このところ、飲食店をはじめとする、「誰が見ても仕事してることが一目瞭然(=顧客に対する価格を裏付ける付加価値が一目瞭然)」の事業を観察することが趣味(というか癖)になりつつあります。
有価証券報告書に記載されたビジネスモデルやスージを頼りに、投資対象としての企業像を頭の中で構築することを繰り返していると、結果としてのスージの把握や、スージの上からの将来業績予測は可能になりますが、企業価値を創造する「源泉」、つまり、そこで労働力を提供する従業員の姿、彼らが作り上げてきたモノや仕組みといったシステム、彼らが生み出す価値に価格を支払う顧客像、彼らの活動を支える債権者や株主の姿、そしてすべての利害関係者への利害調整および現在のお金と将来のお金のバランスを考え意思決定を繰り返す経営者…。
そんな企業にかかわる「人間」の本当の姿に接する機会が減り、どこか「頭でっかち」な企業価値評価に偏っているような気分になります。
スージや理屈は、投資対象として価値評価する上で「最低限必要な知識」ではありますが、それだけで「人間によって構成される企業」の真の姿を把握することができるわけではありません。
2005年以前(=理論的な評価方法をお伝えする現在の事業を始める前)であれば、少なくとも今以上に「現場」に関心を持っていましたし、実際に「この眼」で確認することによる情報に重きを置いていました。つまり当時の活動は、他人に理屈や知識をお伝えすることより、自分自身の投資活動のために様々な情報収集~分析していました。
過去を振り返れば・・・
鉄スクラップを満載したトラックの渋滞が慢性化しているのを「この眼」で見て、その上で該当する電炉系鉄鋼企業のスージを分析した上で投資を行い、実際にゲインを得たことがありました。
スージのスクリーニングによって見つけたある資本効率の高いアミューズメント施設運営企業を分析したところ、「これは(株主として)いい企業だ」と判断し、その企業が運営する店舗にわざわざ出向き、顧客や従業員と接することにより投資対象としての確信を持った上で投資を行い、実際にゲインを得たことがありました。
自分が顧客として実際に商品を購入し、非常に満足した上で、その企業のスージを分析し、競合他社との、商品の上でも、資本効率の上でも比較を行い、株価の方から「私は安すぎる」と訴えている声を聞いた上で投資を行い、実際にゲインを得た自動車会社もありました。
ふだんから常に接するITサービス企業を、自らが過去に経営していた企業で(失敗していなければ)実現していたであろうサービスとして高く評価した上で投資を行い、実際にゲインを得た企業もありました。
残念ながら、以上の過去の投資対象は、その後の「価値を無視したミスターマーケットによる相当な割高(=保有を続けキャッシュフローを受け取り続けるより、今キャッシュに変換することの方が合理的な株価)」の状態が継続したことを受け、多くは売却してしまいました。
(↑ 「残念ながら」という表現は、実際のキャピタルゲインを得たという結果から意外に思われるかもしれませんが、売却によって運用されない現金を保有することになってしまうのは、やはり「残念ながら」という表現が相応(ふさわ)しいと思います。もちろん、もっとリターンの見込める再投資先があれば、「幸運にも」という表現が相応(ふさわ)しいと思いますが、2008年3月の株価水準でも、投資家にとって十分魅力的な企業の場合、十分な割安とは思えず、結果的に投資機会を損失しています。)
要するに、『百聞は一見にしかず』ということなのですが、スージの分析手法を伝える事業を続けることによって、「頭でっかちさ」が加速したことを、今反省している次第です。
実は、このところ運用されていない現金を、何とか運用したいという「あせり」がある一方で、一向に実際の投資に「踏み切れない」状態が続いています。
しかし、以上のように、「この眼」で投資対象を観て、右脳で感じ、それとセットで左脳によるスージの分析を行うことによって、投資対象に対する確信を持つことができていたからこそ、ミスターマーケットに翻弄(ほんろう)されず、投資に踏み切れた昔に比べ、現在は、スージにばかり頼り、結果的に投資の意思決定ができない状態になっているのだと思います。
『だから投資判断が曖昧(あいまい)になっているんだな』
やっとそれに気がついたことは、「幸い」です。
