板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURASTYLE「失敗から学ぶ」

僕は、小さい頃、好きな女性が出来るたび、
「彼女の心が読めたらいいのに」と思っていた。
それが出来れば、彼女の欲しいものを提供できるし、
結果として、彼女の心を掴むことが出来るだろうと、思っていた。
今思えば、愚かな願いだった。

時が経ち、経済を考えるようになった。
すべての経済活動は、「人の心」が動かしていること、
すべての経済的取引は、
「誰かの価値と、誰かの価格の交換」であり、
「(短期での)誰かの利益は、誰かの損失(=つまりゼロサム)」であり、
「プラスサムを得るには、人が働き、価値を生み出すための時間が必要である」
ということに気がつくことができた。
そして、今では、その現象を、数式や理論で表現することもできるようになった。
もちろん完璧ではない。
そもそも「人の心」が動かす経済現象を完璧に表現することなどできはしない。
だからまだ先は長い。
それでも僕には、考える時間と過去の特殊な経験があるから、広く一般の方々より、精通することが出来ていると思う。

で、僕はハッピーか?
実は、全然ハッピーではない。
大衆メディアのコメンテータによるインチキ発言を、インチキだと見えてしまう。
専門誌でありながらも、十分ではない知識がもたらした間違いを見抜けてしまう。
大衆の心をイタズラしながら、一時の富を掴もうとするインチキビジネスが見抜けてしまう。
そして、大衆がそれに気がつかないことさえも、見えてしまう。
これらは、僕にとって苦痛以外の何者でもない。
出来ることなら、美しく、心和む風景に接して居たいからだ。

死ぬまで何も知らず、
異性やカネや所有を追いかけることの方が、
もしかしたら幸せなのかもしれない。

しかし、何も知らずに生きる人が死ぬまで幸せであるために、
知っている人間、見えている人間は、その知識や経験や洞察を、
何らかのカタチで社会に還元しなければならないのではないだろうか。

知識を広めるのでも良い。
知識をベースに、政治や経済や医療などの分野で活躍するのでも良い。
いずれにしても、
個人が得られた経験や知識は、間違いなく、社会から授かったものだ。
それをタンスしまっておいたり、自らの所有欲のために行使するということは、
社会に対する裏切りではないだろうか。

今更、何も知らない人間には戻れない。
だから、せめて「社会の役に立っているはずだ」と思って居たいのだ。
もちろん、その自信を得るために、
僕自身の考えに対する検証は、死ぬまで続けるつもりだ。
そして常に、過去の自分の間違いに気づき、修正し続けるのだろう。


本日、ある季刊雑誌の取材を受けた(受ける予定だった)。
この雑誌で僕の過去の失敗と、その後の復帰を扱うといことだった。
取材者は、この雑誌を発行する企業に所属する人間ではなく、この発行元企業から依頼を受けた専門職の人間だった。

彼から、取材導入の部分で、ライブドアショックに関する前振りを頂いた。
そして、僕は、僕の持論を唱えた。
彼は、僕の持論に、異を唱えた。

反論は、大いに結構、いくらでも受けて立つ。
ただし、反論が、感情的であってもよいが、非論理的であれば、実につまらない議論にしかならないから時間の無駄だ。

いくつかの非論理的な反論に対する論理的な僕の反論が続き、場は乱れた。
少なくとも僕には、彼の主張に一切の論理性を感じなかった。
この時点で、取材をお断りしようと決めていた。
なぜなら、とんでもない記事を書かれるリスクを感じたからだ。

それでも、なんかの役に立つだろうと、僕はライブドアショックをファイナンスの側面で観た場合の解説を始めた。
するとこうだ・・・
「あんたは経済学者でも無いくせに・・・」
「あんたの講義を聴きに来たのではない・・・」
などと、のたまい始めた。

もちろん、彼がそんな言葉を発したのは、僕の発言や態度にも問題があったのだろう。
そして、そんな僕の態度は、少なからず相手の影響を受けた結果なのだろう。

しかし、場が破綻する少し前の彼の一言・・・
「あなたの取材なんてしなくても、いいんだ。」

この言葉には、参った。
もちろん、取材はお断りした。

(↑ 以上は言葉の細部まで完璧に表現されていません。先方はテープを回していましたから、正確にはそのテープに残っているでしょう。)

でも僕は時間を無駄にしたくない。
だから、起こってしまったことから、何かを学び取りたい。
で、わかった。
まさに「馬鹿の壁」。
わかろうとしない人、それが不可欠だと気が付かない人に対し、
こちらから無理やり伝えようとしても、意味が無い、ということだ。
自分も相手も気分を害す。
互いに相手の気分を害すことが目的ではなかったはずなのに。
これは、結果として起きてしまった「マイナスサム」に他ならない。


今振り返る、淡い恋心を持った小学生の頃の僕に、
今の僕が、もしアドバイスをするならば・・・

「すべては成るように成る。
だからせめて自分の心に素直に従え。
その心が社会のためになると自信を持てるならば、
お前の本当の願いが叶うはずだ。
所有欲や支配欲に囚われるな。
その欲は、おまえ自身を滅ぼす。
お前の価値に気づかない相手は、お前にとっても価値が無い。」

人生の資源の中で最も貴重なのは時間です。
時間を有効に使うというのは、セコセコ動き回ることではありません。
既に起こってしまったことからも、たくさんの学習が出来るということ。
書物には確かに価値がある。
しかし、自分自身の過去ほど、多くを教えてはくれない。

結局、中学を卒業するまで、好きな娘と、それなりの関係になることは無かった。
彼女の心が見えなくてよかったと、今では思う。

(以上の表現は、当たり前ですが、僕の側から観た印象であって、先方から観れば、また違った過去であろうことを、お断りしておきます。)

2006年2月7日 板倉雄一郎

PS:
言葉の最後には、「FUCK」もしくは「LOVE」が付いていると思う。
多少卑劣な表現でも、その言葉の最後に「LOVE」が付いていると感じれば、それをアドバイスだと受け止めたい。
もちろん、合理的な意見であればの話ですが。
このところ頂く読者からのメールには、常に「LOVE」が伺える。
(↑ 能天気ですから僕)
凄くうれしい。
わかってくれる人、理解したいと思う人、を大切にして生きたいと思う。

上記の取材者の言葉には「FUCK」が付いていると、僕は感じた。
僕の主張を、鼻で笑いながら聞いていた。
経済学者というタイトルを持つ者の発言なら、鵜呑みにするのだろうか。

PS^2:
今日は「仏滅」だ。
僕は、占いは信じないが、「宇宙のリズム」はあると思っている。
それを、「ババ抜きゲーム」に応用しようとは思わないが。

そうだ「仏滅」の次の日は、決まって「大安」だ。

PS^3:
そろそろ一息いれよっかな。
このところヒートアップしている自分が見える。
継続できなければ、何の意味も無い。
ウサギより亀の方が僕には合っているから。

PS^4:
そういえば、今思い出した。
この取材者は、僕に関する他の媒体の記事をたくさん持っていた。
しかし、「社長失格」も、「おりおば」も持っていなかった。
挙句の果てには、このブログは一行も読んでいない。
その上で、取材? そもそもこいつはプロじゃない。

板倉雄一郎事務所が、上場企業の企業価値評価を行うとき、
証券会社のアナリストの評価など参考にはしない。
当該企業の発表する生データをベースに、評価を行う。
そうでなければ、我々の価値が無い、と考えるからだ。





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