正社員か、アルバイトか?
正社員が減らされ、アルバイトが増えることはよくないことだ!
などという議論が昨今盛んです。
格差の「固定化」が、社会の活性化を阻害するという議論から、
以上のような雇用形態の変化についての議論が生まれたのだと思います。
格差の「固定化」が、よろしくないのは当然ですが、
その大きな原因が、
雇用形態そのものにあるとの前提に基づいた議論には「?」です。
なぜなら・・・
そもそも、「正社員」や、「アルバイト」というのは、
企業という集団と個々の従業員の「契約の形態」に過ぎないわけです。
正社員であろうと、
企業という集団から「いただく価格=賃金」に見合った価値を、
企業に対して提供できなければ、首になるわけですし、
一方、アルバイトであろうと、
その企業が欲しがる価値を提供できる人材であれば、
ある程度被雇用者の報酬や労働環境に対するリクエストは、
企業に受け入れられるわけです。
場合によっては、十分に価値を提供できるが、
「アルバイトのほうが気楽だからいい」と、
被雇用者自身が、その雇用形態を望むことすらあると思います。
つまり、
契約形態がどうであれ、
労働者が価値提供のチャンスを拾い、
収入を増やし、結果としてハッピーになるために必要なことは、
当人が、
企業を通して社会に提供できる価値を増大させること、
以外にないわけです。
労働者に限らず、投資家であれ、経営者であれ、この理屈は同じです。
アルバイトだからと悲観的になる必要もなければ、
正社員だからと、喜ぶ根拠もないわけです。
雇用形態によってハッピーに違いが生じると思うこと自体、
企業という「様式」に囚われ、
企業の社会に対する真の役割を見失った愚かな考え方でしょう。
しつこいようですが、雇用形態がどうであれ、
価値を提供できる人間は、その分だけ収入を得ることができ、
そうでない者は、雇用形態がどうであれ、淘汰されてるのです。
だからといって、「弱者排除」を訴えているわけではありません。
もてる財力が、すべてを決定してしまう格差「固定化」社会にならないように、
市場原理とはまるで正反対の「税制とその配分」によって、
あらゆる人に、活動のチャンスを与えるべきだと思います。
僕は、格差の根源は、「当人の持てる知識」に依存していると思います。
そして、
現在の「当人の持てる知識」は、
過去の「学ぼうとする姿勢」に依存していると思います。
よって回帰的に、
現在の「学ぼうとする姿勢」によって、
将来の「当人の持てる知識」に違いが生じ、
遠い将来のハッピーの違いになると思います。
つまり、教育抜きに、国家のヴィジョンを実現することは不可能だ、
というわけです。
その前に、ヴィジョンそのものが大切なわけですが。
僕が思い描くビジョンは、「最適配分社会」です。
簡単に言えば、
「やった分だけ儲かる社会」であり、
「働かざるもの食うべからず社会」です。
それが合理的であると気がついた人、一人ひとりが行動を始めれば、
その実現は、決して、難しいことではありません。
私たちの生きている環境(=資本主義社会)について、
私たちの多くが理解し、真っ当な行動によって参加すれば、
結果的に最適配分社会は実現できます。
とにかく、大切なのは知識です。
すでに判明している知識なら、さっさと吸収したほうがリーズナブルです。
2006年8月27日 板倉雄一郎
PS:
「サンデープロジェクト」を久々に観ていました。
(自分が出ているときは、少なくとも生では観れませんからね)
伊藤忠の丹羽さんが出演していました。
彼の発言・・・
「企業の存在意義」、
「日本国の置かれた現状・・・資源を諸外国に依存している」など、
多くの点で、僕の考えと一致していました。
とてもうれしく思いました。
(だからといって、伊藤忠の経営のすべてに対して納得というわけでもありません。)