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ITAKURASTYLE「国会茶番劇」

日銀福井総裁は、7年前に村上ファンドに投資したらしい。

国家経済を担う一つの責任を持つのが中央銀行総裁。
この方、「とんでもない悪党」だとは思いません。
単に、企業についてあまりよくお分かりではない、とうことでしょう。
経済価値創造、そして国家経済の要であるところの「企業」について、
よく知らない者が、国家経済を担っている、の「だとしたら」空恐ろしい。

それにしても、「日銀総裁」になろうとするとき、
「グリーンメーラー」のファンドに私財を預けていることが、
後に問題になるとは、思わなかったのでしょうかぁ???

「犯罪を予見することは出来なかった」とか、苦しいイイワケしてます。
しかし、犯罪を犯したかどうか以前に、
村上ファンドが単なる「グリーンメーラー」であることは、
「少しでも」経済や資本市場に関する知識があるのなら、
カンタンにわかったことです。
その点、強調しておきます。

この人、もし日本がハイパーインフレーションを起こしたとしたら、
きっと、「んなこと予見できるわけ無いじゃないかよ」とか開き直るんでしょうか。

ちなみに、大量の国債を発行することと、
紙幣を増刷することは、
通貨のダイリューションを起こす点において、全く同質です。
ハイパーかどうかは、知りませんが、
日本円がインフレートすることは間違いありません。
(または、既にインフレートしているのが、いずれ顕在化します)

話は発展します・・・
この国は、企業によって支えられています。
食料、エネルギー、防衛を他国に依存している以上、
それらを「買ってこなければ」生きてゆけません。
それらを買ってくるためには、買うための原資が必要です。
しかし、「日本円」は、国際社会の決済通貨としては認められていません。
だから、自動車、家電製品やプラントなどを海外に輸出して、
「ドル」を稼ぎ、その「ドル」で資源を買って来なければなりません。
(仮に日本円が世界の決済通貨として認められていたとしても、または、「円」で「ドル」を買い、それに充てるとしても、どちらにしても「円の増刷」をしていたのでは、いつしか過度のインフレに見舞われてしまいます・・・円の価値を維持するために「企業活動」は極めて重要なのです・・・米国の場合「軍事力」がそれをかろうじて防いでいます・・・それが良いことだとは全く思いませんが。)

内部での「奪い合い」をしている場合ではないのです。

さて以上は、前置きですが、「国会答弁」を観ていて、呆れてしまいました。
野党のこの件に関する追及は、
「いくら儲けたんだ!」
「さっさと資料を提出しろ!」
だってさ(笑)

儲けたら悪で、損をしていたら善だ、とでも言いたいのでしょうか?
いくら儲けたかを聞き出したところで、
その数値によって何を裁こうとしているのでしょうか?
中学校の学級委員会かと思いました。
(ただし、村上ファンドから、村上ファンドの他の出資者とは別に、特別な利益供与があったということなら、どれほど儲けたかを追求する必要もあるでしょう・・・もしそうなら日銀総裁の首は飛びます。)

金融庁が「株式分割」を推奨しています。
何でも、「個人が買いやすい価格」を維持するためだそうです。
価値評価の出来ない一般大衆に「現物株」を買わせようというわけです。
終わっています。呆れ果てます。
これは、教習所に通ったことの無いドライバーに、
一般公道を走らせるようなものです。
運転を知らないドライバーにとっても、歩行者にとっても、危険きわまりません。

米国の一般家庭の資産形成における「株式」の割合は、
確かに日本に比べて非常に高いわけですが、
「現物株」による株式保有ではありません。
多くの場合、401kなどによる「投資信託を経由した株式保有」です。
米国ですらそうなのです。
間接金融しか知らない日本国民に、
いきなり現物株を買わせる必要が、一体どこにあるのでしょうか?

目先の問題にワーワー騒いでいる時間があったら、
新しい時代に合わせた「教育改革」について議論するべきです。

資本主義か、社会主義か、などという議論は意味がありません。
極端な話、どっちでも同じ、なのです。
どんなシステムでも、そのシステムを形成するのは人間です。
その人間のシステムに対する理解がなければ、
どんなシステムも機能しないのです。
教育を諦めたら、「独裁主義」しか残らないのです。

2006年6月15日 板倉雄一郎

PS:
数年前、教育現場では、
「π」を、「3」とするか、「3.14」とするかでもめていました。
あまりにも馬鹿馬鹿しい議論です。
「3」としたところで、「3.14」としたところで、どちらも間違いです。
なぜなら「π」は、「π」でしかないからです。
大切なことは、
「πとは何か」について、「πを何に利用するのか」について、
その本質を伝えるべきです。

また、「歴史問題」が取りざたされます。
アジア一体の「共通歴史認識」を作ろうと言う動きもあります。
そんなこと不可能です。
立場変われば、真実さえ違うのです。
たかが「コップ」でも、見る角度によって「違うコップ」に見えるのです。
そんなことより、
「A国では、~事件を、~~~と認識していて、
 B国では、同じ事件を、~~~と認識している。
 しかしわが国では同じ事件を、~~~と認識している」
と、
「過去の歴史認識にさえ不一致があるのが世界の現実である」
を伝えるべきです。
教育と洗脳を履き違えていたのでは、いつまで経っても戦争は無くなりません。





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