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ITAKURASTYLE「食べ物を考えよう」


最初に断っておきますが、僕は、食品や食料問題について専門的な知識を持ち合わせているわけではありませんので、以下の文章については、認識不足、調査不足の可能性があります。
巷では、食品偽装の話が「メディアの横並び行為」によって盛んに話題にされています。
確かにインチキ表示はいただけません。
しかし、偽装表示された食品を食べた人が、食中毒事件になったわけでもなければ、ものすごくまずい味がしたわけでもなく、まして、「食品が手に入らない」わけでもありません。
だから、問題ない!といいたいわけではありません。
食べられるだけマシだ!といいたいわけです。

僕は、自動車を買うとき、そのシート表皮には、「牛皮」を選択します。
丈夫で、ある程度の「すべり」があり、見た目も良く、激しいレーシングドライブをしない限り最適な素材だと思っているからです。
そして、もう一つの理由は、僕が牛を食用として(誰かが牛を殺して)食べるからです。
生きるために殺して食べる。
だったら、その皮が使えるものなら、使いたいと思います。
しかし、判子の素材に「象牙」を選択しようとは思いません。
僕は、象を食べませんから、象を殺す必要性がありません。
だからといって、もし象を食料源として昔から生活している民族が居れば、彼らに対して「捕りすぎると、あんたらの食べ物がなくなっちゃうよ」ぐらいの注意をする必要を感じますが、彼らに「象は殺しちゃ駄目!」というつもりもありません。

私たち日本人は、僕が知る限り、昔から鯨を食べていました。
思い起こせば、僕の小学校の給食には、結構な頻度で鯨肉が出されました。
日本人は、主に食用のために捕鯨をしていましたが、食べるだけではなく、鯨のあらゆる部分を食用以外に利用していました。
すばらしい知恵だと思います。
しかし、いつの間にか、鯨が世界的に保護されるようになり、私たち日本人の食卓から(一部の鮨屋など専門店を除き)消えてしまいました。
「鯨は頭がいいから殺すのはかわいそう」というきれいごと。
そんなこといったら、豚なんて、ものすごく頭がいいわけです。
「鯨の種が全滅するのを防ごう」という建前。
既に、鯨は海の中で大繁殖しているそうです。
鯨は、(種類にもよりますが)日に「トン」という単位のイワシを食べてしまいます。
おかげで、イワシより食物連鎖の上位に居る魚は激減しているそうです。
「牛は、食べるために飼育し、殺すのに問題が無い」
「鯨は、保護しなければならない」
一体誰がどんな根拠に基づいて、そんな理屈を展開しているのでしょうか。
そもそも人間をはじめとする生物は、他の生物を絶命させて食べること無しに生きていくことができないわけです。
このことを、しっかり認識すべきだと思います。
(もちろん、いわゆる乱獲を肯定しているわけでは全くありません。)
以上のような食物に関する「考え方」は、世界中にもろもろの思惑があり、ひとつにまとめることが難しいと思いますが、私たち日本で暮らす人々がもっと真剣に考えなければならない食物に関する「考え方」ではなく、「事実」があります。
それは、この国の「食物自給率」です。
フランスやアメリカの食物自給率は、100%以上です。
つまり、彼らの国は、食物純輸出国です。
ドイツも、100%に近い食物自給率を維持しています。
しかし、日本の食物自給率は、カロリーベースで30%程度です。
これ、由々しき問題です。
もし、異常気象が発生し、食物純輸出国の不作が続いたらどうなるでしょうか。
自国の食物需要を満足できない事態が発生したとき、「金払うから食い物譲ってくれ」と言ったところで、どの国も売ってくれないでしょう。
石油も大切ですし、レアメタルも大切ですが、食料の方が遥かに大切です。
だって、食べなければ死んじゃうのですから。
じゃあ、どうすればいいの?
まずは、「事実」を認識し、私たち一人ひとりが食べ物について真剣に考えることだと思います。
日本の食物自給率はカロリーベースで30%程度ですが、一方で、残飯として捨ててしまう率も30%程度だそうです。
30%を自給して、70%を輸入して、その30%をゴミとして捨てしまっているのが現状です。
使っていない家電製品をコンセントからはずし節電をするように、食べる分だけ捕る、食べる分だけ作る、食べる分だけ注文する、そんなことなら直ぐにできるはずですよね。
原油価格の高騰は、日々の財布に影響しますから、皆結構真剣に考えます。
原油に依存した社会であることは誰もが承知していますから、その枯渇についても割りと真剣に(?)考えているようです。
けれど、食品については、財布の心配が無いほど、(贅沢しなければ)安いですよね。
一日の食費を1000円以下にすることも不可能ではありません。
すると、皆が真剣に考えなくなってしまうわけです。
けれど、食べられなくなってしまったら、お財布の中身を心配する余裕すらなくなってしまいます。
2007年12月10日 板倉雄一郎
PS:
昨日、いわゆるオイスターバーにて牡蠣を食べました。
僕は、ニュージーランド産の「キャッツアイ」が大好きなのですが、一つ食べるたびに、「こんな生モノが、遠くニュージーランドから届くなんてすごい」と思います。
平和だなと思います。ありがたいと思います。
いつまでも、このままで、と思います。
PS^2:
釣りに行っても、「自分や家族が食べられる程度」しか釣りません。
食べもしないのに釣り上げて殺してしまうのがかわいそうだと思うからです。
(リリースする魚の場合には、釣ることそのものを楽しみます)
釣った魚をさばくとき、心の中で「ごめん。でもちゃんと食べるから」と言っているような気がします。
(本当は、クーラーボックスで持って帰る間に息絶えていますけれど)
PS^3:
結局、自然が許容する以上に人間の数が多すぎること、が本質的な問題です。
特に日本の場合には、それが顕著です。
問題先送りの「少子高齢化対策」より、如何にして人口減少ソフトランディングを実現するかを真剣に考えるステージに私たち日本人は居るのだと思います。
人口減少過程における人口バランスが問題なら、皆で努力して乗り切る方法を考えるべきだと思います。
僕の母は、今年68歳ですが、現役看護婦で、今でも週に2度は夜勤をします。
彼女は、お金や生活のためではなく、働くことそのものが好きです。
仕事をしているからだと思いますが、至って健康です。
彼女は、社会保障を受けるより、社会保障費を支払う側です。
メディアや役人の論調は、「高齢者は社会のお荷物」と捉え、「たいへんだぁ?!だから産めよ育てよ」と、問題先送りしているようですが、そもそも「高齢者は本当にお荷物なのか?」という議論が出されていないのが不思議です。
日本は、その国土自然の許容を超えて、人口が多すぎます。
(だから殺せとか、産むなといっているわけではないですからね)





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