板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURASTYLE「経営と錬金術」

「経営」と「錬金術」を、履き違えている「自称」経営者がけっこう居ます。

錬金術とは、読んで字のごとく、「金を掴む術」であって、
当人が持っている金が、
社会に価値を提供したった結果として掴んだ金とは限りません。
このような人物は、上場企業の経営者であれ、相場師であれ、
自らの「持っている金の多さ」を自慢し、
また、他人の評価においても、「持っている金の多さ」を基準にし、
「持っている金の多さ」を無条件に尊敬する傾向があります。

「違法でなければ、何でもあり」というポリシーが伺えるのも、
錬金術師の特徴です。
悪だとは思いませんが、「インモラル」とは思います。


一方、「経営者」とは、いつも書いていることですが、
経営にあたる組織の「あらゆる利害関係者の利害の調整」を、
その組織の「継続性」を念頭において実施する意思決定者です。
経営者が「組織の継続性」を念頭に置けば、
「一部の利害関係者」にだけ、有利な配分を行うことをしません。

「儲ける効率が良い職業」とは思いませんが、
真っ当な経営を実施し続ける経営者は尊敬に値すると思います。

実際の経営の現場では、最も重要視するのは「株主の利益」です。
なぜなら、経営者は株主によって選ばれるからです。
僕は、「経営とは株主資本の管理」であると思っています。
(だからこそ、ファイナンス理論を知らずして経営に当たるべきではないのです)
が、この表現は、
「じゃあ、株主にだけ配分を多くするのが経営なのか」との誤解を招きます。
しかし、企業という、
「利害関係者が価値を持ち寄り、その価値を膨らませ、膨らませた価値を、
 再び利害関係者へ配分する仕組み」を、しっかり理解すれば、
上記のような誤解は解けるでしょう。

「流しそうめん理論」(←「お金と経済の本質」DVDに収録されている考え方)
で言うところの、そうめんの最も下流に座る株主の利益を追求するためには、
そもそも、
そうめんが流れてこなければ(=顧客からの売り上げ)なりませんし、
そのためには、価値を生み出す「人」(=従業員)が必要ですし、
そのためには、価値を生み出す人に対する報酬が必要です。
これは、
原材料を提供する取引先や、債権者など、
あらゆる利害関係者についても同様です。
つまり、
株主の利益を追求する結果、株主以外の利害関係者への配分も、
同時に慎重に考慮しなければならないわけです。
もし、
そうめんの上流に座る利害関係者が、経営者を選ぶようなことがあれば、
その利害関係者より下流に座る利害関係者への配分は、
不当に減らされることになり、継続性は保証されません。
また、経営者が誰に選ばれようが、それが「錬金術師」であれば、
経営者本人に対する配分が不当に大きくなるでしょうから、
同様に、継続性は保証されません。

「経営とは、株主資本の管理者である」
この言葉は、極めて多くの情報を含んでいます。
言うまでもありませんが、「企業は株主のものだ!」という考え方とは、
まるで違うものです。


金を墓場まで持って行っても、なんの役にも立ちませんが、
社会からの信頼に囲まれて死んでゆくことはできると思います。

「社会からの信頼」を理念とすれば、不思議なことに、
お金は、ついてくるものです。
そのお金は、可能な限り早期に、社会に対する議決権として、
「投資や消費」、つまり社会に対して還元するべきだと思います。

少なくとも僕は、
社会に価値を提供することによって、たっくさん稼ぎたいと思いますが、
「持てる金の額」を自慢するような人間には、絶対に成りたくないと思います。

2006年11月10日 板倉雄一郎





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