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ITAKURASTYLE「赤福モード」


その昔、(ってずいぶん昔ですが、他に良い例が思いつかなかったので)、「NTT世田谷電話局ケーブル火災」なる事故がありました。
NTT世田谷電話局ケーブルで火災が発生し、この電話局管内の固定電話(といっても、当時はケータイ電話ありませんでしたが)が全面不通になる大事故でした。
当時僕は、世田谷の経堂というところに住んでいたので、この事故の直撃を受け、自宅の固定電話が使えず、非常に不便な数日間を過ごしたことを思い出します。
(予断ですが、この事故のおかげで、後のビジネスに繋がるアイデアを思いつきました。詳しくは、「社長失格」のP9、および、P15?に記載)
この事故発生から1、2日経った頃、NTTから事故原因と通話復旧までの時間についてのアナウンスがありました。
「通話復旧まで、およそ一ヶ月を要する」
電話の無い生活が一ヶ月・・・ケータイの普及した現在では考えられない事態ですが、当時としてもめちゃくちゃ不便な日々でした。
しかし、NTTのアナウンスから2週間も経たないうちに通話全面復旧となり、世間では、「NTTは大したもんだ!」と、事故を起こした張本人であるNTTに対して、世間から良い評価が下されることになりました。
この件、ビジネスを遂行するう上で非常に興味深いケースだと思います。
何か問題が発生したとき、その損害を「大きめ(=考えうる損害の最大値)」に発表し、実際の損害が当初発表した損害の範囲に収まる(収める)結果にできれば、場合によっては、利害関係者から良く評価されるというわけです。
当時のNTTが、以上のような戦術を考えた上で、敢えて「長め」の普及に要する時間を発表したかどうかは定かではありませんが、少なくとも結果としては、
「損害の予測」 >> 「実際の損害」
となったことが、当時のNTTの評判を必要以上に下げないどころか、むしろ高い評価を受けたというわけです。
さて、このところの、
いくつかの食品に関する虚偽記載の謝罪会見の場合はいかがでしょうか。
「本当は、(当初の発表以上に)もっとインチキしてましたぁ?」
などと、バレそうになったことだけを都度発表する姿勢が見えます。
また、
サブプライムローン問題における金融機関の損失額発表においても、
「やっぱ、(当初の発表以上に)もっと多くのババを持ってましたぁ?」
などと、損害を「小出し」にする傾向が見えます。
こういう姿勢は、一体誰の得になるのでしょうか。
おそらく誰の得にもならないでしょう。
確かに、当事者としては、すべてをゲロってしまうことは簡単なことではありません。
しかし、実態の公表を遅らせることは、問題の先送りに過ぎず、その行為のおかげで、利害関係者からの信頼を喪失し、損失の実態以上に悪く評価されるのが落ちです。
100の損失があった場合、本来、100の経済価値下落で済むはずですが、最初は10しか発表せず、その後、「いや30ありました」、そして、「本当は70でした」、で最後に、「やっぱ100もありました」とやってしまうと、実際の損失が100であっても、「本当はもっとあるんじゃないか」と推測されたり、そもそも「この会社の発表は信用ならんな」ということで、投資家から観た「リスク認識(=期待収益率)」が上昇し、結果として、300ぐらいの経済価値下落となる可能性があるわけです。
「信用」は、経済活動において極めて重要な要素です。
(過去に大きく信用を失った僕が言うのですから間違いありません)
損失を伴う事態が発生したとき、それを素直に公表すれば、その分の信用は失われます。
しかし、損失を「小出し」にすることによって、損失の範囲を超えて信用が失われてしまうわけです。
パブリックな存在であればあるほど、「実態」を公表し、実態に合致した評価をされることが、長期的に観た利害関係者からの信頼を得ることになるのだと思います。
実態より良く見せようとする「赤福モード」な姿勢は、結局誰の得にもならない、ということです。
2007年11月12日 板倉雄一郎
PS:
本文とは別次元の話ですが、いわゆる食品偽装事件の発覚原因が、「消費者からの苦情」ではなく、「内部告発」が大部分であるとするならば、消費者は商品に対する「自らの舌での評価」ができていないということになりますよね。
別の表現をすれば、消費者は対価の大部分を「ブランド」に求めている、といえるのではないかと思います。
つまり、インチキがまかり通るのは、インチキをする人間が居ること以前に、インチキを見破る人間が少ないことに起因するのではないでしょうか。
だから僕は、インチキ撲滅のためには、インチキをやる者を懲らしめることより、インチキを見破れる人間を増やすことの方が本質的な解決になると思っているわけです。
(インチキをやる者を懲らしめる必要が無い、と言っているわけではありません。)





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