板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURASTYLE「リーフカレント」

「リーフカレント」=「離岸流」=「外海への強い流れ」

小学生の頃の僕は、夏休みになると、父の友人が経営する海の家と民宿の手伝い(?)を兼ねて、千葉県九十九里浜は本須加海岸で過ごした。
夏休みの第一日目から最終日まで、(途中にある厄介な登校日を除き)どっぷりこの海で過ごした。

九十九里の魅力は、その砂浜にある。
海の家から波打ち際まで、(汐によっては)長いとき100メートル以上の平坦な砂浜が広がり、海に向かい左右を見渡せば、それこそ九十九里もあろうか遥か彼方まで砂浜が広がっている。
耳を澄ませば、波の音しか聞こえない。

早朝、海の家の雨戸を開け、ハマグリを獲りに行く。
小学生の僕でも、股下ぎりぎりの深さのあたりで、両足をぐりぐりと砂の中にもぐらせれば、3分に一度ぐらいの頻度で素足の底に石らしき感触が得られる。

「ハマグリみっけ!」

ハマグリは、意外と逃げ足が速い。
だから「石らしき感触」を掴んだら即座に手を伸ばし、足裏から掌にその石らしきものを渡す。
ほとんどの場合、いわゆる「お化けアサリ(=でっかいアサリ)」だが、稀に黒く艶々した二枚貝=ハマグリを捕らえることができた。
多いときには20個ほどのハマグリを収穫した。
昼間、そのハマグリをブルーの繊維でできた網に入れ、海の家を利用する顧客に数百円で売っていた。
今、思い返せば、僕の人生最初の「事業」だった。

そんな自然に満ちたハッピーな夏休みにも、それが自然と戯れる以上、危険はあった。
リーフカレント。
浜には波が打ち寄せる。九十九里の波はいつも荒々しい。
波によって運ばれる海水は、いずれ行き場を失い、離岸してゆく。
打ち寄せる波によって運ばれる海水のすべてを離岸させるその潮流はすさまじい(らしい)。
海岸線に起伏がある場合、ある程度物理的にリーフカレントの位置を特定できるが、九十九里の場合、ひたすら平坦な海岸線が続くから、一体どこにリーフカレントがあるのかわからない。当然目視できない。
巻き込まれて初めてリーフカレントだとわかる(らしい)。
事実、40日間ほどの夏休みの間に、毎年数人はリーフカレントの仕業らしき水難に遭っていた。

「あの先で、死体があがったらしいぜ!」
「みっ、見に行くぅ???」
「親父が言うには、水で体がパンパンに膨れ上がって、
      すげえ気持ち悪いらしいから、止めようぜ!」
そんな会話を、一緒に居た同世代の友人と話す機会があった。

映画「スタンドバイミー」に出てくるような情景だが、結局僕は水死体を見ることはなかった。
自分が「あんなふうになっちゃうんだ」となれば、僕の大切な事業を継続できないと思ったからなのかもしれない。

リーフカレントからの脱出方法を教えてくれたのは父だった。
要点は以下のようなことだった・・・


「流されたらもがかず、流れが止まるまで汐に身を任せる。
 可能であれば、岸と平行に泳いで、汐から抜け出す。
 間違っても、岸に戻ろうとして汐に逆らい無駄に体力を消耗してはいけない。
 流れが止まったら、それまで貯めていた体力を使って岸に戻る」

上記の文章で「らしい」という表現を使ったのは、幸いにして僕は一度たりともリーフカレントに巻き込まれなくて済んだ(=経験していない)からだ。


小学生の夏から20年後、僕は社会の、金融の、リーフカレントに遭遇した。
小学生の夏、リーフカレントの恐ろしさを経験していなかったせいなのか、僕は社会のリーフカレントの中に自分が居ることさえ認識できず、ひたすらもがいた。
気がついたら、僕(=ハイパーネット)は、力尽き、沈没していた。

沈没からさらに10年経った今、過去のもがきによる失敗から僕はたくさん学んだ。
時々起こる金融の小さなリーフカレントの中で、もがくことなく、むしろチャンスに生かす知識を学んだ。
もっと大きなリーフカレントに遭遇しても、何とか対処できるであろう知識を身に着けることができた。

過去の経験無くして、決して得られることのない知識。
それ以上の宝など、僕は何も持っていない。
人は、どんな過去からも学べる。
最も参考になる「人生手引き」は、自分自身の過去にある。

2007年4月7日 板倉雄一郎





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