格が、

「如何に割高であるか」

を思い知らされることがほとんどではないでしょうか。

 

なぜ人は、所有を求めるのか?

この答えの一つは、上記にある「所有する前と後の価値の違い」にあると思います。

たとえば、おなかが空いて焼肉を食べようとするとき、脂っこい肉を欲しがりますが、実際に食べ終わると、「脂っこいねぇ〜おなかがもたれる」とか。

たとえば、(所有の比ゆとしては適切ではないと思いますが)、美しく綺麗な女性とのお付き合いは、それが実現するまでは、「なんとしてでも手に入れたい!」と思うことが判断力の欠如を促し、馬鹿馬鹿しいほどの支出を行うわけですが、実際に手に入ると、やたらとカネがかかるわ(笑)、浮気の心配はするわ(笑)、気持ちよくさせ「続けなければ」ならないわ、結構大変なわけですよね。

だから、所有のためのキャッシュアウトを、キャッシュフローの所有に充て、得られたキャッシュフローの範囲で、利用したいモノを「レンタル」すればよいことだと思います。
(まあ、女性をレンタルすることはできませんけれど)

ただし、「趣味」の場合は、話が違います。
「趣味が金儲け」という場合を除き、多くの趣味は継続的なキャッシュアウトを伴います。
この場合も、そのキャッシュアウトが、他のキャッシュフローの所有から生まれるキャッシュフローの範囲であれば、経済的な幸せを感じながら趣味を楽しむことができるのではないでしょうか。

2009年5月13日 板倉雄一郎

PS:
新連載のエッセイは、う〜〜〜ん、なんかイマイチ。
もしかして、既に過去のエッセイで書き綴ったことを再びリメイクして書こうとする僕に、意欲が無いのかもしれません・・・

もしかして、「エロさの経済価値」って感じの連載の方がいいかなぁ・・・

どうおもいますぅ?

PS^2:
佐々木希いいなぁ・・・って、おいおい。書いてることと思っていることが違うじゃん!

「幸せに生きる経済学」(仮)なる連載を始めます。

マクロ経済の分析やら、個別企業の業績やら、それらの一つの結果としての株価推移やら、そういったことも、確かに重要ですが、それらを求める本当の目的は、「経済的にハッピーになりたい」ということだろうと思います。

だったらもっと基本的なこと、すなわち、経済的な視点での「生き方」について僕なりの考え方を書き綴った方が価値があるかも???

そんな想いからこの連載を始めたいと思います。

難しい専門的な言葉、テクニカルな方法、たくさんのスージ、それらは取り扱いません。

あくまで、ハッピーに生きるための必要最低限度の「ちょっと視点の違う考え方」として、読者の皆様の参考になる部分があれば幸いと考えます。

以下、インデックスの「予定」をいくつか・・・

その1:「好景気にお金を作り、不景気にお金を使うべし」

その2:「貧乏暇なし、ではなく、暇が無いから貧乏」

その3:「英雄色を好む、ではなく、色を好むから英雄になりえる」

その4:「計画のトレース、より、理念の執行」

その5:「(過去に)なんのために投資したか、より、(今)何に使えるかを考えるべし」

その6:「皆がそっぽを向く対象に本当の価値があると認識すべし」

その7:「売れないときに無理して売るべからず。時を待つべし」

その8:「固定費を極力減らすべし。ただし遊ぶときは思う存分使うべし」

その9:「所有は幻想である。キャッシュフロー以外の所有を求めるべからず」

その他未定

 

これらのポイントをおよそ50項目書かせていただきたいと思います。

明日から不定期で開始します。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

2009年5月12日 板倉雄一郎