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ITAKURASTYLE「リアリティーの欠如」

同級生を教室で殺してしまったり、
家族を殺す目的で、自宅を放火したり、
親を殺す目的で、刺したり、
自分の行動のおかげで苦しんでいる人を慮るより、
自分だけ逃げ出そうと画策したり、
書き出したらきりがない、「どこかおかしい事件」がたくさん起こっています。

それぞれの事件に、それぞれの個別具体的な理由があるのでしょうけれど、
すべてに共通の原因の一つに、
当事者の「リアリティーの欠如」があげられると思うのです。

「リアリティーの欠如」とは、現実性の認識の欠如といいましょうか、
つまり、
「今起こっている(または起こそうとしている)(または起こってしまった)事は、
唯一無比の自分や他人の人生の現実であって、
後で都合が悪いからと、
リセットしたり、巻き戻したり、スキップしたりできることではないという
現実の認識度合いが、欠如していること。

このところだいぶ少なくなりましたが、
たった一行、「ばーか、死ね」とかの文章を、
インチキメアドで送ってくる「ピンポンダッシュ」に見舞われます。
ピンポンダッシュをする人を、哀れな人だとは思います。
他人を殺してしまうことに比べれば、ピンポンダッシュの実害など、
無いに等しいですが、実は、その行動原理には、
「リアリティーの欠如」という共通点があると思うのです。

ネットという「コミュニケーションツール」を使うと
=相手の肉声や肉体に触れなくて済むから、いきなり気が大きくなってしまう。
その匿名性がゆえに、言葉に責任を持たなくなる。

ネットはあくまでツールに過ぎず、
その先には生身の人間が居ることを忘れてしまう「リアリティーの欠如」は、
いつの間にかリアルな世界に影響を及ぼしているのだと思います。

冗談抜きで、
ネット免許制度をつくり、匿名発言を(特別な場合以外)許さないシステム、
を作らないとまずいとさえ思います。


僕の時代には、
放課後のたまり場で、「お前誰だよ」と聞かれて、
「匿名です。」とは言えなかった。

ザリガニのハサミに爆竹を持たされば、ザリガニのハサミは腕ごと吹き飛び、
捕食の道具を失ったそのザリガニは、いずれ本当に死んでいた。

殴っても、殴られても、痛かった。

すべてにリアリティーがあった。

2006年9月8日 板倉雄一郎

PS:
「言葉」や「情報」は、
「どこのどいつが表現したのか」ということとセットで初めて評価できるはずです。
それを忘れちゃ、言葉や情報の意味がなくなってしまいます。

たとえば、
「あなたのことが好きです」という言葉が、
あなたが大嫌いな人から表現されるのと、
あなたが大好きな人から表現されるのとでは、
言葉は同じでも、あなたにとっての言葉の価値は、まるで違いますよね。

 





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