板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURASTYLE「近況」

このところ、「何を書いてよいのか分からない病」にかかっています(笑)
実は、周期的に襲ってくる持病なので、しばらくしたら元に戻ります。
で、今日は、もろもろ「近況」について書いてみようかと思います。

<講演スタイル>

僕は、お呼ばれ講演でも、自ら主催するセミナーでも、常に「インタラクティブ」を重視しています。
最初の5分から、聴衆との一体感を得るために、何かしらその日の講演テーマに合致した「聴衆への質問」によって、聴衆に挙手をお願いしたり、挙手を頂いた方の一人に近寄りマイクを向け、「どうしてそう思うのですか?」と質問を投げかけたりします。
「聴いてりゃいいんだろ」という聴衆を裏切り、
「ちゃんと聴いて、ちゃんと参加した方が面白いよ」と伝えるわけです。
僕の講演スタイルが聴衆に伝わった後、僕はワイアレスマイクで話しながら、聴衆の間を歩き回ります。
演台で話すことなど、最初の5分と最後の5分ぐらいでしょう。
なぜかって、それは「せっかくのライブ」だからです。
パワーポイントの資料と、予め決められた文章をただ棒読みするなら、講演ではなくてビデオで十分ですからね。
せっかく人の前に出るのですから、聴衆と共に楽しみたいですから。


<情報を引き出す話術>

先日、当事務所のパートナーI氏に誘われ、住宅街の「ミュージックパブ」に行っちゃいました。
「ミュージックパブ」とは一体どんなところ?
なんてことはない、単に「カラオケのあるキャバクラ」みたいなところです。
東京都心では、高級クラブ、クラブ、キャバクラ、バー、サパー、カラオケ・・・・
と、飲み方を細分化した専門店が多いわけですが、都心から離れるにつれ、「複合型(?)」の店舗が増えるわけです。

I氏の、「●●ちゃんがチョー可愛いんですよ」という言葉に釣られた僕は、場末のミュージックパブを、「怖いもの見たさ」で楽しみにしていました。
で、確かに●●ちゃんは、言葉にたがわず綺麗な女性でした。
が、何か僕の勘が、「こいつ何か変だな?」っと感じたのです。

「ねぇ、●●ちゃん、彼氏と付き合って長いでしょ?」
「ねぇ、●●ちゃん、彼とは同棲(同姓)でしょ?」
「ねぇ、●●ちゃん、子供はいくつ?」

僕の勘に従った質問は、その質問自体が正解でした。
彼女は結婚して9年、子供は3人という家庭の主婦。
もし、僕の質問が、ありきたりに「彼氏は居るの?」とかだったら、
「いないですぅ~」とか、軽くあしらわれていたでしょう。

まず観察する。
観察の結果、推測したことに確信を持つ。
確信しても念のために確認をする。
が、それ自体を質問とせず、上記のように、それを前提にした別の質問をする。
すると相手は、「こいつは騙せないな」となり、本当のことを話し出す。
どんな身の上話が返って来ても絶対に引いたりせず、「益々興味を持ったぜ!」を演出しながら会話を続ける。
2時間もたつ頃には、昔ながらの友人のような感じになれる。

人は、他人との関係を定義されると、目の前の相手より、「関係」を尊重する傾向にあります。
たとえば、「キャバクラ嬢と男性客」、
たとえば、「彼氏と彼女」
たとえば、「旦那と奥さん」。
関係を尊重しすぎると本当の相手が見えなくなります。
関係を維持するために、本当の自分より、「関係を維持するために都合の良い自分」を演出し始めます。
いつしか、実在する相手と演出された相手の乖離は広がってゆきます。
関係は、実在する自分と相手の結果をあらわす言葉です。
本来、互いに相手を気に入った結果として、彼氏と彼女になるのであって、彼氏と彼女という関係だから、気に入られるように演出する、のでは本末転倒です。
僕はどんな関係の人に対しても、本当の自分を表現しようと努めますし、相手にも「本当の自分を出してもこの人は大丈夫なのね」と思わせることによって、本当の相手を知ろうとします。
それが僕のやり方です。
本当の情報を引き出す話術とは、本当のことを見抜く観察力の上に成り立つのではないかと思います。
本当のことを見抜く観察力は、「本当の相手を知りたい」という欲求から生まれるのだと思います。

