板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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幸せに生きる経済学 第2回 「貧乏暇なし!?」

「貧乏暇なし」と言われます。

この言葉の一般的な解釈は・・・

「貧乏だから休む間もなく働き続けるしかなく、結果として暇が無い」

ということだろうと思います。

果たしてその「因果」、本当なのでしょうか。

僕の解釈は・・・

「暇が無いから貧乏」

なのだと思います。

 

<人生の最も貴重な資源は時間である>

このご時勢でも、投資銀行で年収〇億の人間。
このご時勢だからこそ、低価格商品を提供し、ガンガン稼いでいる経営者や投資家。
このご時勢でも、まだまだお金を持っているスーパーリッチを顧客に持つ企業のオーナー。

一般的なサラリーマンの十倍も百倍も稼ぐ彼らも、一日24時間しか与えられていません。
そして、特別な病気でも無い限り、就業できる期間はせいぜい50年。
「今の能力の範囲で身を粉にして働くことが収入の手段である」との考えの下では、一般的なサラリーマンと彼らの収入の「膨大な差」を説明することができません。

(へなちょこ人間は、こういった事実を前に、「どうせインチキしてるんだよ」と自分を慰めてしまうからたちが悪いのですが)

彼らに接すれば誰でも感じられることですが、彼らには稼ぐ能力がある。
その能力を細かく分解すれば、たくさんの分類ができると思いますが、彼らに共通するのは、

「自分がどうありたいか」

を、はっきり具体的に持っていることだと、少なくとも僕は感じます。

どうありたいかにブレがなく、したがって、努力する点、学習する点、作業する内容を選択し集中できるわけです。
当然ながら、時間効率は極めて高くなるわけですよね。

<じゃあ、どうすればいいの!???>

こういう話をすると、暇の無い人は、「じゃあどうすればいいの!」と答えを他人に求めます。
暇が無いから自分の過去、自分の今、そして自分の将来について「考える暇もない」わけですね。

これがいけない。

暇な時間を作る。
すると、人間は「じゃあどうすればいいのかなぁ???」と自然と考えるようになります。
考え始めた頃は、些細なことばかりが頭に浮かびます・・・

とりあえずお金をつくらなきゃ。
もっと稼げる仕事をさがさなくちゃ。
もっとかっこよくなるために痩せなくちゃ。
・・・・

考えに考えを重ねていくうちに・・・

「で、僕は、一体、どうなりたいのだろう?」

という究極の思考にたどり着くわけです。

<本当の暇>

現代人は、先々の予定が無いことを恐れる傾向にあると思います。

今日の仕事の予定が無い。
今週末の遊びの予定が無い。
今の時期だったらお盆や夏休みの予定を「今組まなくっちゃ!」などなどと。

または、向上心のある方は・・・

「週末は遊ばずに仕事に役だつ本を読もう!」とか、
「〇〇資格を取得するためにセミナーに行こう!」とか、

「自由な時間を学習に充てる」といった、一見有意義な、これまた「予定」を作ろうとします(笑)

でもこれじゃ、ぜんぜん暇じゃない。

「どうなりたいのか」が無いところで、予定を組み込み、表面的に忙しくすることこそ、「時間の無駄遣い」ではないでしょうか。
そんなことしていたのでは、人生300年あったとしても足りません。
いつまでたっても、満足することができないわけで、ハッピーも味わえません。

本当の暇とは、「なぁ~~~んにも予定が無い」、「予定が無くても全然へーき」、という精神状態こそが、本当の暇なのです。

僕の経験から言えば、1997年に自ら経営していた企業を倒産させ、収入も無く、仕事も無く、そして予定も無い状況に図らずしも追い込まれましたが、そのとき「作られた時間」は、自分の過去を思い出し、自分に足りないもの、間違っていたことを分析し、将来の自分が「どうなりたいか」をひたすら考える機会となりました。

僕の人生を振り返ると、このときの「思考経験」がその後の人生に、収入に極めて大きな影響を与えています。

僕はこのエッセイで、

「自由になる時間を作って、学習や体力づくりに充てなさい。
 そういった自己投資が将来の収益に結びつくのだ!」

などといった、教科書通りの主張をしたいのではありません。
むしろその真逆・・・

「なぁ~~~んにもない時間」=「本当に大切なことが自然と考え浮かぶ時間」=「暇」

を、恐れずに作るべきだと主張したいわけです。

そんな時間は、「自分がどうなりたいのか」、について深く考えることができるはずです。

自分がどうありたいか・・・それがはっきりすれば、そのための努力など、苦痛どころか、楽しみに過ぎなくなるでしょう。

「勉強しなくっちゃ!」などと思いながら勉強しているようじゃぜんぜんダメ。
自己投資なんて、「成りたい自分」がはっきりしていれば、他人からとやかく言われる前に自然と体が動くものです。

「自分がどうありたいか」が漠然としている段階で、「自己投資」と称し、書籍を濫読したり、何の役に立つかもわからない資格を取ろうとしたりしても、そもそも「何のため」が無いところでは、雑学王になる程度の役にしか立たないわけです。

世の中、「秀でている人」を思い浮かべてみてください。
結構、「これは人よりできるが、ほかの事はそこそこしかできない」、って人、多いと思いませんか。

「成りたい自分」に向かって、時間とエネルギーを選択&集中しているからではないでしょうか。

時間とエネルギーを集中できるのは、「成りたい自分」を明確に持っているからできるのではないでしょうか。

成りたい自分を発見するために、「暇」、はとっても有効です。

 

2009年5月25日 板倉雄一郎

 

PS:
僕個人的に、成りたい自分とは、

「社会の様々な作られた価値観から開放されている自分を維持したい」

ということに、1998年の「暇な1年」を通じて気がつきました。

可能な限り、他人に依存しない。
Give and Take ではなく、Give and Given でいたい。
仮にGivenが無くても、平穏に生活できる経済状態、精神状態を維持したい。

そんな理想を維持するためには、結構努力しているわけです。
でも、その努力もまた、「成りたい自分」が明確であるがゆえに、楽しみの一つなのですけれど。

 

PS^2:
ただし、いわゆる「自分探しの一人旅」は、いただけないと思います。
つまるところ、「社会とのなんらかの関係」の中から、自分のことも含め、様々なことを発見するのが「人間」という生き物ですから。
この辺、間違えると、単なるヒッピーになっちまいますよ(笑)

 

PS^3:
で、僕の今週はというと、暇どころか夜の予定まで毎日埋まっています。
朝は、皆さんご存知の通りエッセイ執筆。
昼は、自宅でワンコと一緒に経済データや個別企業の決算情報の収集と分析。
で、「これは!!!」というチャンスがあれば、実際のポジションを取る。
そして、新しい本の原稿(というか、執筆前の頭の整理)。
夜は、今日も明日もお食事会(笑)
明後日はデート。
その次の日も、その次も日・・・

でもね、「成りたい自分」がはっきりしているから、その上での忙しい自分は、ぜんぜんありなんです。