以上に気がつくに至ったのは、冒頭に書いたように、ふだんの生活で接する機会の多い、飲食店やサービス業の「規模は小さいが順調に成長している企業」、に興味を持つようになったことがきっかけでした。
せっかくですから、二つのケースをご紹介します・・・。
僕はこの10年、愛犬の病気治療や健康管理のために、自宅近くの「かつまペットクリニック」という獣医に通っています。きっかけは、朝夕に愛犬を連れたペット愛好家が集まる場で、この獣医の評判が良かったからです。
10年前、マンションの1階で、獣医は院長が1人、受付など事務作業に1人か2人、診察室は1つという、どこにでもある細々と営業するクリニックでしたが、その後、評判が評判を呼んだのでしょう、現在では、獣医は5~6人、事務員は3~4名、診察室は3つ、加えて最新設備の手術室、入院施設などが完備された一戸建て(←よくある2階が院長の自宅で、1階がクリニックというスタイル)に成長しています。
最近、増加した獣医などの従業員の休暇場所として、同じ土地の中に従業員休息施設として別の一戸建てを建設中です。さらにこのクリニックの駐車場は、保有する土地の中に7台分、それでも足りず、隣接する月極駐車場を数台分専用駐車場として賃貸しています。
獣医の人数が増えても、それを上回る顧客増のおかげで、待合室での顧客からは、「待ち時間が長すぎる」という不満の声が絶えない状態です。
ペットブームだからね。という声もあるかもしれませんが、すべての獣医がこの獣医と同じように成長しているわけではありません。少なくとも僕の自宅周辺では、この獣医がほかの獣医を圧倒しダントツに成長していますし、相変わらず(待ち時間が長いこと以外には)、極めて評判が良いのです。(←とはいえ実際に診察されたワンコの意見ではありませんが)
もちろんこの僕も、この10年、この獣医にお世話になり、飼い主としては非常に満足しています。
もう一つのケースは、これまた自宅近くにあるお鮨屋さん「吉光」です。
この店に10年以上通うことになったきっかけは、自宅から歩いて数分だからというお粗末な理由です。でも、ふだん車で移動する僕にとっては、「酒を思いっきりのめるロケーション」という意味では極めて重要な要素です。
全く同じ価格なら、わざわざ新橋まで出かけて「第三春美」の鮨を堪能(たんのう)することを選ぶでしょうけれど、自宅近く、そして、十分に、「価値 > 価格」であるこの店は、僕にとって極めて重要なお店の一つです。
ネタはすべて天然モノ、特に秋から春にかけての「天然トラフグ」は、東京の一流店にも劣らない、すばらしいネタです。というか、僕はふぐならこの「吉光」が一番だ、と思っているぐらいです。
この店もまた、先の獣医と同様、僕が通い始めた十年前には、「その土地に入る店は、すぐに営業に行き詰まり、常に店がコロコロ変わる縁起の悪い場所だ」と近隣住民から噂される場所にて、これまた細々と営業していました。
座席数は十席程度、カウンター中心のお店で、板前も大将と弟子という感じの若手が数名、お茶くみ&お会計の恐らくアルバイトの女性が一人といった、こちらもどこにでもありそうなこぢんまりとしたお店でした。
住宅街ということもあり、近所には、この店より(少なくとも店構えとしては)はるかに規模の大きなお鮨屋さんが幾つかありました。
しかし、それから10年後の現在、このお鮨屋さんの本店は、これまた先の獣医の場合と同じく、1階店舗、2階は大将の自宅として増築され、10名以上のキャパがある座敷の個室が3つ、個室でない座敷が20名分以上、そして15名以上のキャパのカウンター、地下には冷凍庫、それでも足りず近所の倉庫にも冷凍庫、厨房専属の板前が数名、カウンターで鮨を握る板前が数名、10台以上のキャパの専用駐車場、そして本店とは別に廉価店としての立ち食い店舗を、JR船橋駅の北口側と南口側に出店と飛躍的に成長しました。(もちろん、スージは観ていませんから、手放しで成長と断言することはできませんが、恐らくはスージの上でも成長しているでしょう)
キャパが増大したにも関わらず、特に週末や祭日のディナータイムは、常に満員。住宅街だというのに近隣住民だけではなく、少し離れた場所からの常連客もたくさん来店する状況です。
さて、先にご紹介した獣医、そしてこのお鮨屋さん、同業他社といったい何が違うのでしょうか?
