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ITAKURASTYLE「やっぱり個別企業の評価が大切」

<歪(いびつ)な経済>

本日(2007年11月14日)付けの日経新聞朝刊の一面に、
「長期金利1.5%割れ、配当利回りが逆転」という記事があります。

確かに(現在の株価水準では)その通りです。

記事本文の主張であるところの、「株式が売られ債券が買われた結果」を示す比較であることは否定しません。古典的な経済学の範囲では、ある国において最も投資リスクの小さい投資対象は国債であると定義されています。

国債が最も投資リスクが小さいということは、その国のあらゆる投資対象から得られるであろう利回りに比べ、国債から得られる利回りが最も低いことになります。

ファイナンスの世界では、国債への投資が最もリスクが小さいことを受けて、長期国債の利回り(予測)を、リスクフリーレートと呼び、その他の投資対象への「リスク認識(=投資家の期待収益率)」を算出する上での「上げ底要素」として使われます。

たとえば、企業の株主資本コスト(=当該企業の株主の期待収益率)を算出するには、 Ke = [Risk Free Rate] + [Market Risk Premium] * β と「されている」事からも、「(ある国の)あらゆる投資対象にかかるリスクは、国債への投資リスクより大きい」という前提が置かれています。

しかし、上記の記事にあるような配当利回りと長期金利の逆転はともかく、いわゆる日本の優良企業の発行する社債の利率(・・・社債が上場されていない場合には債券価格変動をつかめず、利回り算出ができないので表面利率を前提にしています)は、いくつかの企業で、国債の利回りを下回っているのが現実です。

記事に書かれているような配当利回りについては、「その時点の株価」が因数に使われていることや、そもそも「当該企業が一株あたりの配当を一定に保つ保証がない」ということから、国債利回りとの単純比較はできませんし、「株式が売られ債券が買われた結果」としての意味はありますが、経済の歪さを実証する上での根拠にはなりえませんけれど。

また、古典的なファイナンスの考えの前では、複数の国の資本市場に上場している企業の資本コストを算出する場合、「一体どの国のリスクフリーレートを参照すればいいの?」という問題にもぶつかります。

これらの歪さや解決の難しい問題の根本的原因は、経済のグローバル化と、その重要な手段の一つである証券化にあると思います。これらの現象の前では、それぞれの国の経済対策において、もはや現在の経済学は通用しないのではないかと思います。

<グローバル化と証券化>

たとえば、「トヨタ自動車は、どこの国の会社?」と聞かれれば、世界中の多くの人は、「日本の会社だ」と答えるでしょう。

一体何を根拠に日本の会社だといえるのでしょうか。

企業とは「利害関係者がそれぞれの価値を持ち寄り、価値を創造し、利害関係者の経済的メリットを最大化する仕組みだ」と過去何度も書いてきました。(利害関係者=顧客、取引先、従業員、債権者、株主、税の支払い対象)

その視点で、たとえば、トヨタ自動車について考えてみると・・・

顧客・・・
販売台数で観れば、日本国内が26.7%、北米が34.5%、欧州が14.4%、アジアが9.2%、その他が15.2%となっているので、明らかに「日本人が顧客の大部分」ではないわけです。

従業員・・・
生産台数で観れば、日本が62.3%、北米が14.7%、欧州が8.7%、アジアが9.3%、その他が5%と、こちらは確かに日本の従業員が過半数を占めるようですが、今後いわゆる現地生産が加速すると予測すれば、長期的には、「日本の従業員による会社」とはいえなくなる可能性が高いわけです。

取引先・・・
トヨタ自動車の場合、トヨタが進出する地域に、関連する取引先企業も一緒に進出する傾向があるため、こちらも従業員の場合と同じように、日本人以外の利害関係者(特に従業員)によって構成される取引先が増える傾向があると思います。

(現地生産の場合、少なくとも当該企業の利害関係者の内、従業員の大部分は現地の人間であることは言うまでもありません。)

債権者・株主・・・
現時点では、日本人、または、日本人が主な資金を拠出していると思われる投信によって債券や株式が保有されていますが、海外の複数の資本市場にトヨタ自動車の株式が上場されているわけですから、一概に「オーナーは日本人であり続ける」と断定することはできません。

税の支払い対象・・・
確かに「日本国政府」に対して納める税額は、日本一ですが、上記のような現地生産を考慮すれば、トヨタグループの納税先が日本だけではないことは明らかで、その傾向は今後益々増加する可能性が高いわけです。

トヨタ自動車のたとえが長くなりましたが、経済のグローバル化によって、企業の業態によっては、「どこの国の企業?」ということが曖昧になってきているわけです。

(もちろん業態によっては、利害関係者の大部分がその国で暮らす人々の場合もあります。昨日、8~10月の純利益が前年同月比で8%のプラスを発表した米ウォルマート・ストアーズの場合、その顧客の大部分は米国の一般消費者ですし(同社の売上げや利益の変動は、米国内の景気を判断する大切な指標でもあります)、従業員も、株主も、債権者も、やはり米国人が大部分を占めるわけです。)

