板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

企業価値評価・経済・金融の仕組み・株式投資を分かりやすく解説。理解を促進するためのDVDや書籍も取り扱う板倉雄一郎事務所Webサイト

feed  RSS   feed  Atom
ホーム >  エッセイ >  ITAKURASTYLE  > ITAKURASTYLE「週中の徒然」

ITAKURASTYLE「週中の徒然」

<イラン情勢に不安>

イラク戦争の「一つの大きな」原因として、
イラクが、ユーロ建てでの原油輸出を拡大しようとした事、が考えられます。
ユーロ建てによる原油輸出が拡大するということは、すなわち、国際決済通貨としてのドルの価値が下落する(←ドルを担保してる「石油取引通貨」という側面が失われる)可能性があるわけですから、アメリカにとっては、「ざけんじゃねぇよ!」という話になるわけです。
この視点(=経済の視点)で考えば、ユーロを事実上支えているドイツ、フランスが、イラク戦争に反対していた理由も、理解できます。

今度は、イランです。
イランは、既にユーロ建てによる原油輸出の枠を拡大しています。
ユーロ建てに限らず、日本への原油輸出をYEN建てによって行うということも発表しています。
(石油売って稼いだ通貨で、自動車、家電そしてプラントなどの日本製を買うわけだから、最初からYENで取引すればいいわけですから、それ自体は合理的です。)
つまり、イランは、その理由が何であれ、ドル以外の通貨による原油輸出の比率を高めようとしているわけです。

以上の経済的側面から見たイラン情勢の未来は、極めてリスクが高い、と少なくとも僕は思います。
ちなみに、私達の国日本は、原油調達の多くをイランに依存しています。

「いい感じ」ではないですよね。
新たな戦争が起こらなければよいのですが。

今再び、原油価格は、じわじわと上昇しています。

<「時代劇」の楽しみ方>

テレビ番組をリモコンでザッピングしているとき、時代劇が映っていると、即座に次のチャンネルに変えるほど、僕は時代劇が嫌いでした。
この数年、自宅での仕事をベースにするようになってからは、昼間、仕事の合間に観るテレビ番組の多くは、どういうわけか「時代劇」。
だから、しかたなく観ることになるわけです。
で、最近気がつきました。
時代劇ってのは、「現代劇」なのだと。
言葉、風景、衣装、そして時代「設定」が、江戸時代とかなだけで、ストーリーは、まさに現代劇。
時代の風刺(=遠まわしに批判)の手法として「時代劇」があるわけで、それに気がつくと、この時代劇というやつ、結構面白い。
テレ朝「TVタックル」の「政治時代劇」ほど露骨な表現は、いただけないけれど(笑・・・そういえば4月2日放送分への出演依頼がありましたが断りました。だって観ていても「うるさいだけの番組」じゃない? 「タレント政治家」ってのは、どうして「ぎゃんぎゃん」うるさい人ばかりなのでしょうか?)

<格差問題の不思議>

「格差だ!問題だ!」と主張する方々の多くは、
「同じ仕事をしているのに給与の違いが大きすぎる!」と訴えます。
僕は、この主張を聞くたびに、不思議に思います。
一体何を基準に「同じ仕事」と定義しているのでしょうか?

飲食店で、カップに指を半分入れながら無愛想な態度でコーヒーを運んでくる従業員と、笑顔で丁寧にコーヒーを運んでくる従業員は、おそらく彼らの主張の中では「同じウェイトレス(またはウェイター)」なのでしょう。
けれど、顧客の立場、経営者の立場から観れば、この2者の違いは歴然です。
顧客にとっては、「サービスの品質」が悪ければ、もう二度とその店には行かない、ということになり、経営者や株主にとっては、将来のキャッシュフローの減少⇒企業価値の減少となるわけです。
そんな2者を、「同じ仕事」などと呼べるわけありません。
彼らが言う「同じ仕事」って、一体何を基準に測定しているのでしょうか?
不思議です。

理不尽な給与システムは確かに存在します。が、それを本質的に解決するのは、「制度」ではなく、本人の価値を高めるための本人の努力でしかないのです。
格差問題を議論することによる最大の損失は、格差の原因を社会に求めてしまうことによって、本人が本人の価値を高める努力を怠ってしまうことです。

<格差問題を、社会の「費用」にしてしまうか、「投資」にするか>

格差問題を解決するにあたり、税の徴収方法や配分先を「政策的に」調整するだけでは不十分であり、本質的な解決のためには「教育」が必要だ、と僕は常々訴えています。
その理由は、経済的弱者に対し社会が「金」を与えているうちは、経済的弱者は、社会にとっての「お荷物」に過ぎません。
しかし、経済的弱者にしかるべき教育を施し、彼らが、受けた教育に基づき、社会に対する価値提供を増大させることができれば、その教育コストは、一見社会のコストですが、実質的には社会にとっての「投資」になりえます。