また、異なる業種で同様に成長した二つのケースの共通点は何なのでしょうか
以下僕なりに観察した「成長の理由」について書いてみたいと思います・・・
結論から先に記せば、
『規模の成長を背景にしても、経営者の姿勢に変化がない。
しかし、必要な資源は柔軟に調達する。』
これが、上記二つのケースの共通点ですし、また、泣かず飛ばずのお店との違いです。
「かつまペットクリニック」の院長は、診察時、どれほど混雑していても、ひとつ一つの診察と治療に十分な時間をかけます。(したがってどんどん待ち時間が長くなるのですが)、しゃべりすぎず、しかし顧客の質問には穏やかな口調でしっかり答える。そして獣医としての質を高めるために、繁盛している現在でも、専門的な知識や経験を積み上げるために、様々な学会などに出席しているようです。
また、「吉光」の大将の場合、僕がワンコを連れて近所を散歩する早朝に、ほぼ毎日、かっぽう着に下駄というお決まりの格好でひとつ一つのネタのチェックを行っている姿を目撃しますし、営業時にはどれほど混雑していても、ひとり一人の顧客との会話を忘れませんし、お決まりコースはほかの板前にまかせても、カウンターにて黙々と刺身とその盛り付けに勤しんでいますし、そもそも「味」は、年々向上しているようにさえ感じます。
『そんなの当たり前じゃないか』と思われる読者もいらっしゃるとは思いますが、大切なことは、そんな姿勢が、細々と営業していた10年前と、売上げ規模にして恐らく10倍ぐらいに成長した現在も、「全く変わらない」というところです。
『住宅街の店舗の場合の話でしょ。グローバルカンパニーに成長する場合は、必ずしも経営者の姿勢に一貫性が求められるとはいえないでしょ。』と思われる読者もいらっしゃるとは思いますが、僕はそうは思いません。
例えば、ビル・ゲイツ氏の場合、彼が起業したマイクロソフトがあらゆる意味で「世界一」になったときも、『自分は技術者である』と主張していましたし、10年ほど前になりますが、僕が実際に一時間ほどお会いしたときも、『この人は技術者なんだな』という感想を持ちました。
トヨタ自動車の取締役は、いい年こいて(笑)、自社の車のアクセルを高速道路で底まで踏み込むドライブに魅了されているようですし、
本田宗一郎は、死ぬまで頑固な技術者だったことは周知の事実です。
このような例を挙げればきりがないほど、成長する企業のトップの共通点に、規模の成長に左右されない強固な事業に向かう姿勢を継続しているという点を見て取れます。
しかし、規模の成長に伴い、必要なリソース・・・例えば業務全般を取り仕切る人材であったり、お金を管理する人材であったりを、柔軟に調達する姿勢もある。逆にいえば、そういった規模の成長に伴い必要となるリソースを柔軟に調達するからこそ、経営者自身は、変わらぬ姿勢のまま、成長において「最も重要な部分」に没頭し続けることができるのだと思います。
ウォーレン・バフェット氏は、世界一の長者になった現在でも、10代の頃と変わらず、毎日企業の発表するアニュアル・レポートに目を通しています。
「世界一の投資家」とは、この60年間、投資姿勢を崩さず、一貫した活動を続けた「結果」にすぎないのだと思います。
IT技術者が時流に乗り、まんまと株式上場を果たした結果、何やら勘違いして、自身が育てあげた企業という器を利用したマネーゲーマーに変貌してしまうケース、よく見かけます。