さらに、サブプライムローン問題について、僕は、2007年8月ごろから「最も重大な問題は、(証券化により)誰がババを引いているかわからないことだ」と書いてきましたが、証券化、そしてその証券をさらに組み込んだ証券化が進み、世界中にリスクがばら撒かれた結果、ババ主が世界中で次々と手を上げているという現状があります。

おかげで、「一つのカテゴリーの損失」が、世界中に即座に伝播するというわけです。経済のグローバル化、と、その手段である証券化によって、「国」という単位での問題が解決できる効力が薄れつつあるということでしょう。

経済は常に循環し、相互に影響を及ぼし合うことは言うまでも無いことです。一つの政策が、政策立案者の意に反して多方面に影響を与えるのは、今に始まったことではありません。

しかし、その傾向がこの10年ほどで、極めて強まっている結果、これまでの経済常識が通用しない事態になっているのだとも言えます。ある限定的な問題の解決になるはずの政策が、その問題に対しての効力が小さく、別のところで思いもよらない現象(副作用)を生んでしまうこともあるでしょう。

そもそも「お金ジャブジャブ」が、サブプライムローン問題の本質的原因であるとすれば。

その対策に利下げという「さらなるお金ジャブジャブ」によって対応するという「麻薬治療」しか打つ手が無いとすれば。益々中央銀行の政策の効力が薄れてゆくのではないかと思います。

その上、民間金融機関の損失補填のために米国政府が動きを見せたわけですから、(その政策により一時的に回復の兆しが見える場面はあるでしょうが)、長期的には、麻薬依存がさらに強まるわけです。

一方で、世界的に物価が上昇してるわけですから、利下げによって、物価上昇をさらに加速させる可能性という副作用も考えられます。

著名な経済学者やエコノミスト、そして中央銀行の優秀な方々が、どれほど数値を分析しても、どれほど(これまでの経済学の常識の範囲で)将来を占っても、結局、「不透明さが増している」としか言えなくなってきているのも、「実態がつかめない」ということが原因なのでしょう。

よって、実態がつかめない状況の中で、どれほど(これまでの経済学の常識の範囲で)政策の舵取りを行っても、思うように経済が動いてくれない、ということになるのだろうと思います。

たとえば、デフレに苦しむ日本経済の対策として、金利を極限まで低く誘導し、さらに量的緩和まで行っていますが、これまでの経済学の範囲では、「この対策で、銀行が融資を積極的に行うだろうからデフレから脱却できるはず」ということだったはずですが、本来企業が資金を必要としない(というよりむしろ有利子負債を返済している)状況では、いくら資金供給を増やそうとしても、だれも借りてくれないわけです。

経済活動における基軸である企業は、資本調達に限らず、従業員も顧客もグローバルに展開する流れが加速する一方、各国の経済政策は、少なくとも「一次的」には、その国の政策に限定される結果、「国と企業の因果関係の分離」がどんどん進み、世界経済を誰もコントロールできなくなる可能性が大きくなっているのだと思います。

<サブプライムローン問題より中国バブルの崩壊懸念>

今、サブプライムローン問題に世界中が気をとられていますが、これまで「しこたま」稼いできた金融機関が、それまでの稼ぎの一部を失った程度の規模(1989年~90年にかけてのいわゆる日本のバブル崩壊の原因である不良債権の規模には及びません)のサブプライムローン問題と、その損失が金融機関の範囲を超え、米国の実体経済に及ぼす影響を考慮しても、中国のバブルが崩壊することのリスクも同等程度に大きな問題ではないかと思います。

もちろん、「米国経済」と「中国経済」は深い関わりを持っていますから、中国のバブルが崩壊した際、その原因を米国経済のリセッションだという人がきっと現れるでしょうけれど、サブプライムローン問題が顕在化しない時点でも、中国の経済成長や株価は既にバブルの兆しが見えていたわけですから、仮に中国バブルが崩壊したとしても、その原因を米国景気にだけ求めるのは合理的ではないと思います。

サブプライムローン問題が顕在化する以前から、著名な投資家やファンドマネーが、中国への投資を引き上げるケースを、チラホラ見かけるようになりました。

<過去の日本とは異なる中国・インドの経済成長>

戦後の日本経済の成長を成し遂げたのは、資本の上でも、労働力の上でも、その中心は日本人でした。

しかし、中国やインド、そしてその他の新興国の経済成長の背景には、(彼らから観た場合の)外資の影響が非常に大きいわけです。たとえば中国で活動するいわゆる大企業の「資本と技術」大部分は、皆さんもご承知の通り、欧米と日本からの投資です。(韓国の場合、戦後の日本の復興に似ていますけどね)

つまり、企業活動における利害関係者への利益の配分という側面で見れば、従業員への配分は、確かに中国やインドで暮らす人への配分となりますが、投資家への配分、取引先への配分は、彼らの国に「一次的には」還流しない場合が少なくありません。

