何か問題が連続的に起こると、人は「制度」に原因を求める傾向にある。
しかし、問題を解決するはずの新しい制度を実施することによって、
短期的には、「その問題」を封じ込めることができるかもしれないが、
新しい制度の網を潜って、制度の意に反した行動をする者が出てきて、
そのうち、その方法が一般化して、制度としての効力を実質的に失う。
たとえば、
「闇金融」を法制度によって排除することがある程度可能だが、
結果として「振り込め詐欺」が横行するだけ。
たとえば、
経済的格差問題の解決を、「税の取り方」に求めても、
「賢い人間」は、新しい節税方法を考え実行するだけだから、
いつまで経っても(=どれほど制度改革を繰り返しても)、
「賢い者」が、経済的モノサシで言うところの「格差上位」になる。
(場合によっては、金だけでも海外に逃げ出してしまう。)
たとえば・・・を書き出したらきりがない。
「制度は必要ない」などと主張しているわけではありません。
制度変更だけでは、根本的な解決にはならない、と主張したいわけです。
極端なたとえではありますが・・・
僕が、「殺人」をこれまで行わなかったのは
「殺される人自身やその家族の身になってみて、
自分がそんな目に遭いたくないと思うから」であって、
決して、
「刑が重いから」でも、
「誰かを殺したいと一瞬でも思ったことが無い」からでもないわけです。
根本的な問題解決方法は、いつも書いているように、「教育」しかないわけです。
企業の管理体制の問題によって不祥事が起こるが、
「社内規定」なる社内の制度を変えただけで、問題が発生しなくなるか?
きっと問題は発生し続けるでしょう。
ここで言う「管理体制の問題」とは、
表面的な「管理するための制度の問題」のことではなく、
管理体制の運用を構成する「人」の教育やモラルの問題なのです。
世界を旅すれば、私達日本人でもびっくりするぐらい、
「日本製」は高く評価されています。
そのおかげで、私達はエネルギーや食料を海外から買ってくることができるわけです。
それって、「日本の制度」が優れているからでしょうか?
今、「制度改革」が話題になっています。
まるで、「魔法の杖のような制度」を見つけられると皆が信じているかのようです。
そんなもん、あるわけないのに。
それが家族であれ、企業であれ、国家であれ、
地道に「人を育てる」以外に、私達がハッピーになる方法など無いのに。
2007年3月21日 板倉雄一郎
PS:
制度に解決策を求める行為って、どこか「時価総額経営」に似ています。
本来、時価総額を担保する株主価値の増大を市場が評価して初めて株価が形成されるというのに、価値はさておき、テクニカルに価格だけを吊り上げようとする行為は、大変愚かなことだと思います。
当然、そんなやり方で創り上げた「価格」を長期で維持することはできないわけです。
本質的な解決にはならないわけです。
本質的な「価値」を増大させるには、時間がかかります。
時間がかかる理由は、「人」による価値創造が必要だからです。