板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURASTYLE「週中の徒然(所有幻想など)」


<所有とは>
隣の家の柿が、腐って自分の所有する庭に落ちれば、
きっとハッピーな気分ではないでしょう。
腐って落ちた柿は、
自ら所有する大切な不動産を綺麗に保つために、
嫌な思いをしながら片付けるか、
柿木を所有する隣人の管理責任を問い、
隣人に片付けてもらうしかありません。
自ら片付ける行為においても、隣人に管理責任を問う行為においても、
所有における責任を如実にあらわしているといえるでしょう。
所有することのメリットは何か?
と問うと、
「所有している対象を自由にできる事」
と答えが返ってくることが多いのですが、
では、不動産を所有し、ゴミ屋敷にする自由が得られるかといえば、
答えはもちろんNOです。
近隣が迷惑だと感じれば、ゴミ屋敷にする自由は所有者から奪われます。
自ら所有する自動車を路上に放置すれば、駐車違反の切符を切られます。
つまり、所有とは、所有する対象を「ある程度」自由にする権利を得ることができる一方で、所有する対象に対する「責任」を負う必要が生じるということです。
しかし人は、所有することを執拗に求めます。
車が欲しい、家が欲しい、企業が欲しい。
所有する前は、所有のメリット「=ある程度の自由が得られる」を過大にカウントし、一方の所有することの責任についての労力やコストを過小にカウントするからではないでしょうか。
株式投資は、これを如実にあらわしています。
上場企業なら、誰でも「株価さえ支払えば」簡単に(会社法で定めるところの)所有をすることができます。
しかし、
所有する企業が、何かヘマをやらかせば、
株主は「キャピタルロス」という責任を取らされます。
所有する企業が、好業績を発表したとしても、
必ず「キャピタルゲイン」が得られるとは限りません。
誰かさんのように、「企業は株主のものだ!」と叫んだところで、
企業の価値の源泉である「人」を自由にすることなどできるはずもありません。
所有について私達が理解しなければならないことは、
所有による責任は間違いなく生じるが、
所有によるメリットは、
当初期待していた通りであるかどうかは「分からない」ということです。
以上は、所有そのものを否定しているわけではありません。

<意見が合わない・・・は本当?>
職場で上司と意見が合わない。
恋人と意見が合わない。
家族と意見が合わない。
経営者と株主の意見が合わない。
そういうこと、しょっちゅうですよね(笑)
しかし、本当に「意見が合わない」のでしょうか?
人が物事の判断するとき、「知識や情報そして経験」を頼りにします。
このとき、「経験」については、共有することはできませんが、
「知識」や「情報」は、共有することができるはずです。
意見が合わないとき、
「あの人とは価値観が違う。だから一緒に仕事をすることはできない」
と結論を出してしまう前に、
「情報や知識が共有できているのか」を疑ってみるべきではないでしょうか。
僕の経験では、多くの「意見が合わない」の原因は、意見が合わないのではなく、判断における「知識や情報の共有」がなされていない場合がほとんどだと思います。

<政治家としての能力>
政治家としての能力とは・・・
政策立案力?
政策実行力?
いやいや、政治家としての能力で最も重要なことは、
「集票力」ですよね。
当選できなければ何もできない。
だから、政治家としての必要最低限の能力とは「集票力」です。
もし、政治家が、国民は「真っ当である」と信じていたら、
「真っ当な政策を打ち出し、実現することを通じて、
  将来の票田を確保することができる。」
と考えるであろうけれど、
もし、政治家が、国民は「アホばっかり」だと思っていたら、
「国民がすぐに喜ぶ餌は何かを的確に見つければ、
  今の人気を確保することができる。」
と考えると思います。
ある政党は、「バラマキ系政策」によって人気を取ろうとし、
ある政党は、「政治家風芸能人」の起用によって人気を取ろうとします。
(今回の参院選は、「バラマキ系」の勝利だったようですが)
どちらの場合も、「有権者が真っ当だと信じている」とは思えません。
原因は、有権者の側にあるのか、政治家の側にあるのか。
企業の、「株主と経営者の関係」もこれに良く似ています。
株主の大部分が、株主価値の毀損を伴う株式分割を求めれば、
それが株主自身の価値の毀損になることを承知している経営者でも、
致し方なく、株式分割をすることになります。
(↑ 株式分割は、発行済み株式数の増大によって管理コストが増大し、企業価値、ひいては、株主価値を毀損しますし、そもそも既存株主にとって株式分割のメリットは、短期の株価変動を除き、何もありません。)
意見の相違というより、知識や情報の共有がなされていないことによって自らの損失を望むような行為です。
有権者と政治家の関係と、株主と経営者の関係は以上のように似ている部分が多々ありますが、根本的な違いもあります。
政治家は、有権者を選ぶことができませんが、
経営者は、(政治家の場合と比べれば)投資家をある程度選ぶことができます。
別の視点で表現すれば、
投資家は、経営者(や企業)を選ぶことができますが、
有権者は、国や自治体を選ぶことが(投資家の場合と比べ)できません。
(選挙権は自由に行使できますが、気に入らない政党が政権をとれば、少なくとも一定期間、それに甘んじるしかありません。)
であるはずなのに、
企業経営者より政治家の方が、自分の意見を押し通そうとする傾向が強く、
政治家より企業経営者のほうが、有権者に対し、真摯に向き合う姿勢を示します。
なんかおかしくないですかね。
本来、逆じゃないですかね。
いやいや、人は、相手に「選択の余地がない」場合に、好き勝手にやるものですよね(笑)

以上、ものすごく「お粗末さま」でした。
2007年8月1日 板倉雄一郎
PS:<時間を大切にするということ>
当事務所は、8月3日のエッセイアップを最後に、8月一杯、夏の長期休暇に入ります。
僕が、「ワークアウト」と、「考える時間」を大切にしているからです。
読者の皆様にも、日々の業務に追われることから開放された「自由に考える時間」を持つことをお勧めします。
僕の場合、1997年の倒産から丸1年間の「予定も金も仕事もない時間」に、自分の過去を見つめなおし、自分の心の声に問い合わせることができたからこそ、その後の復活活動につなげることができたという経験があります。
現状にどんな不満があろうとも、今の自分は、過去の自分がどこかで望んでいた自分であるはずです。
将来、「こんなはずじゃなかった」と後悔することのないように、自分が本当に望んでいる自分がどんなであるかを自分の心に問い合わせる「考える時間」は非常に大切です。
「そうはいうけど、仕事が忙しくて、お前みたいに予定を自由にできないんだよ」
という声が聞こえてきそうですが、そういっている時点で、「考える時間の価値」を理解していないのだと思います。
「仕事が忙しいから」というイイワケを続けていれば、気がついたときには、イイワケする相手さえ居ない老後になっているかもですよ。
人生の最も貴重のリソースは、誰にとっても「時間」です。
時間を大切に使うということは、「せせこましく仕事をする」ということばかりではありません。
「ゆっくりじっくり考える時間を持つ」ということもまた、時間を大切にする行為ですし、そんな時間を作ることも、人の能力の一部でしょう。
とは言え、「全く何もしない」のは、かなり辛いことですよね。
僕は、今年の夏を、アウトドア活動、とりわけ「釣り」を楽しむことを通じて、なにかを得ようと考えています。
今から楽しみです!





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