板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURASTYLE「オマケ」

たとえば、
ルックスをネタにされ、いじめられていた人が、
後に整形手術を受けた場合とか、
経済的貧困で苦しんだ過去を持つ人が、
後に(本人が思うところの)経済的成功を得た場合とか、
つまり、何かしらの「コンプレックス」を動機にした活動の結果、
(本人が思うところの)「成功」を掴んだ場合には、
その成功を社会に還元するという行動より、
その成功を社会に対する「報復の糧」にする傾向があると思うのです。

いじめられた過去にコンプレックスを持つ者が、後に反社会的組織に加わり、暴力を手段として、社会に対する報復を行う場合のような「わかりやすい例」なら、わざわざ説明する必要は無いと思います。
しかし、
経済的貧困⇒(本人が思うところの)経済的成功の場合どうでしょう。

経済的貧困から這い上がった者の良くあるパターンとして、
車なんて良くわかっていないのに(=車の価値を把握できないのに)、
大衆にとって「わかりやすい」フェラーリだとかメルセデスとかを手にしたり、
家族だけではとても使いきれないような広さの豪邸を手に入れたりしながら、
「私って、ここまで這い上がってきたの!凄いわ!」と、
その成功を「カタチ」にしてかみ締めるパターンは、割とよく見かけます。

悪いことだとは、思いません。
しかし、これもある意味「社会への報復」の一つのパターンのように思います。

活動における動機が、
「生きて暮らせていることを社会に感謝する」ではなく、
「(本人が)不幸せな原因が社会にある」ということだとすれば、
仮に経済的な成功を収めたところで、
その成功の過程においても、結果の還元の方法についても、
「社会に感謝する姿勢」は、うかがえないと思うのです。

高価な「モノ」を所有し、
社会から、うらやましがられる事によって、人生の達成感が得られるなんて、
ある意味、幸せだと思います。
しかし、
金や、金をカタチにしたモノを所有しなければ、幸せを感じられないなんて、
とても不幸せだと思います。

貧困を馬鹿にしているように思われるかもしれませんが、
全くそうではありません。
「(経済力の)上を見ればキリがなく、下を見てもキリがない」
それを伝えたいわけです。

100億の純資産を築きあげたところで、
世界を見渡せば、大したことのない資産です。
100億を手に入れれば、300億が欲しくなり、
300億を手に入れれば、1000億が欲しくなるだけなのです。


書店に足を運ぶたびに、
「●億円儲ける方法!」なる書籍の陳列を見て、愕然とします。

これが私たちが求めている「成功のカタチ」なのでしょうか。


「君も、社会に対して価値あることしない?」と人を誘うことと、
「お小遣い上げるからおいでよ」と誘う場合、
明らかに後者に手を上げる人が多いのが、
今の社会の姿だと思うのです。

それが悪徳だとは思いません。
ケレド、そんな社会に生きていて、本当に幸せでしょうか。
虚しくないのでしょうか。


僕は朝、稀に、世の「通勤時間」に犬の散歩をすることがあります。
足早に駅に向かう人、
散歩する僕の犬ぎりぎりにチャリンコを飛ばす人、
「我先に」の表情には、笑顔なんてありません。
みな、しかめっつらで、
自分以外の周囲のすべては「邪魔な物」として見ているかのようです。
出会う人のほとんどは、同じ地域に暮らす人だというのに、
「我先に」によって、互いの気分の悪さと引き換えに得られるのは、
たかが数分でしかないというのに。


朝、起きた瞬間に、
「さぁ、今日も楽しんじゃうぞぉー!」と、
たとえ「やりたいくない仕事」でも楽しみに変えてしまうエネルギーを、
すべての人は持っていると思いますし、
たとえ「他人と比べて」経済的に豊かでなくとも、
豊かでないことさえ、楽しんでしまうことが出来ると思うのです。

以上を、「性善説だ」と言う人が稀に居ます。
いえいえ、全然そんなことはありません。
なぜなら、社会に対する価値提供を「楽しんだ結果」には、
皆さんが望むところの「経済力」という「オマケ」も付いてくるのですから。

2006年6月29日 板倉雄一郎

PS:
「オマケ」は、「オマケ」なのですから、
「オマケ」を見て、期待通りでなかったとしても、
落胆すべきは、「オマケ」それ自体ではなく、
その程度のオマケしかいただけなかった自分自信の価値提供度合いではないでしょうか。
僕は、常に「(広い意味での)合理性」で考え、表現しているつもりです。

PS^2:
犯罪者のプロフィールをワイドショー番組が取り上げるとき、
「劣悪な家庭環境」だとか、「貧困」だとか、「いじめ」だとかを、あたかも本質的な原因として取り上げる傾向にあると思います。
確かにそれらは、「一つの原因」かもしれません。
しかし、
「劣悪な家庭環境」の者すべてが犯罪を犯すわけでもありませんし、
「裕福な家庭」に育った者が一人も犯罪を犯さないわけでもありません。
そんな「環境のせい」にしたところで、環境は改善しないのですから。

PS^3:
確かに僕が子供の頃は、「貧困」という環境にはありませんでした。
しかし、決して「裕福」でもありませんでした。
たとえば、異性に興味を持つ中学~高校時代、
僕の自宅に電話がありませんでした。
父親の稼ぎが悪かったからです(笑・・・でも本当です)
恋した女性に連絡を取るとき、僕は近所の「公衆電話」から電話していました。
相手からの連絡は、僕が電話しない限り得られませんでした。
電話がない事実、を友人に話すとき、恥ずかしかったのは事実です。
ケレド、それ自体を僕は楽しんでいたように記憶しています。
(その女性とは、結局、なにもありませんでしたが(笑)
 しかし何もなかったのは、電話がなかったせいでは無いでしょう。)





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