マネーゲームにおぼれる人は、いずれマネーゲームの餌食(えじき)になります。
何らかの人を魅了する部分に「だけ」目をつけたマスメディアに誘われ、いつしか本業を忘れ、自分はタレントだと勘違いしてしまう人、よく見かけます。
マスに飽きられ、マスメディアに見放されたとき、既に本業での価値が失われていることでしょう。
もちろん、様々なチャレンジを続けることによって、本来の居場所を見つけることを否定しているわけではありません。しかし、自分を育ててくれた環境、自分が成長できた分野、それを忘れ、ホイホイと立ち位置を変える人が、継続的な成長を得ることは少ないのではないでしょうか。
本日のエッセイの締めくくりは、
『かくいう僕自身が、そのイケテナイ人間の一人なのではないか』
という反省です。
上記の、ある意味「当たり前」の経営者の姿勢に、僕がものすごくインスパイアされたのは、僕自身が、彼らのように一貫性のある生き方を忘れているからにほかならないのだと思います。
ちょいと需要が高まっただけで、それまでその需要増の根底にある価値の増大(←つまりは、ひとつ一つの企業価値評価や投資活動を通じて、知識や経験を積み上げ、それを言葉で伝える行為)に勤しむ姿勢を少々忘れ、集客や業務にばかり神経が向いてしまっていたように思います。
上記のイケテル経営者の場合、規模拡大によって業務が煩雑になれば、それを効率よく行う人材を調達しながら、マーケティングの必要が生じれば、マーケティングに精通した人材を調達しながら、自身が行うべき本当の仕事に集中できる環境を作るでしょう。
自分に足りないモノ。
それは、知識や経験もさることながら、一貫した信念と、それを継続する力、つまり経営者として、投資家としての「姿勢」にあるのだと、実業に勤しむ彼らから学んだ次第です。
メディアのインタビューや、書籍の読者、セミナー受講生などから、
『また起業しないのですか?』
という質問を受けることが多いです。
また、現在のセミナーを中心にした事業を、『虚業だ』とおっしゃる方もいらっしゃいます。
はっきりいって、どちらも大変失礼な表現だと思います(笑)
板倉雄一郎事務所の活動は、確かに細々とではありますが、自分を追い込まない範囲で、確実に顧客に対して価格以上の価値を提供できる範囲で、それなりに努力しながら行っている「事業」ですし、ある意味一つの起業でもあるのです。
確かにその昔、チャレンジして失敗したような、ドラスティックなベンチャーではありません。
しかし、その失敗から、自分の力量を悟ったとでもいいましょうか、失格社長がまた無謀なチャレンジを行うことによって、利害関係者に損害を与えることを恐れる自分がいます。
一見、「怖気づいたイケテナイ奴」に見えると思いますが、今、自分の力量を把握し、身の丈にあった事業を展開することに「留(とど)めている」自分を、それなりに高く評価しています。
売上高の成長は、ほとんどありません。この数年横ばいです。
しかし、セミナー卒業生は、着実に増えています。
財務的な数値では計り知れない「成長」が、今の事業にはあります。
スージで観た成長のためだけに、背伸びをした経営に移行するつもりはありません。
断っておきますが、現在の活動は、立派な「実業」と自負しています。
後は、どれほど、僕自身が一貫した考えで活動を継続できるかに依存すると思います。
以上、最後は自己完結的な内容になってしまいましたが、読者の皆様の参考になれば幸いです。
2008年5月14日 板倉雄一郎