板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURASTYLE「多すぎる私たち」

人から聞いた話ではありますが・・・
フランスのルノー本社では、朝出勤してきた(非工場労働者の)従業員は、
その後1時間以上、コーヒーを飲みながら雑談することが多いそうです。
また、これは僕自身の経験によるところですが、
彼らは、昼食時に当たり前のようにアルコールを口にして、
午後は結構な酔っ払いがオフィスに出現します。
(もちろん彼らのすべてが、
 以上のような習慣を持っているわけではありません)
ずいぶん優雅な労働環境ですよね。

一方、日本のトヨタ自動車では、「昼飯5分」という習慣があるそうです。

お国柄の違い・・・確かにそうです。
しかし、ここで言う「お国柄」とは、先天的な民族の習慣ではなく、
その国の置かれた環境が原因で、人の習慣を作ったといえるでしょう。

人が生きてゆくうえで大切な資源は、食料、水、エネルギー、防衛ですが、
フランスの食物自給率は100%以上。つまり食料輸出国です。
一方、日本の食物自給率は、カロリーベースで30%とか40%とか言われます。
つまり日本は、食物純輸入国です。

また、エネルギーについても、フランスは、
ニュークリアエネルギーのインフラが、そのリサイクルを含め、
少なくとも日本より、整備されています。
(ニュークリアエネルギーの是非を論じているわけではありません。)
日本のエネルギーについては、皆さんもご存知のとおり、
その9割以上を海外に依存しています。

防衛についても、彼らは核兵器を保有し、且つ戦闘機も自前です。
日本の防衛力は、皆さんご存知のとおり、事実上の他者依存です。
(核兵器の是非を論じているわけではありませんし、
 自前の「軍隊」を持つべきだと主張しているわけではありませんし、
 また、持つべきではないと主張しているわけでもありません。
 しかしながら、
 「核の傘」に守られながらの「核を持ってはいけない主張」は、
 あまりにも身勝手な発想だとは思います。)

つまり、先進諸外国に比べ、私たち日本は、
生きてゆくために必要な資源の大部分を海外に依存しているわけです。

これほど、多くの資源を、諸外国に依存している先進国は、
日本以外にありません。
私たちが持っている自前の資源は、唯一「優秀な人材」だけです。
だから、私たちは、海外から資源を調達するための原資を、
自動車や家電やプラントなど、技術を形にした商品を輸出することで、
稼がなければならないわけです。
朝からコーヒー飲んで雑談をやっているわけにはいかないのです。


このところ、世界は、戦争をしたがっている、と感じます。
表面的には、政治や宗教のせめぎあいのように見受けられますが、
本質的には、
「地球資源に対して多すぎる人口」、
「地球環境に対して早すぎる産業発展」、
つまり、今のままでは地球は「継続不能」であることを、
人類全体が本能的に感じ取り、
その解決策のひとつとして、安易に戦争を選んでいるようにも思います。


日本では、少子高齢化が問題になり、
そのひとつの原因(または対策)を制度に求めようとする動きもあります。
その原因は、本当に制度にあるのでしょうか。
少子高齢化の本質的原因は、
「私たちは多すぎる」と、
私たち自身が本能的に感じているからではないかと、僕は思うのです。

極稀に、ラッシュアワーの電車に乗ることがあります。
その人の多さにも驚きますが、それ以上に、彼らの表情が気になります。
皆、疲れきっているように見えます。
少なくとも人生を楽しんでいるようには思えません。
楽しそうなのは、現実をまだ知らない女子高生だけのような気がします。
そんな彼女たちの笑顔にも、
彼女たちの「将来への希望」を感じ取れるわけではありません。


GDPの総額なんて、どうでも良いことだと思います。
GDPの総額をアップさせるために、一人ひとりが犠牲になるなら、
一体何のための経済システムなのでしょうか。
もし、GDPを論じるなら、「一人当たりGDP」を重視すべきです。

企業の総売上高なんて、どうでも良いことだと思います。
売上高をどうしても語りたいなら、「一人あたり売上高」でしょう。

もし、少子化の過程で人口バランスの崩れが問題なら、
「年齢」だけで「シルバー」とか、「引退」とか決めずに、
今よりもっと歳をとるまで、働けばよいと思います。
(僕の母は、67歳ですが、金に困っているわけでもないのに、現役看護婦です。
 つまり、社会に対する価値を労働によって実現する側ですし、
 また、社会保障へ「拠出する側」です。
 きっと仕事が好きなのでしょう。)

私たちの国「日本」が、
生きるための資源を海外に求めなければならない理由は、
「資源に乏しいから」なのではなく、
「資源に見合わないほど多くの人口の存在」でしょう。
(だから「殺せ」と言っているわけでは、ありません。)

日本は、世界第2位の「経済大国」らしいです(笑)
「総額」を適当な単位で論じても、何の意味もないのです。
経済が「人を豊かにするためのシステム」であるとすれば、
常に「一人当たり~~」で考えなければ、意味がないのです。

2006年10月30日 板倉雄一郎

PS:
たとえ人口が減少したとしても、
一人当たりの「社会に対する価値提供能力」が増大すればよいわけです。
だから、教育が大切なのです。
教育を議論するうえで大切なのは、教育制度ではなく、
「教育現場の人」の調達方法なのです。
なぜなら、
制度を生み出すのも、制度を運用するのも、その制度の下育てるのも、
すべて「人」だからです。
現在の教育現場は、
教わる側も教える側も「学校しか知らない者」が占めています。
これが最も重大な問題なのだと思います。

PS^2:
ところで本日(2006年10月30日)の日経朝刊のトップ記事は笑える。
あらゆる前提が、ずっこけている。
たとえば、「経済成長率がマイナスになる」とある。
是非お聞きしたい。「経済成長率」とは何を指し、
その結果何が起こるのでしょうか?

この記事によると、
「人口が減れば、多くの若者や子供が貧乏くじを引く」とある。
本当にそうか?(笑)
ものすごく極端な妄想に過ぎませんが、もし、
「国債は無かったことにします!」
とすれば、困るのは、若者や子供じゃないぞ(笑)

お断りしておきますが、僕は、
この記事で言うところの「衰退容認論者」ではありません。
そもそもこの記事の「衰退」の定義が良くわかりませんけどね。





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