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ITAKURASTYLE「知識、常識、価値観」

近未来通信の事件に関するニュース番組で、
同社が出資者を募るための「うたい文句」の一部が報道されていた。

「1000万円出資した場合、毎月80万円の配当!(←ただし参考例として)」
(↑ しっかり正確に覚えていないが、こんな感じだった)

上記の「うたい文句」を信用すれば、その投下資本利益率は、
年率単利で、およそ100%!!!!
もし、配当を同商品への再投資として複利で回せば、
元手100万円でも、
3年後には、800万円。
10年後には、10億円。
20年後には、1兆円。
そして23年後には、ウォーレンバフェット氏や、ビルゲイツ氏の資産を超える!

「んな馬鹿な」と、常識で判断できるはずだ。
そもそも、そんなに儲かるなら、
わざわざ広告宣伝費をかけてまで、他人にその権利を譲渡するはずもない、
ということも常識で判断できるはずだ。
しかし、そんな常識的な判断ができなかった人がたくさんいる。
なぜか?・・・それは、彼らの「常識」が僕の「常識」とは異なっているからだろう。

<常識>

ここで僕が書く「常識」とは、あくまで、僕の知識や経験そして「欲」の範囲から、
「常識とはこのあたりだろう」と、
自分勝手に「常識」を無意識に定義しているだけで、
僕の「自分勝手常識」は、彼らの「自分勝手常識」とは異なっている。
(↑ 「彼ら」とは、騙す方も、騙される方も、どちらも)
だから、「常識」という言葉に大した説得力はない。

たとえば、口論になった時、
「そんなの常識だろ!」という台詞は、割とよく使われる便利な言葉だが、
以上から、まるで説得力のない言葉だと思う。
「常識」を持ち出したら最後、議論の発展はない。
「常識」を振りかざすことは、「価値観の押し付け」に過ぎない、と思う。

ではなぜ、
僕の価値観で言うところの「非常識」が、彼らの「常識」なのだろう。
きっと、
「(僕の価値観で言うところの)非常識な欲」が、彼らをして、
「(彼らの価値観で言うところの)現実的なリターンだ」、と思わせたのだろう。

<欲>

僕は人の「欲」を否定するつもりはない。
否定しないどころか、多くの人が「欲」をもっと持つべきだとさえ思う。
ただし、「何に対する欲なのか」を吟味しなければならない。

この事件にハマッた人の多くは、要するに欲を出しすぎたのだろう。
それも「自分の金が増える」という短絡的な欲。
そのリターンがどうして生まれるのか、
そのリターンが継続可能なのか、
そのリターンは、投資資金が誰かの役に立った結果得られるものなのか、
そんな冷静な投資判断は、「強欲」によって、消し去られてしまう。

リターンの影には、常にリスクが伴う。
しかし、
「強欲」は、リターンを大きく見積もり、リスクを小さく見積もらせる。

「1年で○億円稼ぐ方法!」みたいな書物に飛びつくのも、
やはり「欲張りすぎ」のなせる業。
この手の本の読者の「いったいどれほどが○億円を作ったのか?」
是非、調べて欲しいものだと思う。
きっと、おもろい結果が出るでしょう。

欲張りすぎは、多くの場合、欲以上のロスを伴う。

それにしても、この「近未来通信」、
僕もテレビや新聞でその広告を観たことがある。

<メディアの信頼>

1000万部近い発行部数の新聞でも、
民法キー局のテレビCMでも、観たことがある。
彼らの広告の審査ってのは、いったいどうなっているのだろうか。
審査体制ができていても、審査する人間がアホなら何の意味もない。
結果として、「広告料をせしめた彼ら」も、グルとしか言いようがない。

