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ITAKURASTYLE「真似をすることは不幸の始まり」

政治や経済を論じるとき、決まって、
「欧米では・・・」とか、
「先進国の中では・・・」とか、
他国の「やりかた」を参考に「すべき」といった主張が見られます。

確かに他国のやり方を「ひとつの参考」にすることには価値があるでしょう。
しかしながら、それらを参考にするうえで、忘れてはならないことがあります。
1、それぞれの国の置かれた条件が「まるで違う」
2、それぞれの国を構成する国民の価値観が「まるで違う」
という点です。

たとえば、フランスやドイツ、そして米国の「食物自給率」は、わが国それとは全く違います。
たとえば、米国の国土の広さは、わが国のそれとは全く違います。
たとえば、サウジアラビアの持てる資源は、わが国のそれとは全く違います。
そして、諸外国の国民が有する価値観は、わが国のそれとは全く違います。

これらの違いを無視し、他国の「良いところだけを見た主張」には、呆れると共に、主張する者の安易さ、不勉強さを感じざるを得ません。

国内に目を移しても、同じことが言えます。
豊かな源泉の沸く温泉地は、そもそも温泉という自然の恵みが経済や人の営みを支える根源となっています。
人の集まる都心では、人と人のコミュニケーションが、それを担っています。
これらの「違い」や「特質」を軽視し、「都心へ右ならえ」をやっていたら、本来その土地が持つ豊かさを犠牲にして、「都心には及ばない都心」を作り上げるだけで、「都心には及ばない都心」へわざわざ出かける人も、「都心には及ばない都心」で、わざわざ暮らそうと思う人は激減し、その地域の生活も経済も成り立たなくなってしまいます。

今、私達生活者が考えなければならないことは、
それぞれの地域の価値観や、置かれた環境を、そこで暮らす人のために「上手に利用する」事なのであって、「どこかのまねをする」事ではないはずです。

以上の考えは、人、一人ひとりにも当てはまります。

経済的に貧困な家庭に育った人が、裕福な家庭に育った人の「真似」をしていても、
健常でない者が、健常者の「真似」をしても、
その結果は、格差が「固定化」することになってしまいます。

僕の場合、社会が付ける一般的なレッテルは、
1、高卒
2、43歳でバツイチ子供なし。
3、40億円程の負債を抱えて自己破産。
4、実家も特に裕福ではない。
などといったネガティブなレッテルでしょう。
しかし、僕は、「過去の失敗」を、素直に受け入れ、その後の人生のために「利用」しています。
その結果、経済的な知識(とりわけ企業を見る目)は、過去の失敗によって人並み以上に成長し、他人に価格をいただきながら教えるに至りました。

何事も、「起こってしまったこと」を取り返すことはできません。
ならば、置かれた環境を、「むしろ利用する」と考えることの方が、合理的だと思います。

まずは自らが置かれた環境についてしっかり理解する。
その上で、他人、他の地域、諸外国などのオペレーションを参考にする。
この過程が吹っ飛ばされたら、ろくなことにならない、と思います。

格差の「固定化」の本質的原因は、制度でもなく、法律でもなく、「本人の中」にあると、経験的に僕は確信しています。

2007年2月19日 板倉雄一郎





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