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ITAKURASTYLE「クレージーな集団」

北海道は、「夕張メロン」で有名な夕張市の財政難に関する内容が、
テレビで報道されていた。
(↑ 最近、くだらんテレビ番組を良く観ている)

夕張市は、まあ良くある話だが、議員による間抜けな経営判断によって、
村おこしの「遊園地」なんかに血税を使って、大失敗。
そのツケは、市の債務として、
今後数十年間で「市民の負担」として返済する予定だそうだ。
財源は、固定資産税の増税、ごみ収集の有料化など「住民の負担」、
および、
「役立たずの役人」(←おもろいフレーズだ)の人件費の削減により、
何とか賄おうということらしい。

同市に住む74歳の老女が「生活ができない」と訴えていた。
「昔は、石炭が国を支えたのに、その恩恵がまるでない」とか、
(夕張市は、ご存知、夕張炭鉱によって栄えた場所だ)
「(上記の)遊園地が閉鎖されるので、働く場所がなくなる」とか、
(それって、結局、市民の税負担によって給与をいただいているだけなんだけど)
「楽したいわけではない、働ける場所があるなら、働く。
 コストの問題で、石炭から、石油に、資源を求めたのは、国の政策だ」とか、
彼女の意見に厳しく対応すれば、正直な話、「自業自得」だと思うが、
一方で、
1、この国は、実質社会主義の国「だった」のだなと思うし、
2、「自業自得」だが、いまさら70歳過ぎた老女にファイナンス教育もないだろう
と、思う。

厳しく評すれば・・・
なんら価値を生まないことが容易に想定できる「山間の遊園地」なぞに、
将来の税収を充てにした投資(?)を行う議員を「選んだのは市民」であり、
また、そんな市議会議員の間抜けな意思決定を放置したのも、
また市民であるから、「自業自得」ではある。
しかし、「(市民に)やさしく」評すれば・・・
政府や自治体の政策が、
自分達の暮らしを豊かにすると信じて生きてきた現在の高齢者にとっては、
裏切られた、という、とても辛い現実だろう。


今、この国は、実質社会主義から、実質資本主義へ移行しつつある。
また、継続的な人口増加から、継続的な人口減少へと、状態を変えている。
今、私達は、この「狭間」に生きている。
社会の構造が変化する(または、変化せざるを得ない)時期には、
古い体制に縋る者が損をし、新しい体制に順応する者が得をする。

しかし、
国や地方自治体を信じて生きてきた「人生の残り時間が少ない人間」にとって、
「システムが変わりましたので、新しいやり方で、よろしくです」なんて、
あまりにも酷じゅないだろうか。

国家は、教育上、「国」を尊重させ、「国」を信用させようとする。
しかし、それは、「教育」ではなく、「洗脳」に過ぎない。
(洗脳ではなく)教育された人間が、有権者の大多数であるならば、
こんな悲劇は生まなかっただろうと思う。

「教育」とは、「押し付けること」ではなく、
「自ら考える能力を身に着けさせること」だと、少なくとも僕は信じている。
しかし、「教育基本法改正」などは、まるで本質に迫っていない。

私達日本人は、「クレージーなアメリカ人」をメディアで良く観る。
しかし、日本の政治は、アメリカ以上にクレージーだと思う。
政治がクレージーだということは、有権者(=つまり私達自身)が、
クレージーだって事だ。
すべては、鏡だから。
「複雑系」とは、考えることを放棄した人間のアホな認識であって、
すべては(複雑系ではなく)「ループ系」だから。

2006年11月29日 板倉雄一郎

PS:
老人は、孫をかわいがる。
なぜなら、「孫の言動に責任を取らなくて良いから」だ。
責任を取るのは、親だから。
そして、
かわいいはずの孫の「将来の税負担」の上に乗っかって生活している。
他人がどうであれ、僕はそういう老人には絶対になりたくない。
それ以上になりたくないのが、
「血税を自己の快楽のために消費する馬鹿役人」だな。
しつこいようだが、「教育基本法」には、その直接の対象である子供より、
教育すべきは、子供より先に大人、ということを入れてはどうか(笑)

こどもってのは、大人の背中を見ながら育つんだから。





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