だからって、ほとんど「趣味の領域」としか思えない資格取得などに補助金を出すことには、むちゃくちゃ反対です。
「ペン習字」には補助金が出るが、自社で教室を持たない板倉雄一郎事務所の「ファイナンス教育」には、補助金は出ないのです。
補助金を出せる条件は、「教室を持っていること」だとか、「卒業した証を発行していること」だとか、実にくだらない条件が並んでいます。
カタチばっかりで、中身(=国家にとっての価値)に関する条件は、どこにも無い。
確かに、インチキ業者による国庫金のぼったくりを防ぐための苦肉の策なんでしょうけれど、笑えますよね。役に立たない役人の仕事ってのは。

<議員宿舎>

それにしても、「議員宿舎」の議論なんて、どーでもいいことでしょ。
マスコミもいつまで、あんなことを追っかけるために、貴重な公共電波を使い続けるのでしょうか?
単に、議員が受け取る報酬の「カタチ」が違うだけなのです。
キャッシュで受け取るか、住宅の割り引きで受け取るかの違いだけ。
大切なことは、社会が彼らに与えた報酬以上の仕事を、彼らがするか否か、なのです。
議論すべきは、彼らの仕事のNPVがゼロ以上かどうかってことなのです。

しっかし、この国ってのは、住宅だとか、車だとか、「目に見えるモノ」に対する嫉妬の塊ですね。
そんな目に見えるモノの価値なんて、たかがしれているのに。

(「議員宿舎ええやないか!」という主張ではありませんので、念のため。)

<先物取引は果てしなく宇宙の旅>

そもそも、資本市場で言うところの「現物」でさえ、その価値は将来のキャッシュフローによって担保されているわけですから、本質的に「先物」です。
なのに、そのさらに「先物」を取引するなんて、まるで果てしない宇宙の旅のようです。
少なくとも僕にはできません。わかりません。楽しくありません。
僕のおつむで理解できるのは、いわゆる「(資本市場で言うところの)現物」がいいところ。

江戸時代から日本の金融工学は欧米をしのぐものがありました。
たとえば、「米」という「本当の現物」取引と、その将来の価格ボラティリティーを抑える目的の「先物」取引がありました。
それなら「先物」も理解できますけれど。

<読者からのすばらしい質問>

ある読者から、以下のような質問が来ました。

私は●●(←上場企業)に勤めております。この度、コスト削減プロジェクトに取り組もうと思っております。現在、某取引先との取引に割く従業員コストを計算すると年間約300万円。 ●●の資本コストが約4.5%という事で、このコストをゼロにできれば、約6700万円(300万円/0.045=6666)の価値を生むと考えてよろしいのでしょうか?また、このコストをゼロにするにあたり、先方への年間の支払いが約80万円程かかる事が予想されます。この場合年間80万円を支払っても、この活動を行うべきかどうかというのは、どのように判断したら良いのでしょうか?もしお時間許せば、教えて頂きたく思います。
いい質問だと思いました。
それよりまずは答えを・・・

この6700万円が、コスト削減によって生み出される「現在価値=PV」ですが、一方で、その価値を手に入れるためには、年間80万円の支出が必要になるので、NPV(=Net Present Value)は、(300万円-80万円)/0.045=4,888万円となり、「NPV > 0」ですから、「実行するべき」ということになります。
ただし、年間300万円のコストは、このオペが無ければ、永遠にコストとして必要であることを前提にする必要があります。

(税効果についても考えなければなりませんが、どのような利益変動を与えるオペレーションなのか=どのような費目にどのような税がかけられているを考える必要がありますので、めんどうだから割愛します。)

(「このケースの場合」、簡単な話が、年間300万円かかっていたのが、方法を変えるだけで80万円で済むことになるわけですから、やるべきか否かという点においては、ファイナンス理論を持ち出すまでも無く、やるべきに決まっているわけですけれど、その行為がどの程度、企業価値にインパクトを与えるのかについては、やはりファイナンスの知識を必要とします。)

以上が、僕の答えですが、そんなことより、「いい質問だ」と思ったのは、
ファイナンス理論を、経営者ではなく、「現場」で応用しようとしている点。
そして、いわゆるコスト部門であっても価値を創造できるという着眼点です。


ところで、僕は「経済なんでも無料相談室」ではないので、その点よろしくです。
普段、上記のように丁寧に返信しているわけではありません。
知りたかったら、本来、それなりの時間や資金を差し出して、知識を得てください。
知識には、「カタチ」がありませんが、知識には価値があります。

ということで、本日は「週中の徒然」でした。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

2007年4月4日 板倉雄一郎

PS:
愛犬の様態が悪い。
彼の呼吸が苦しそうな音になるたび、夜中でも「はっ!」と起きては、彼の胸の伸縮を確認し、僕は再びうつらうつらと眠りにつく、そんなことを繰り返している。
精神的にも、肉体的にも、結構辛いが、こうしてエッセーを書く「仕事」があることは、幸いだと思う。
だけど、細かな数値を確認しながら書くような、たとえば「個別企業のオペレーションの説明」などは、しばらくかけません。
どうかご理解ください。

それにしても、「今日は彼の調子がちょっとだけいい」と思える日の幸せ度は、半端じゃない。
逆の場合の苦しさも半端じゃない。
でも一番苦しいのは、彼自身。
僕の苦しさなんて、それに比べればなんて事は無い。

僕にとっての今年は、いろんな意味で、我慢の年、そんな感じがする。





エッセイカテゴリ

ITAKURASTYLEインデックス