先日のITAKURASTYLE「多すぎる私たち」に対して、
ある読者(←読者としてのお得意様)から、意見をいただきました。
以下、本人の許諾を頂き掲載します。
先日のエッセーの、
「少子高齢化の本質的原因は、私たちは多すぎると、
私たち自身が本能的に感じているからではないかと、僕は思うのです」
というフレーズに対して・・・
そうですよね。
前に私もそんなことを書いたことがあります。
東京に行くと特にそう感じます。
人、人、人・・・・まるで「人」以外の生物はこの世にいないみたい・・・
我が家の辺りは、まだ、田舎なので、今日は朝から、
黄色や白のモンシロチョウ、茶色や黒のアゲハチョウが、次々と庭にやってきて、サッシを開けるとカマキリが待っていたし、スズメはチュンチュン、キツツキがギーギー、こんなことを書いていると、カラスまでやってきて、カーカー、うるさい。
地球って、本当に多様な生命に溢れたにぎやかな星なんだ・・・と実感します。
この前、アフリカの飢えている人々にと子供の頃から寄付していた女性が、いったいいつまで、アフリカに寄付をしなければならないんだろうと、ブログでぼやいていました。
自分の寄付が、アフリカの人口暴発の一端を担っているのでは、と疑問に思ったらしいです。
人が増えることを喜ぶ時代はとっくに終焉を迎え、豊かな自然を増やし、動植物を増やさなければならない時代になっているのに、まだ、「産めよ、増やせよ」なんて・・・
それこそが国益と思っているような国では、生命はかえって、軽んじられている。
日本でも、少子化といわれて久しいのに、
せっかく生まれた子供たちが虐待され、殺されていく・・・・
成熟した文明が緩やかに人口を抑え、他の種と共存して行く――
そんな未来を見せる国がまだ無いから、ただ、子供の数さえ増やせば、安泰と思い込んでいる。
だいたい、少子化が問題なのは、老人を養う財源を無駄遣いしてしまったからとしか思えないし。
子供が少なくて老人が多くても、幸せな国になれる。
そんなビジョンを示せるリーダーの不在こそ、問題ですよね。
全く同感。
人口が増大し、GDPの「総額」が増大することを「前提」にした政策とは、
要するに「問題の先送り」に過ぎないわけです。
その付けこそ、私たちや私たちの子孫に押し付けられた負債です。
僕は、
「その環境が許容する範囲の生活」こそ、
私たち自身のゴーイングコンサーンだと思うのです。
2006年10月31日 板倉雄一郎