ここで既に書いた「国と企業の因果関係の分離」がさらに加速していることに気が付きます。

中国経済と一言で片付けても、その実態は、(利害関係者の大部分が)欧米および日本の企業からの投資に依存していることを考慮すれば、彼らの国という単位の「一人勝ち」が起こりえないこともわかります。

<やっぱり個別企業の評価が大切>

米国経済がリセッションするという予測を立てる人が多くなってきました。

リセッションしないまでも、しばらくの間、景気が停滞すると予測する人はたくさんいます。その結果ドルが売られ、世界的なドル安傾向にあります。ドル安傾向が続くという見通しのおかげで、さらにドルが売られる可能性もあります。米国の株式市場に上場するある企業の株価がドルベースで一定だとした場合、ドル安になれば、その分(米国外から観た)その企業の株価は、下落することになります。

しかし、今や、そのグローバルに活動する個別企業は、(ウォルマートのような米国内経済に深く依存した企業を除き)グローバルに資金を調達し、グローバルな商品市場をもち、グローバルに従業員を雇用していることを前提にすれば、ドルが安くなっただけ、その企業の(ドルベースの)株価は上昇する可能性も十分にあるわけです。

市場が割りと効率的であれば、個別企業の株価は、為替変動を吸収した範囲に収まって行く傾向がこれまで以上に鮮明になるのではないかと思うわけです。

つまり、それぞれの国の経済状態と、それぞれの国に登記された企業の株価の「分離」が明確になる可能性が高いと思うわけです。

結論は、表題の通り、「やっぱり個別企業の評価が大切」ということです。

どこの国に登記された企業であるか、どこの国の資本市場に上場している企業なのか、ということは、それぞれの個別企業の価値評価の上では、これまで以上に「関係ないこと」になっていくのだろうと思います。

大切なことは、それぞれの企業が、どこの国に登記されている企業であるかではなく、どの地域に、何を依存していて、今後どう変化させようとしているのか(=どのように変化に対応しようとしているのか)を個別企業の価値評価に十分反映させることが「これまで以上に」必要になると思います。

「新興国の経済成長が著しい」と言われれば、(特に日本人は)、その国に属する企業なら何でもかんでも投資する傾向にあります。しばらくの間は、何でもかんでも投資する人のおかげで、何でもかんでも値上がりするでしょう。それはいつしかバブルに発展し、そして崩壊し、結果、本当に価値ある個別企業だけが生き残るのだと思います。

2007年11月14日 板倉雄一郎

PS:
このようなエッセイを書こうとすると、言葉の定義や、相互影響への配慮を上手に説明できないなと、いつも悩んでしまいます。

結局のところ最も訴えたいことは、「まず国があり、その国の経済政策があり、その中に企業の業種業態があり、さらにその中に個別企業がある」というシーケンシャルな考え方はもはや通用しないのではないかということです。

また、「グローバル経済がどうしたこうしたというのは、古い話じゃないか」といわれそうですが、このエッセイでの主張は、「グローバル化が益々加速して、各国の経済政策の効果が政策立案者の思惑通りにならない傾向が強くなっている」ということです。

ある経済政策が、狙い通りの効果より、副作用の方が大きくなるのではないか、ということです。

どうか細かい表現を突っ込まないでください(笑)

PS^2:
と、「ご容赦願います」と書いた上でこういうことを書くのはどうかと思ったりもしますが・・・いわゆる、なんとかリスト、とか、なんとかミスト、とか、なんとかジスト、といわれる方々の表現を見るたびに、いい商売だなぁ~って思います。

過去に起こった何かについて、つまり事後に、「~が原因で~となった」という表現を良く見ますが、「確かにそれが一つの原因だと思うけど、本当にそれが原因の大部分なのかい?」と思うようなことも平気で表現しますし、将来については、極めて難解な理屈を書いた上で、「上がるかもしれないし、下がるかもしれないし、変わらないかもしれない」とか表現することでお給料もらえるわけですからね。

彼らの表現は、楽観的に捉えようとするバイアスのある人には、楽観的に見えますし、悲観的に捉えようとするバイアスのある人には、悲観的に読み取れるようにできているんですよね。

なんだか、占いの文言のようですよね。ある意味表現が上手なのでしょうけれど(笑)僕の場合はどうかって?世界の経済がいつごろどのようになるのか、について僕には正直「わかりません」。

どうなるのかを予測する上で、最も現実的な情報を持っているのは、僕でもなければ、なんとかリストでもなく、「現場の経営者」なのだと思います。

だからこそ、個別企業を評価し、最も信頼できる経営者に大切な資金を委ねるという意味での個別企業への投資が資産運用の上では最も合理的な方法ではないかと思うわけです。

株価が為替に翻弄されていますが、将来を見据えしっかり対策を行っている企業は、気が付いたらしっかり成長を維持しているというわけです。市場は、いずれそれに気が付くというわけです。





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