板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURASTYLE「ワークアウト」

僕の場合、何かと経済の仕組みに関連付けて考えてしまう傾向がある。
そして、あらゆる事象は、間違いなく経済的な側面を持っている。
だから、遊んでいようが、仕事していようが、常に仕事な感じがする。
結果として、上手にワークアウトできていない時期が続くと、
「やりたくねぇ~~~~」の時期がやってきてしまう。

このところも、少々「やりたくない病」にかかっている自覚があった。
僕自身が満足するほどのワークアウトができていないからなのだと思う。

そんな中、
ビジネス上の関係者の誘いで、先週末は久々のシークルージングだった。
ボートはYAMAHAの41フィート、スポーツフィッシャー。
横浜ヨットヤードを午前9時30分に出航、
三崎港に立ち寄り、マグロ専門店で昼の宴会、
(刺身もおいしかったが、「うにチャーハン」が格別だった)
三崎港を出航~油壺~午後4時には横浜ヨットヤードに帰港。
と、「ちょい乗り」だったが、
離岸&着岸含め全行程の70%ほどを、僕が操船していたが、
少なくとも操船している間は、ほかの何も考えなかった。

浅瀬に乗り上げたり、他船と衝突するようなことがあれば、
およそ7000万円のボートと、15名の乗員を毀損することになるし、
そこまでの事故がなかったとしても、
船底の冷却水取入れ口にビニールなどが詰っただけでも、
それに気がつかなければ、エンジンがオーバーヒートして、
1機1000万円はするディーゼルエンジンを壊してしまうことになる。
そこまでの事故がなかったとしても、
海面にわずかに見える「ペットボトル」に気がつかなければ、
猟師の刺し網をペラで巻き上げ、
猟師に追い掛け回され損害賠償を請求されたりする。
さらに、どんなに注意していても、極めて運が悪ければ、
半沈した流木(←海上からは見えない)に乗り上げ、ペラをぶっこわしてしまう。
もしそんなことになれば、その責任は操船者、つまり僕が担うことになる。
その上、そんなリスクを抱えていてもいなくても、
操船は楽しいし、海は理屈抜きにいい。
だから、他の事など何も考えなくて済む。
(実際、今回僕をお招きいただいた方は、
 現在、僕が大型案件を提案中の提案先企業の方だったが、
 その案件の話など、僕からも先方からもまったくしなかった。
 「休日まで接待ゴルフ」みたいなのは、大嫌いだから(笑))

「集中しなくてはならない」ではなく、「集中せざるを得ない」ことが僕は好きだ。
なんというか貧乏な性格だが、「ゆっくりリラックス」などを試したところで、
傍目からは「リラックスモード」に見えても、本人の頭の中は、
いつものように「ぐるぐる」回ってしまうから、ぜんぜんリラックスにならない。

僕にとって、ワークアウトとは、リラックスすることや休むことではなく、
常時使っている脳みその部分とは別の部分をフルに動かすこと、
なのだと思う。
それができたとき、本当のワークアウトが完了する。

やはり貧乏な性格だ(笑)

わずかな時間ではあったが、クルージングでリフレッシュできたようだ。
今週も常時使っている脳みそをフルに動かして、仕事に当たろう。

2006年11月20日 板倉雄一郎

PS:
恋愛をしていない時期が続くと、やはり脳の活動バランスが崩れる。
恋愛でしか使われない脳の部分が、間違いなくあるから、
恋愛をしていないと、その部分が腐ってしまう。
恋愛でしか使われない脳の部分が、
恋愛をすることによって、活性化していると、
恋愛以外のことでも、その部分が影響を与え、それなりの効果が得られる。
恋愛をしていない時期が長く続くと、そんなことに気がついたりする。
せっかく生きているのだから、脳みそのあらゆる部分を使い続けたい。
なぁ~んて(笑)

ちなみに、
「女遊び」は、恋愛で使う脳の部分ではなく、
普段仕事で使っている脳の部分の仕業だと思う。

PS^2:
不思議な心理だけれど、たとえば・・・
500万円の車が欲しいと思ったとき、
(1)純資産がゼロの場合は、「ローンさえ通れば買いたい」と安易に思う。
(2)純資産がちょうど500万円の場合は、
「買ってしまったら、使えるお金がなくなるから我慢する」と思う。
(3)純資産が車の価格より「はるかに大きい」場合は、
「その車って、価値を生み出すの?」と合理的な判断をするようになる。
かくして、貧富の差が生まれる。
人の心理が如何に「非合理的であるか」を理解する知識の差こそ、
貧富の差を分ける要因だろう。

しかしながら、「貧富」だけで、人の「ハッピー」は語れない。
「なるようになるさ」と生きることも、ひとつの生き方として否定できないし、
「常に合理的に行こう」と生きることも、ひとつの生き方として否定できない。

さて、僕にとって、億のボートを購入する事は、
上記本文にしたがって、ストレスを発散する上での「合理性」なのか、
それとも「なるようになるさ」という生き方を選択することなのか、
持てる純資産と比較して、極めてビミョーだったりする(笑)
今の10倍ぐらい稼げば、「んじゃ買っておこうか」と思えるかもしれない。
けれど、その稼ぎのために、誰かを毀損したりはしたくない、とも思う。

で結局、
「その投資に見合うリターンがあるのかないのか」を冷静に考えると、
「心の満足」のような価格に換算しにくい価値の算定に行き着き、
判断不能に陥る。
だから、少なくとも僕にとって、
その価値を価格として判断しやすい金融商品に対する投資は簡単だが、
その価値を価格として判断しにくい消費の判断は難しい、となる。
消費における意思決定は、永遠のテーマだな。





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