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ITAKURASTYLE「富の独裁者」

「富の独裁者」エイミー・チュア著(光文社)を読んだ。

アメリカ製資本主義と民主主義の歪な組み合わせのグローバル化によって、富める一部の民族に対する貧困な大多数からの憎悪が生まれる背景について、具体的な事例をもって詳しく解説している本である。
(ただし、解決策や提案などは記述されていない。)

序章「グローバル化と民族間の憎悪」を読むだけでも、
現在の日本における「格差社会」など、格差の内に入らない、と思わせる。

印象に残ったフレーズを引用させていただく・・・

貧困だけでは悲惨にならない。ただ貧しいだけで人を殺す者はいないが、貧困にくわえて屈辱的待遇や絶望、不満を味わったとき、人は殺人に走るのだ。
格差を考えるとき、それは、
一体どんな「モノサシ」によって図った格差なのかを考える必要があるが、
私達の日本における格差とは、
せいぜい「金で解決できる範囲の格差」、つまり経済的な格差であり、
その原因の多くは、(厳しい表現になるが)自業自得である。
(もちろん、自業自得とは言えない境遇の方も存在します。)

世界に目を向ければ、自業自得とは言い切れない原因による格差が実在し、
その「格差の行く先」が見えてくる。

日本においても、格差の拡大と固定化が「本当に進んでいるのなら」、
今の内に効果的な対策をしなければ、
富める者にとっても、危険な未来が待っていると思う。

しかし、
この本を読んで思ったことは、以前どこかのエッセーで書いたことがあるが、
「どのようなシステムも、そのシステムの参加者が、システムについて十分に理解し、システムの運用を監視しなければ、システムの機能は実現できない。」
ということだ。

民主主義といったところで、民主主義が何であるかわからない(=教育されていない)大衆に、「制度として導入」されたところで、機能するはずが無い。
資本主義といったところで、その扱い方を知らない大衆は、それを熟知し、そのシステムの利用の仕方を知っている一部の「外来者」によって経済価値が搾取されるだけだ。

つまるところ、「教育」しかないのだろうと思う。

義務教育における「授業の時間を減らしたり増やしたり」といったくだらない議論をしているようでは、真っ当な教育は施行されないだろう。
学校しか知らない者が、一体何を教えることができるのだろう。
「制度」を引っ掻き回したところで、「人」の何が変わるというのだろう。

教育とは、
「社会で生きるために必要な知識や考え方を人が人に伝え育てる行為」
なのであって、
「制度が人を育てる」のではない。

参考エッセー:
ITAKURASTYLE「ワーキングプア」
ITAKURASTYLE「再チャレンジ可能な社会」
ITAKURASTYLE「雇用形態」
DeepKISS第37号「「間接労働力提供、直接労働力提供」
など、多数。

格差を論じるとき、
1、格差そのものではなく「格差の固定化」が問題であること。
2、どのような「モノサシ」で図った結果の格差なのかをはっきりさせること。
が大切なのだと思います。
もし、「経済的格差」だけを取り上げてしまうと、
病気や怪我によって「働けない」結果、経済的に豊かに「なれない」人と、
怠惰によって「働かない」結果、経済的に豊かに「なろうとしない人」の区別が、
できなくなってしまいます。
経済的な格差より、「働く意思の格差」の方が重大な格差です。

2007年1月24日 板倉雄一郎

PS:
今週末の「朝まで生テレビ!」のテーマは、「格差社会」に関連する事だ。
価値ある発言ができるかどうかわからないけれど、
(だって、あの番組、むちゃくちゃでしょ(笑))
少なくとも3時間、パネリストの一人として、ちゃんと座っていようと思います。
もちろん、価値ある発言ができるように、様々な努力をしています。





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