「場末のパブ」と思っていましたが、結構楽しめました。
都心のキャバクラに比べ、価格は3分の1以下ですし。
●●ちゃんが僕の質問に答えるたびに、I氏の表情の「ボー然度」は増してゆきました(笑)


<嫌われてしまうとき>

ウンコ味のカレーは、間違いなくカレー。
カレー味のウンコは、間違いなくウンコ。
以前書いたことです。
(↑ITAKURASTYLE「ウンコとカレー」・・・そういえば、ある読者から「私はランチのときに板倉さんのエッセーを読むから、汚い話は止めて欲しい!」という苦情を頂いたことがあります(笑))

で、目の前で「カレー味のウンコ」を食べている人を見つけると、僕は本当のことを伝えてしまうのです。
「あのぉ~、あなたがおいしそうに食べているその食べ物・・・ウンコですよ」って(笑)
食べているのは、もちろん・・・
価値破壊を起こしている企業の株式であったり、
明らかな粉飾決算をしている企業の株式であったり、
言っている事とやっていることがまるで違う経営者の企業の株式であったり、
変動金利の住宅ローンであったり、
店舗のポイントを貯めることであったり、なわけですが、
それらを指摘すると、少なくとも一時的には、嫌われる傾向にあります。
損な性格です。
でも、嫌われることによって相手に仕込んだ「種」は、いずれ芽を出し、いつしか実がなると信じて指摘しているんです。
お許しください(←なんのこっちゃ)


<共に時間を過ごせることに、ありがとう>

近所のコンビニのおばちゃんに、
「早く結婚して子供作りなさいよ。犬は面倒見てくれないよ」
と言われたことがあった。
僕はこのとき初めて「子供は老後の面倒を見てもらうために作る」という考えの人がフツーに居ることを知った。

僕の愛犬「雄太・・・ゴールデン雄10歳」は、3年ほど前から癌に侵されています。
普段は年齢からは想像できないほど元気。
この子の年齢を知らない人は、「まだ若いんですよね?」などと言ってくるぐらい、そのルックスも1歳ぐらいのゴールデンの様。
でも、四足に時たま腫瘍ができ、それを見つけるたびに獣医で切開してもらうことを繰り返しています。
この2年は抗がん剤の効果で、腫瘍が出ることはありませんでしたが、抗がん剤の効果がなくなった今、早速腫瘍が出てきました。
また何度か腫瘍の発見~切開を繰り返すことになるでしょう。

癌になろうがならなかろうが、彼は僕より先に逝ってしまいます。
そんなことは、出合ったときからわかっていたことです。
いくら愛情をもって接していても、コンビニのおばちゃんが言うような「僕の世話」はしてくれません。
そんなことは、出会ったときからわかっていたことです。
でも僕は、彼を飼い始めましたし、彼と暮らせて幸せです。
それだけで、十分「ありがとう」です。

「何かを得られるから、誰かと接する」とか、
「金をもらえるなら、喜ばせてあげる」とか、
「やらせてくれそうだから、御食事に誘う」とか、
書いてしまえば、「いやらしい発想」だと、誰もが感じるでしょうケレド、結構、日常茶飯事に起こっている人々の心の欲求だったりします。
本来、「そいつと共に時間を過ごすこと自体が楽しい」から、一緒に居るものだと思います。
一緒に居られるだけで、ありがとう、です。
僕も、ツイ、忘れがちなことです。