多くの人は、新聞やテレビの報道を信じる。
「多くの人が観ているはずだ」という根拠だけで、その内容を鵜呑みにする。
しかしここで言う「多くの人」が、どんな人たちなのかは気にもせず。
視聴者や読者がそんなことだから、メディアも調子に乗る。
「正しい報道より、ウケる報道」を求める。
「商品の内容より、広告収入の大きさ」を求める。
そんなことを続けていたら、損をするのはメディア自身ではないだろうか。
かくして、視聴者や読者のリテラシー次第で、メディアの価値は変動する。

<相互影響>

メディアとその読者(または視聴者)、
企業とその株主(または、顧客)、
政治家と有権者、
これらの関係は常に「鏡」だ。
どちらか一方が真っ当で、一方がおばかさんなんて事は、
少なくとも長期間継続することはない。
おばかさんは、
おばかさんを求め、おばかさんを集め、おばかさんに惹かれる。
おりこうさんは、
おりこうさんを求め、おりこうさんを集め、おりこうさんに惹かれる。

しかしここで言う「おりこうさん、おばかさん」とて、
僕の「自分勝手価値観」に基づいた定義に過ぎないけれど。

<価値観>

「価値観」という言葉も、かなり便利な言葉だ。
「あなたと私は、価値観が違う」とか、
男女間でもよく使われるのではないだろうか。
ある意味「一網打尽」の言葉である。

2000万円の2シータースポーツカーに対して、
2000万円でも欲しい!と思う人もいるだろうし、
2人しか乗れないうるさい車に2000万円なんてばかばかしい、
と思う人もいるだろう。
どちらも「おばかさん」だとは思わない。
だって、それぞれ「価値観」が違うから(笑)

けれど、
「経済的なリターンを目的にした金融商品への投資」であるならば、
「支払う価格(=権利を手に入れるための投資額)
 以上の価値(=その権利が生み出すキャッシュフローの割引現在価値)
 を手に入れる」
という条件が満たされなければ、明らかに「おばかさん」だと言えるだろう。

確かに、上記の「割引率(=投資対象に感じるリスク認識)」は、
投資家の価値観に大きく依存する。
しかし、どれほど「リスクを感じない」としても、
割引率が「マイナス(=損をすることを目的にした投資)」のはずもなければ、
「リスクフリーレート」以下の割引率を適用するはずもない。
したがって、「今日現在の価値(=妥当な価格)」は、
価値観が違っていたとしても、ある一定の範囲に収まるものだ。

<知識>

不思議なことだが、儲ける事に貪欲になると、
多くの人はリスクを小さく見積もる傾向にある。
ファイナンス的には
リスクを小さく見積もるということは、割引率を小さく見積もるということになる。
割引率を小さく見積もるということは、投資対象の現在価値が大きくなる。
「割引率=投資家のリターン」であるから、
リスクを小さく見積もった結果、リターンは小さくなる。
つまり、
「貪欲」⇒「リスクを小さく見積もる」⇒「高値掴みをする」⇒「リターンの減少」
と、結果は、最初の「欲」のまるで逆になってしまう。

このことに気がつけるかどうか?
このことを冷静に認識するためには、どうすればよいか?
答えは、
1、「知識を得る」
2、「欲を捨てる」
以外にないだろう。

「知識への投資」が、如何に人生にプラスの影響をもたらすかを、
本人が認識するのが、投資行為より先のはずなのだが・・・

「セミナーには興味があるが、セミナー価格を支払うと、
 株式投資の原資が減ってしまうから・・・」
といった、本末転倒な人がたくさんいるのが現実だ。
そのような本末転倒人のおかげで、知識を持てるものは、
その知識の価値以上に、稼げてしまうのだけれど。

「欲の暴走」による損失を防ぐには、「知識」を得る以外にない、ってこと。

2006年11月22日 板倉雄一郎

PS:
オープンセミナーレディースデイは、そろそろ募集の締め切りです。
あと10席ほど空いております。
経済的知識の「出だし」の機会として是非。

知識に価値を見出さない人は、知識に金を支払おうとしません。
結果として、いつまでも知識の恩恵は受けられません。

 





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