板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURASTYLE「休日の徒然」

本日は、休日モードのエッセーです。

<基礎が大事>

何事も基本が大事である。
なぜなら・・・
「基礎は、新しい価値を生み出すことができるが、
 応用は、他の誰かが創ったケースに過ぎない。」
と思うから。

他の誰かが創った「基礎の応用」を追いかけていると、
新しく発見した何かは、他の誰かの応用の派生に過ぎなくなる。
しかし、基礎をしっかり身に付ければ、その人独自の応用が可能になる。

<手をかけた料理を食べると>

食べ物をいただいていると、
「自分以外の生命を絶命させた結果、おいしい思いをしているのだから、
 その犠牲以上の価値を提供しなければならない」と思う。

社会に対して、なんら価値を提供していない(提供しようとしない)人が、
誰かが創った料理に、いちゃもんをつけている姿を観ると腹立たしく思う。
ただただ料理に不満を漏らす人は、
その食材が生命の絶命によって得られていることに想いを馳せられないのだろう。
せっかくの食材を、テキトーに料理する人もまた、
(図らずしも)生命を差し出した者に想いを馳せられないのだろう。

「なんでこの生物は、僕なんかが生きるために生命を差し出したのだろう」
そう思えば、「カタチ」としてではなく、食べ物に感謝することができるし、
そう思えば、せっかく食べたエネルギーを、
誰かのために使おうと思うのではないだろうか。
「うつ」だとか、「ニート」だとかの治療はまず、以上の認識からはじめるべきではないだろうか。

<物質と人の違い>

ワインに満たされた樽に、小さじ一杯の汚水を入れただけで、汚水の樽となる。
汚水に満たされた樽に、小さじ一杯のワインを入れても、汚水の樽でしかない。
しかし、これが「人」となると、話が違う。
たった一人の想いは、他の誰かを変えることができる。
それを信じて行動できるかどうかが、生きているか死んでいるかの違いだろう。
ワインには、できないことだ。

<ゴルフと株式「投機」>

グリーンに行くと、どんなに上手な人でも、ラウンドあたり数十回はショットする。
多くのショットは、本人が思うところの「失敗」であるが、
印象に残るのは、数十回の内、たった1打か2打のすばらしいショットである。
ゴルフプレーヤーは、その「稀なショット」を追いかけ、ゴルフにはまってゆく。

株式投資をはじめとする金融商品への「投機」もまた、
1度か2度の「稀な儲け」で、はまってゆく。

どちらの場合も自分を見失わないために、「客観的な数値での把握」が大切。
「スージに弱い」と逃げることは、麻薬中毒に等しいのではないか。

<金で解決できる事>

金で解決できるのは、金の問題だけなのに、
「たいていのことは、金で解決可能だ」という意見もあるだろう。
しかし、このような意見を分解してみると、
「その人の問題は、たいてい金の問題だ」ということになる。
金の問題は、実は、「金に対する考え方」の問題なのであって、
金そのものの問題ではないことに、気がつかなければならない。

<運と言ってしまえば、すべて運>

現状を、運と言ってしまえば、すべて運だ。
しかし、現在は、過去の自分の言動の結果である。
したがって、未来の自分は、今の自分の言動が決める。
宝くじでさえ、自ら買わなければ、はずれもしないし、あたりもしない。
多くの場合は、「はずれ」なのだが、
それは、そもそも期待値が投資額に対して少ないことを認識できなかった結果に過ぎない。
決して、運なんかではない。

占いを盲目に信じている方には、「不確定性原理」の学習をお勧めする。
もちろん、量子力学が、すべての倫理を内包しているとは思っていないが、
既にある理論に背を向け、「運命だ」と片付けるのは、怠惰に過ぎないだろう。


僕は、エッセーのネタを思いつくと、ケータイから自分のPCへメモを送る。
そんなメモがPCの受信トレイに貯まってゆくが、
ひとつのエッセーとはなりえないメモがたくさん貯まったので、
こうして、「休日のエッセー」とさせていただきました。
独り言程度に、お納めくださいませ。

2007年1月21日 板倉雄一郎





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