「自業自得」という言葉は、一般的に「印象の良い言葉」ではないですよね。
おそらく、何か痛い目にあったときに、他人から、
「そりゃ自業自得でしょ」
と言われる場合が多いからではないでしょうか。
でも僕は、「自業自得」という言葉が好きです。
1997年、僕が経営していたハイパーネットは倒産しました。
正確には、「倒産させてしまった」わけです。
直接的な原因は、銀行群による半ば強引な資金引き上げですが、
本質的には、僕自身が馬鹿だったから、に他なりません。
「晴れた日に傘を差し出し、雨の日に傘を取り返す」
銀行についてそんなことが言われるほど、
彼らの「信用リスク管理」は徹底しています。
当たり前と言えば当たり前ですし、
彼らの立場に成れば、しかるべき対処です。
そんな「当たり前のこと」を承知しながら、
彼らの資金に依存した事業を行った僕自身の自業自得です。
(ただし、彼らのハイパーネットに対する対処は、結果的に彼ら自身が損失を被ることになったという点において、まるで合理的ではありませんでした。彼らがそれほど馬鹿なことを知らなかった僕が馬鹿だったというわけです。)
もし、失敗の原因を他人の責に帰すれば、
他人を変えることが出来ない以上、同じ失敗をやらかす可能性が残ります。
しかし、失敗の原因のすべてを自分自身の中に見つけることができれば、
自分自身を変える努力次第で、
同じ失敗に陥る可能性を減らすことが出来るわけです。
失敗したとき、そのすべての原因は自分にある。
そう思うことが、「きれいごと」ではなく、「合理性」です。
一方、何かに成功したときにも、自業自得は成り立ちます。
それが「運」であれ、「実力」であれ、その人の成功は自業自得です。
誰か他人の手助けによるところが成功の原因だったとしても、
他人の手助けを得られるような「自分」の自業自得です。
(↑ 他人への感謝やお礼は必要ない、という主張ではありません。)
投資活動における損益も、
仕事における楽しさも、苦しさも、
社会における自分の立場も、社会の構造さえも、
すべては、我々全体の自業自得です。
「渋滞を作っているのは自分自身」。
それに気が付くことが、自分自身にとって、
極めてリーズナブル=理に適っている、と思います。
いつまでも「自業自得」という言葉を嫌いにならないようにしたいものです。
2006年7月18日 板倉雄一郎
PS:
今週一杯で、夏休みに入りますので、ガンガン書きます(笑)
んでもって、夏休みは、しっかり夏休みにします。