板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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Deep KISS 第68号「価値と価格の相関」

僕は、「価値」と「価格」を普段区別して、エッセイやセミナーなどにて表現しています。しかしそれぞれを深く理解すれば、本当は区別できないものであることがわかります。
価値と価格の相関をいきなり表現すれば、読み手、聞き手は混乱してしまいます。よって区別して表現していますが、今回は、「価値」と「価格」の相関を書いてしまいましょう。

結論:
「価格は価格に内在し、価値は価格を内包する」

たとえばシリーズ1:「自動車の価値と価格」

車を買うという行為の経済的側面は・・・
「車両価格+諸経費という価格と、車という価値の交換」です。
このとき、車のような「モノ」は、個人の価値観によってその価値は如何様にも変化します。
旦那さんにとって(価格に換算した場合)1000万円ほどの価値があると思う「二人乗りのスポーツカー」は、しかし、奥さんにとってみれば「乗り心地も悪く、荷物も運べず、燃費も悪いただの粗大ゴミ」に見えるかもしれません。
「価値」とは、多くの場合、個人の価値観に依存します。
しかし、この「スポーツカー大好き旦那」であっても、支払う価格のすべてを「個人の価値観=心の満足」に依存し算定しているわけではありません。
たとえば、「リセールバリュー(=中古での販売価格という価値)」。
いくらスポーツカーとして乗って楽しくても、いずれそれを手放すことがあるかもしれません。
そのとき、どのくらいの「価格」で売却できるか・・・これは購買の意思決定には反映されています。
つまり、将来の売却予想価格は、購入時(=つまり現在)に個人が認める「価値」に内包されているわけです。

このとき、「将来の売却予定価格」は、旦那さん個人の価値観だけでは算定できません。それを将来他人に売却する以上、他人(=市場)がその価値を価格に換算してどれほどに見積もるであろうかを、客観的に判断しなければならないわけです。
他人の、それも将来の、価値算定が現在の価値に影響するわけですから、価値算定に「絶対」はありえません。
他人の価値判断が、個人の価値算定に影響を及ぼす・・・つまりこれは、個人の価値観に強く依存する「価値算定」にも、市場価格が影響を及ぼしている、と言えるでしょう。

たとえばシリーズ2:「企業の株主価値と時価総額」

言うまでもなく、「株主価値」は、価値であり、「時価総額」は市場が付けた価格です。
金融商品の場合、差し出すのもキャッシュであれば、受け取るのもキャッシュです。
よって、上記の車の場合ほど、個人の価値観は、その価値算定に強く影響を与えません。
特に国債の場合などは、その利回りと価格の関係は、市場にて極めて理論的に動き、個人の価値観の入り込む余地は株式に比べ極めて小さくなります。
なぜなら、国債から生み出される「投資家に帰属するキャッシュフロー」は、「表面利率」によって固定され、市場によって動くのは「取引価格と、その結果の利回り」に限定されるからです。
(デフォルトリスクは、国債の場合、よほどのことがない限り考慮されませんし、考慮される事態が起こったとしても、5年前に発行された10年満期の国債と、現在発行される国債の間で利回りに差が生まれない価格調整が市場によって行われます。よって発行日付の異なる国債間での裁定余地は事実上発生しません。)
株式の場合、債券と違い「投資家に帰属するキャッシュフロー」は、書面によって約束されません。将来の業績は不確実であり、よって観測者(=評価者)の見方や知識によって、妥当な価格は様々です。
(だからこそ、「売りたい(=価値に対して高い)」と思う人と、「買いたい(=価値に対して安い)」と思う人が、同じ価格で出会い、売買が成立します。)
しかし株式の場合であっても、車の場合よりは遥かに、個人の価値観の入り込む隙は小さいわけです。
しつこいようですが、支払う価格も受け取る価値も、どちらもキャッシュだからです。

企業価値を分析し、株主価値を算出する過程で、当該企業の「投資家に帰属するキャッシュフロー」の割引率に相当するWACC(=加重平均資本コスト)は非常に重要です。WACCに占める「株主資本コスト」の正確な算出方法は現存しません。よって、ここに個人の価値観が入り込む隙が生まれます。
CAPM(=資本資産評価モデル)が、「株主資本コスト」の算出において、現存する唯一の手法であることは、これまで何度も書いてきましたが、同時にこの手法が「あてにならない」ことも何度も書いてきました。
それでも、多くの市場参加者が認める(しかないですからね)CAPMの例でも、「価値と価格の相関」は示されています。
CAPMにおいて、「市場の株価変動具合=β」は、大切な因数です。
これはすなわち、市場の株価変動が、その価値に大きく影響を及ぼすということに他なりません。
つまり理論的にも、「価値」には、市場の「価格」が影響を及ぼしていることが認められています。
(だからこそ、あまりあてにならないともいえます。)

ちょっと難しくなってきてしまったので、話を戻します・・・

価値と価格の相互影響について理解することが出来れば、たとえそれが「感覚的」であったとしても経済活動をする上で非常に役に立ちます。
しかし、相互影響を理解するためには、「価値の把握」について、最初は「価格」と区別して、十分な理解を得る必要があります。価値についての十分な理解を得る過程で相互影響について徐々に理解できるようになります。

経済は、人の心が動かします。
よって常に「現在の価格」以外は常に不確定です。
「不確定さを、論理的に確実に理解する」(←文章の間違いでは無いですよ)
が経済を理解するということの難しさであり、よって、「A=B」という暗記によってはいつまで経っても理解は得られません。
結局のところ、「脳みそ」の中に、企業やマクロ経済の「モデル」を創り上げる以外に経済を理解する方法は無いのです。
安易に「答えを求める」という思考を捨て、「仕組みを理解する」という思考にチェンジしなければ、経済の理解は不可能です。
あせらずじっくり、「あの場合は~で、~となるから、~と成るはず、しかし~となれば、~にも影響を与え・・・・」とドツボに何度もハマり、それを続けることによって、全体のループに気がつくようになります。

経済に明確な答えは存在しません。
答えは、時間経過によってしか判明しないのです。

2006年3月27日 板倉雄一郎





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