<街角ミュージシャン>

先日、このサイトで、「SMU,KISS書籍の売れ行きが悪ければ、エッセー書かないもん!」なんて、ふてくされて書きました(笑)
僕のふてくされを許してくれた多くの読者のおかげで、予定販売数に達しました。
が、そのことをパートナーの橋口寛と話しているときに、彼が面白い比喩を言いました。
「板倉さん、それって、街角で、ジャガジャガジャガジャガとギターをかき鳴らし歌い、その後でお金をもらうみたいですよね(笑)」
素晴らしい比喩だと思いました。
まさに僕は、街角ミュージシャン。
どんな経済的収益が得られるか、全く約束がないまま、ひたすら、思いを文章に綴って公開する。
で、「もし良かったら」と、セミナーや書籍の販売を試みる。
始めはいつも「何の保証もない」から始める。
僕は、こんなやり方が大好き。
「●●円いただけるなら、書きましょう、話しましょう、やりましょう」という姿勢は、「金の奴隷」に過ぎないのではないかと僕は思います。
奴はほんとに面白い。
彼の「パートナーシップマネージメント」をよろしく。


<人間関係の巧み>

最近、定宿のホテル日航東京に気に入った女性従業員が居る。
しかし、何の手出しも出来ない。
メアドを渡して「メールちょうだい」と伝えても、メールは来ない。
通常、ホテルなどのサービス業の場合、その客と従業員の「仕事以外での関係」は禁止されている。
僕のことを「趣味じゃない」という理由で断るなら、あっさり諦められるが、断られる理由が「客と従業員だから」だったら、なんとも納得いかない(笑)
で、彼女に会うたびに、凄く気になる(笑)
もしかしたら、そんな関係だからこそ、実態を超えて気になる存在になるのかもしれない。

娼婦や人妻に異常な関心を示す男性は、結構多い。
実は、社会が創り上げた「人間関係」が、実態以上に対象に興味を抱かせるのだろうと思う。

断っておきますが、その彼女と、なんとしてでも「映画鑑賞」したいと思っているわけではありません。
せいぜい御食事をご一緒させていただければという程度です(←嘘)。


<モノは媒介>

3月に届いたランクルのオドメーターは既に7000kmオーバー。
ちょっと乗りすぎ(笑)
人の「お気に入り」とは、案外、自覚出来ない場合があると思うのです。
車については、多くの人にとって、結構高い買い物ですよね。
だから、その車に大枚をはたいてしまったという事実が、「いいものに違いない」と思わせたりします。
僕は、そのとき手中にある車を気に入っているかどうかを測る方法として、「走行距離」を参考にします。
走行距離から考えて、僕は今のランクルを、かなり気に入っているようです。

オフロード走行を楽しんでいるが故に、ギャップに乗り上げサイドステップはひん曲がり、フロントアンダーにはこすり傷。
新車だっていうのに、ボディーサイドは、林道走行での木の枝などとの干渉で擦り傷だらけ。
でも、それが「この道具の目的」。
とは言っても、とっても綺麗ですし、メンテナンスもバッチです。だって、道具を使った後は、ちゃんと手入れをしますから。
いつまでも道具を道具として使いたいからです。

僕は、フェラーリやポルシェ、そしてBMWのMシリーズを手に入れれば、サーキットや箱根のワインディングをバリバリ飛ばします。
大切に車庫にしまっておくことなど、まずしません。
その車本来の道具としての使い道に沿って正しく使います。
それによって、その道具の「創り手との対話」が初めて可能になります。
僕たちが普段消費するモノは、その多くが「人」によって創られたモノ。
モノそれ自体は、創り手と使い手のコミュニケーションの媒介に過ぎないと思います。
ドライビングによる車との対話とは、すなわちその車の創り手との対話。
だから、創り手が馬鹿だと、すぐにわかります。
しかし、創り手の情熱は、たくさん接しないと深くは知れません。


以上、キリがないので今日はこの辺で。

皆様良い週末をお過ごしください。

2006年5月26日 板倉雄一郎





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