ITAKURASTYLE 「所有幻想」 2007年8月1日付より引用・・・
隣の家の柿が、腐って自分の所有する庭に落ちれば、 |
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ITAKURASTYLE 「本末転倒」 2008年3月26日付より引用・・・
僕は、自分が所有する自動車を割りと神経質にメンテナンスするほうです。 けど、メンテナンスに神経質になっている自分に気がつくと、 「おい俺、ところでそのメンテナンスは、何のためにやってるんだ?」 と疑問に思うことがあります。 今、フェラーリなどの平べったい車を卒業した僕が主に乗っている車は、キャンプや釣り、そしてオフロード走行を楽しむための「道具」として購入したトヨタランドクルーザー100。 道具を道具として快適に利用するためのメンテナンスならばやってしかるべきですし、メンテナンスがろくにできない人はその対象を管理する能力に欠けると思います。 そんな時、僕はこう思います・・・ 「俺って、本末転倒。」 以上は、自動車の扱いを比ゆとして使いましたが、自動車でなくても何でもそうです。 |
いきなり過去のエッセイの引用から始まりましたが、これらのエッセイで表現したいこととは、
「所有する前とした後では、所有に対する価値がまるで違う」
ということです。
読者の皆さんも経験があると思いますが、「手に入れる前」は、それが輝くほどすばらしいモノに見えたが、実際に手に入れてみると、わかってはいたものの、
「所有に対する責任の重さ」
に気がつき、所有するために支払った価格が、
「如何に割高であるか」
を思い知らされることがほとんどではないでしょうか。
なぜ人は、所有を求めるのか?
この答えの一つは、上記にある「所有する前と後の価値の違い」にあると思います。
たとえば、おなかが空いて焼肉を食べようとするとき、脂っこい肉を欲しがりますが、実際に食べ終わると、「脂っこいねぇ~おなかがもたれる」とか。
たとえば、(所有の比ゆとしては適切ではないと思いますが)、美しく綺麗な女性とのお付き合いは、それが実現するまでは、「なんとしてでも手に入れたい!」と思うことが判断力の欠如を促し、馬鹿馬鹿しいほどの支出を行うわけですが、実際に手に入ると、やたらとカネがかかるわ(笑)、浮気の心配はするわ(笑)、気持ちよくさせ「続けなければ」ならないわ、結構大変なわけですよね。
だから、所有のためのキャッシュアウトを、キャッシュフローの所有に充て、得られたキャッシュフローの範囲で、利用したいモノを「レンタル」すればよいことだと思います。
(まあ、女性をレンタルすることはできませんけれど)
ただし、「趣味」の場合は、話が違います。
「趣味が金儲け」という場合を除き、多くの趣味は継続的なキャッシュアウトを伴います。
この場合も、そのキャッシュアウトが、他のキャッシュフローの所有から生まれるキャッシュフローの範囲であれば、経済的な幸せを感じながら趣味を楽しむことができるのではないでしょうか。
2009年5月13日 板倉雄一郎
PS:
新連載のエッセイは、う~~~ん、なんかイマイチ。
もしかして、既に過去のエッセイで書き綴ったことを再びリメイクして書こうとする僕に、意欲が無いのかもしれません・・・
もしかして、「エロさの経済価値」って感じの連載の方がいいかなぁ・・・
どうおもいますぅ?
PS^2:
佐々木希いいなぁ・・・って、おいおい。書いてることと思っていることが違うじゃん!