板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURASTYLE「お金の話(&週末のお知らせ)」

その1:「お金の話をするなんて!」

彼女(または彼氏)とお食事した後に、彼が、「4時間も食事してたね」と言ったとしても、彼女は特に気分を害したりすることはないでしょう。

彼女の反応はおそらく、「ほんとだ、あっという間だったね!」程度で、その会話は、「楽しさの一部」として解釈されると思います。

が!これが「時間」についてではなく、「お金」についてとなると話がずいぶん違ってきます。

彼がレストランでの飲食代を負担し、「5万円もしたね」と言ったとしたら、彼女の反応は、「ほんとだ、あっという間に使ったね!」なんていうことはほとんどないばかりか、彼女がどんな表面的な反応を示そうが、彼女の心の中では、「このオトコ、カネの話をするなんて!」と、気分を害す場合が多いのではないでしょうか。

「時間」も「お金」もどちらも大切な資源であることに変わりはないのに。

僕は、「お金の話」をして、一体何が悪い!と思います。もちろん、「俺がカネを出したんだから、その分何かをよこせ!」の様な意味を持った発言は下品極まりなく、全くいただけない態度です。

こういう場合は、彼女が気分を害して当たり前。

もし、「カネを出す代わりに何かをよこせ」というディールなら、食事をする前にしっかり条件を規定すべきですよね。しかし、二人で楽しんだ時間にかかる費用を彼が負担したことについて、それがいかほどであったかについて話をすることを互いが躊躇するのは、「マナーを考えた結果」とか、「スマートな振る舞いを求めた結果」とかいう以前に、「お金について理解していないから」なのだと思います。

「今使えるお金」は、今現在、確かにお金の「カタチ」をしていますが、お金が価値交換における単なる「媒介」であることを認識すれば、今使えるお金は、「過去の努力(=社会に対する価値提供)の蓄積」といえます。

(もちろん、そのお金の稼ぎ方によって見方は変わります。)

過去の努力を、一旦お金のカタチで保存したり運用したりして、その結果を、食事や物品の購入にあてるわけですから、これらをルックスルーすれば、彼が彼女との時間に提供したのは、一見お金の「カタチ」をしていますが、本当は、彼の「過去の努力」なわけです。

お金の話になったときに、「お金の話をするなんて!」と反射的に思ってしまう人というのは、実はお金についての理解がない人なのだと思います。

お金「なんて」、たかが「価値交換の媒介」に過ぎないわけです。

お金の話とは、お金に焦点があるようで、その実、そのお金によって交換される(された)価値についての話なのです。お金の話をしようがしまいが、その彼女は、彼のお金によっておいしい食事をしたことに違いがありません。

そのお金についての話が彼女の気分を悪くするのなら、過去の努力を提供した彼は、もっと気分が悪いでしょう。(そもそも、飲食店の料理や、ホテルのサービスについて評価するときに、その「価格」を抜きに評価することなど、全く持って何の意味もないことです。)

ただし、たとえば僕が「懲りないくん」活動をしていたときのような、「ワンナイトスタンド」が目的なら、「遊び人としてのスマートさ」に徹底し、間違っても、お食事やホテルにかかった費用に関する話はすべきではありません。(笑)

しかし、彼女(または彼氏)を将来の伴侶としての候補として考えているならば、伴侶として迎える前のデートで、「お金」について十分に話す機会を持つべきだと思います。

もし、その会話を彼女(または彼氏)が拒絶するようなら、伴侶としての条件が満たされないと思ったほうが無難だと思います。

その2:「たくさん持っているのにケチね!」

どう見ても金持ちそうな人が、「そうでない人から見た『たかが』数万円」の支出について悩んでいる様子を見て、「この人ったら、たくさん持っているのにケチね」って思うことは結構ありそうです。

残念ながら、「たかが」と思う人は、いつまで経っても、どれほど稼ごうと努力しても、「持てる側」には成れないでしょう。

なぜなら、その人が「持てる側」になったのは、(持てない側の人から観た)「たかが」の金額でさえ、「支払う価格に見合った価値を手に入れられるかどうか」を常に判断して生きてきた結果だからです。

絶対額の大小によって、判断を変えるのではなく、絶対額がどうであれ、常に、「支払う価格以上の価値を手に入れられるかどうか」を判断し、行動するからこそ、「持てる人」になったわけですから。

その一つの証拠が、「宝くじで大当たりした人」が、後に破産するケースです。

宝くじで大当たりした場合、「お金の扱い方を知らないまま、お金を持ってしまった」わけですから、今度は、「(自分が)こんなに持っているんだから、テキトーに使っても大丈夫さ!」と思ってしまうわけです。

あっという間に、お金はなくなってしまいます。「持てる人」から得るべきものは、「お金」そのものではなく、「お金持ちに成り得た考え方」でしょう。

どう見ても金持ちそうな人が、「そうでない人から見た『たかが』数万円」の支出について悩んでいる様子を見たら、「この人ったら、たくさん持っているのにケチね」って思うのではなく、「なるほど、お金をたくさん持っていても、こうしてしっかり吟味するんだな」と学ぶべきだと思います。

ただし、「ケチ」と「シブチン」は、まるで違います。

ケチとは、支払う価格がどれほどであれ、「価値」>「価格」であるかどうかをしっかり吟味し判断する人ですが、「シブチン」とは、手に入れる価値がどれほどであれ、「価格の絶対額」が(その人にとって)大きいか小さいかだけを判断基準にする人です。

ちなみに僕は、「ケチ」と言われると結構うれしいです(笑)が、「シブチン」と言われたら、結構むかつきます。(笑)

以上、週末のお金に関するお話でした。

2007年9月7日 板倉雄一郎

PS:
経済的に豊かになるためには・・・

「支払う価格以上の価値を手に入れる」や「時間経過と共に価値が増大するモノを手に入れる」とかは、いわば「当たり前」ですよね。

しかし、「価格」は誰にでもはっきり分かりますが、「価値」については、それを判断するためにはそれなりの知識が必要です。

この当たり前を実現するためには、「価値」を計る術を持つ必要があります。株式投資に置き換えれば、分かりやすいですよね。「株価」は、誰の目にもはっきり分かりますが、株価を担保する「一株あたりの価値」については、ニンジンやジャガイモのように、持って触って価値を判断することはできません。それなりの知識が必要なのです。

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ちなみに僕は、そんなセミナーを知りませんけれど。

次回合宿セミナーは、大阪開催。その次は、東京開催です。読者の皆様と、二日間を共に学び、共に過ごすことを当事務所のパートナー、および過去の卒業生一同楽しみにしています。

どうぞよろしくお願いいたします。

PS^2:
本文の続きになりますが・・・

たとえば、当事務所のセミナー「価格だけ」を見て、「高い!」と思ってしまう人は、単なるシブチンだと思います。

「28万円のセミナーが高いか安いか」と聞かれて、「高い」と答える人も、「安い」と答える人も、どちらもイケてません。(笑)

だって、「100万円の車が高いか安いか」と聞かれても、それが新車のレクサスなのか、中古の軽自動車なのかが分からなければ、なんとも判断しようがないわけですから。





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