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ITAKURASTYLE「指導者の条件」

月刊提言誌「VOICE」(PHP研究所)2007年2月号の記事
「指導者の条件」(李登輝)を読み、共感と示唆を得た。

いくつか本文の引用をしてみたいと思う・・・
(全文を読みたい方は、同誌を購入してください。)

だが私の根本にあるのは、「私は権力ではない」という発想だ。権力とは、困難な問題や理想的計画を執行するための道具に過ぎない。それは一時的に国民から借りたもので、いつでも仕事が終われば変換すべきものである。
(以上、同誌より引用)
まさに「パブリックサーバント」という考え方だ。
当たり前すぎて、これ以上の説明は必要ないと思う。
わが国の政治家達に、こんな意識があるのだろうか?
はたまた、そんな意識を検証した上で、私達は議決権を行使しているだろうか?
大変疑問である。

経営学の大家、ピーター・ドラッカーが語っているように、知識のある人ほど管理しにくい。しかし知識のある人を使うことは、指導者にとって目標を達する最良の方法でもある。指導者はそれぞれの分野の専門化のように、ただ側にたって顧問や幕僚を勤めればよいのではない。いつでも最前線に立って、随時決断しなければならず、判断を間違えたら、その失敗のリスクをも負わなければならない。
(以上、同誌より引用)
こちらも頷くばかりである。

その他、
「私情に流されず物事を明快に処理する」や、
「頑固な意思で悪役を演じる」や、
「カリスマ性の危うさを自覚する」など、
たくさんの示唆を与えてくれる内容である。

僕は、台湾前総統の李登輝氏について、新聞などマスメディアの報じる限りのことしか知らないけれど、「指導者の条件」として語られたこの文章を読み、(一部を除き)共感した。
と同時に、
「頂点を極めた人物の言葉には共通点がある」という思いを強くした。

企業家としてでも、科学者としてでも、スポーツ選手としてでも、
その分野(=山を登るルート)がなんであれ、
その分野の頂点(=山頂)に迫ることができれば、
そこで、他のルートで登ってきた他の分野の尊敬すべき人と会合することができるのだと思う。
ただし、頂点に居る者の「権力」は絶大であるから、それに酔いしれてしまうとき、頂点から滑落する。
まして、10合目中3合目あたりの権力を振りまく快感に酔いしれてしまうようでは、社会から葬り去られてしまうだろう。
もっとひどいのは、その山の「ある側面」しか経験的には知らないのに、すべてについて語ってしまう人だ。
そのような人間が、たとえば「企業は株主のものだ!」などと発言してしまうのだろう。

一国のトップや、大企業のトップでなくとも、すべての人は、少なくとも「自分や家族」における指導者としての自覚を持つべきだと思う。
常に、「わからない」や、「知らない」とは、言えない、と自覚すべきだと思う。
(台湾を一国と表現すると、ややこしい問題がありますが、ここでの表現は一般論です。)

以上、なにより僕自身が生き方について考えさせられる内容だった。

現在の僕は、僕自身の能力、時間、体力を、社会のために十分に活用できていないと、日々感じている。
「(広義での)指導者としての条件」を僕自身が満たしていないことを自覚しているからなのだと思う。
僕には、「まだ」何かが足りない。
本当は、足りない何かに気がついているのに、気がついていない、と思い込もうとしているのかもしれない。
それって、気がついていない事と、同じだが。

2007年1月12日 板倉雄一郎

PS:
「VOICE」と言えば、同誌に「メディア閻魔帳」という連載を持つ高山正之氏の最新作「歪曲報道」(PHP)に、僕が書いた批評(←おそらく「VOICE」2006年4月号の「ホリエモンは何を間違えたか」)に対する評価が書かれていて、びっくらこいた(笑)
ちなみに、書かれていることを教えてくれたのは、どういうわけか新橋は「第三春美」の大将だった(笑)

PS^2:
明日から2007年初の「合宿セミナー」
企業価値評価というルートの案内役を勤めてきます。
しかし、案内を受けた後、そのルートを登のは、それぞれの受講生の自力によります。





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