「需要」と「供給」のバランスによって、対象の価格は変動します。
この考えは、「需給」によって対象の価値が変動する場合と、そうでない場合に分けて考える必要があります。
たとえば、人によって対象の価値がまるで違うモノ・・・。
ヒストリックカー、特殊な食材、ヴィンテージ・ワイン、美術品などの場合、評価する人によって、妥当な価格は様々な上、品薄ともなれば、「需要」が「供給」を上回り価格は際限なく高騰します。
「妥当な価格」の理論的上限などありません。
また、上記の例ほど人によって対象の価値に違いが生じないが、必需品であり、供給に限界があるモノ・・・。
たとえば、原油をはじめとするエネルギーなどの場合は、明らかに「需要」と「供給」のバランスが、その価値を変動させ、変動した価値に対して、価格も変動します。
この場合もまた、「妥当な価格」の理論的上限などありません。
砂漠で水がなく、死にそうになっている人にとって、コップ一杯の水の「妥当な価格」に上限などあるはずもありません。
しかし、債券や株式の場合は、チト違います。
これらへの投資とは、
「現在の確かなキャッシュを差し出す代わりに、
対象から生まれる将来の不確かなキャッシュを受け取る行為」
ということですから、差し出すのも受け取るのもキャッシュです。
すると、上記の例ほど、需要と供給のバランスによる「価値変動」は大きくありません。
つまり、「個人の価値観」や「必需性の価値」に対する影響は薄れ、必然的に「妥当な価格」の上限は存在することになります。
たとえば、他人にお金を貸す行為を例に考えてみましょう。
Aさんは、100万円を一年間、Bさんに貸し付けるとします。
貸付利率を、年率10%としましょう。
この行為をファイナンス的に解釈すると、
「Aさんは、現在の確かなキャッシュ100万円を失う代わりに、
Bさんから一年後に110万円を受け取る権利を取得する。」
ということになります。
この場合の「受け取る権利」を証明した書類を「債券」と表現します。
さて、Aさんは都合により資金が必要になり、保有するこの債券をCさんに売却しようとします。
この債券の残り期間は、(計算をカンタンにするために)一年としましょう。
つまり、貸し付けた直後に資金が必要になったと言うことです。
Cさんにとって、一体いくらが妥当な価格なのかを考えると、
この債券の妥当な価格=0円以上110万円未満、となります。
一年後に110万円を受け取る権利を今日の時点で110万円が妥当だと考える人は居ませんよね。
よって妥当な価格の上限は110万円「未満」となります。
また、
Bさんから受け取る将来のキャッシュが「本当に実現されるのか否か」というリスク。向こう一年間のインフレ率。他のもっとリスクの低い投資対象から得られる利回りなどをAさんが考慮した結果、Bさんへの貸付利率を10%としたわけですが、Cさんにとってこれら「リスク認識」は、Aさんとは違う場合があります。
もし、
Cさんが、以上の諸々を考慮した結果、20%程度の利回りを得るのが妥当だと考えれば、約92万円(≒110万円/(1+20%))がCさんにとっての(今日現在の)「妥当な価格」となるわけです。
そして、Cさんが「Bさんなんてトンデモない!」とリスクを過大に評価すれば「そんな債券全く興味がない」となり、0円ということになります。
繰り返しますが、この債券の妥当な価格は、0円~110万円未満。ということになります。
以上の理屈(=将来のキャッシュフローを投資家のリスク認識によって現在価値に割り引く方法=DCF法)は、株式投資においても「全く同じ」です。
しかし、株式の「妥当な価格=価値」を把握するのは、上記の債券の場合ほどカンタンではありません。
株式の場合、将来受け取れるキャッシュは債券のように「利率」によって約束されていないばかりではなく、投資家に直接現金が手渡される「配当」だけが、投資家にもたらされるキャッシュではないからです。
(株式の場合の株主が「受け取るキャッシュ」とは、株主に直接現金が支払われる「配当」に限らず、企業内部に留保されるキャッシュも含みますし、配当せず再投資することによって、さらに将来のキャッシュフローを増大させること、つまり株主価値の創造という結果も含みます。つまり、将来のキャッシュフローは、配当や「株主価値」の上昇というカタチで株主に帰属します。「支払利息≒(企業の場合)配当」だけが投資家にとってのキャッシュフローだと勘違いしている「債券畑出身者」は、証券会社のCEOになっても、勘違いしたままだったりします(笑))
したがって、債券の場合に比べれば、株式の「妥当な価格」は、評価者によって“まちまち”です。
しかし、評価者が真っ当な知識を持っていれば、将来のキャッシュフロー予測は、
ある程度の現実的な範囲には、収まるものです。
しかし!
先ほどの債券の例にたとえれば、「一年後に110万円受け取る権利」のはずなのに、今日の時点で、その債券に300万円とか、500万円とかいう価格をつけてしまう「なんちゃって投資家」が存在します。
株式新規公開銘柄や、株式分割による一時的な株価高騰などがそれに当たります。
これらの現象を、「需給の関係」と片付けることが多いのですが、先ほどの債券にたとえれば、「どれほど需要が大きくなっても、一年後に110万円を受け取れる権利の価格が300万円とか、500万円になるのは、おかしい」と、思いませんか?
しつこいようですが、債券や株式に対する投資とは、「差し出すのもキャッシュ、受け取るのもキャッシュ」です。
よって、将来受け取れるキャッシュを越えたキャッシュを今日の時点で差し出すのは、おかしなこと、なのです。(いくら需要が大きくてもです)
また、一年後に110万円を受け取る権利が、10個に分割されて取引されることになっても(=株式分割の比喩)それぞれが取引された価格の「どれ一つも」110万円の10分の1である11万円未満であるべきなのです。
しかし、価値算定の難しい株式の場合、そのおかしなことが煩雑に起こります。
「需給の関係」で説明できることではありません。
敢えて説明するならば、「価値のわからない人たちがつける価格」としか言いようがありません。
そして、損をするのは、価値を把握できない人自身なのです。
価格変動のすべてを「需給の関係」と片付けてしまう「株式評論家(笑)」などが、未だに多数存在しますし、そんなインチキを大衆メディアは未だに起用してします。
メディアや、インチキ指南役に騙されないように価値算定の知識を身につけましょう。
もちろん、短期の「値幅取り」に専念すると言うならば「価値算定の出来ない人が形成する短期の価格変動」(←チャートね)について、死に物狂いで学んで(笑)、その上で是非損をしてください。
あっと、「運が良ければ」儲けられるかもしれませんからね(笑)
その場合でも、価値から大幅に乖離した高い価格が形成される原因は間違っても「需給バランス」によるものではなく「わかっていない人」の存在がそうさせるのです。
(↑ それまでも「需給バランス」と言ってしまったら、なんでもかんでも「需給バランス」ということになってしまい「需給」の言葉の意味さえなくなってしまいます)
2006年6月28日 板倉雄一郎
PS:
週末は、第18回合宿セミナーです。
二日間、たくさんの受講生、再受講生、そしてパートナーと共に楽しんでまいります。
皆様も、良い週末をお過ごしください。