板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURASTYLE「悲観的に見える楽観論」

「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし、
心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、
勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。
己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。」

徳川家康公遺訓

 

僕が歴史上の人物の中で、最も尊敬する徳川家康公の言葉です。

この言葉、出だしが「人生、重い、遠い」と始まるので、行動ファイナンスでいうところの初頭効果(Primacy effect) なのか、文章全体としても、「人生は、結構大変だぜ!覚悟しとけよ!」といった「暗ぁ~い」印象を受ける方もいらっしゃるのではないかと思います。

しかし、大きな失敗(それは、事業の失敗でも、大失恋でも、その人にとって大きな失敗であれば、他人の失敗との規模の比較を必要としません)を一度でも経験したことのある人(←つまりすべての「大人」)にとって、この言葉ほど、過去の失敗の消化と、先々の人生に対する希望を与えてくれる言葉はないと、僕は思います。

家康公に「叱られている」ように感じる言葉なのに、不思議と将来に希望を持てる言葉です。

とはいえ、常にこの言葉を意識し、この言葉の教えどおりに振る舞うことができているのか「お前は!」と自分自身に問えば、「ぜんぜんできていない」自分に気がつきます。

ちょっとしたことでも自分の身の回りの不具合、不都合に不満を持ちますし、

つい成果を焦り、継続不能なほど急ぐこともありますし、

ちょいとことがうまく運べば、すぐに「もっともっと」と色気を出しますし、

親しい関係であるほど、ちょっとしたことで怒りを覚えることがありますし、

勝つことばかりに能力を使っている瞬間に空しさを感じることしばしばですし、

自分はさておき、他人の批判ばかりの自分を恥じることは、年中ですし、

つまり、この言葉の価値を見出しているにもかかわらず、それが自分の心に染み付いていないことを、この言葉を読み返す度に、感じるわけです。

だからこそ、僕にとって、この言葉は、非常に大切な言葉なのだと思います。


話、少し変わりますが・・・。

「私は、失敗したことが無い」と主張する方を見ると、以下のいずれかの意味で、不幸だと思います。

一つは、「己の失敗を認識する能力が無い」という意。

おそらく、失敗したことが無い人など、この世に存在しないのだと思います。だとすれば、失敗を認識し、吟味し、将来に生かすチャンスを生かせない人は、不幸だと思います。

一つは、「己の失敗を公にする勇気が無い」という意。

おそらく、大半の人は、己の失敗を公にすることをためらうでしょう。けれど人間の「触覚」は、普段私たちが意識しているより遥かに鋭いと思うのです。だとすれば、どれほど己の失敗を隠したところで、周囲にはバレバレになるでしょうし、なにより、バレバレなことをひたすら隠そうとする姿勢は、周囲から幻滅されることにつながるのではないでしょうか。やはり不幸だと思います。

話、戻りますが・・・。

家康公の言葉は、あらゆる人の、あらゆる人生をハッピーにする極めて網羅性の高い「楽観論」だと思います。

勇気を振り絞り、リスクに立ち向かおうとする人にも、

その結果、成功を収めた人にも、

その結果、失敗してしまった人にも、

解決不能な不都合に直面している人にも、

努力次第で解決可能な不具合に立ち向かおうとする人にも、

焦って同じ失敗ばかりしている人にも、

有頂天になっている自分に不安を感じている人にも、

人生に希望を見出せず、うつになっている人にも、

とにかく、どんな人の、どんな状況においても、この言葉に価値を見出すことができると思うのです。

以上、読者の皆様の参考になれば幸いです。

2008年5月23日 板倉雄一郎

PS:

現在、「オープンセミナー」の受講者募集を行っています。
詳しくは、オープンセミナー案内ページをご参照ください。

断っておきますが、オープンセミナーでは、このエッセイの本文のような話をするわけではありません。あくまで、ファイナンス、企業価値評価、株式投資などに活かせる知識に関する内容です。

宗教団体ではありませんから(笑)





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