連日「欠陥マンション問題」がメディアで取り上げられています。
毎度の事ながら、メディアのインタビュアーは、ア●ですから、つっこみも、意見も、さっぱり的を射ていません。
今回の問題のように、利害関係者が複数存在する場合に考えなければならないことは、まず「商流」です。
そして、「商流」と「責任」を同時に捉える必要があるわけです。
ちなみに、この事件の商流は、マンション購入者⇔デベロッパー⇔施工者⇔設計者そして構造や立地条件などを監督する国土交通省およびその出先機関、となっていると認識しています。
欠陥マンションを購入した現在の所有者が、直接経済的な取引をした相手は、デベロッパー(=建築主とも表現されますが、建築した物件を販売する場合、一般的に「デベロッパー」と呼ばる)なわけですから「構造計算書の偽造をデベロッパーが施工者や設計者に指示していようがいまいが、少なくとも民事的には、現在の所有者に対する責任は、すべて「一次的」に、デベロッパーにあるわけです。
よって、デベロッパーは、一次的に現在の所有者に対する「瑕疵の責任を全て取る」のが当たり前です。
その上で、デベロッパーは、事実に基づき、建築者、設計者、そしてそれらを管轄する役所に対して責任を配分する・・・必要であれば訴訟する。
そういう構造であるべきです。
メディアのア●なインタビュアー(今回はフジテレビの「報道2001」という番組を観た感想)は、(デベロッパーであるヒューザーの社長に向かって)「あなたは、責任が自社には無く、むしろ被害者だと訴えているのに、(現在のマンションの)所有者に対して、『全て買い戻す』と発言している・・・それは矛盾するのではないか!」などと、「商流」について、全く認識の無い発言を、公共の電波を使ってするわけです。
つまり、「責任の問題」と「業界構造の問題」をごちゃ混ぜにしているわけです・・・。
インタビュアーとして「全く仕事をしていないのと同じ」と、僕は評価します。
例えば、当事務所のプロダクト(DVD)について、最近起こった問題とその対処について書いてみましょう。
(DVD「お金と経済の本質」をお買い上げいただいた方は、その問題と、当事務所の対応について、良くお分かりだと思います。)
DVDの元になる映像は、僕の手元に「VHSビデオ」の形で届きました。僕や、当事務所のDVD販売担当のパートナーは、このVHSビデオをチェックしましたが、内容および品質に問題はありませんでした。
(↑ というより、僕もパートナーも、「これはいい!」という自惚れることができる(笑)内容でした)
我々によるチェックを経て、DVDは数百枚印刷され、僕の手元に届くと同時にご注文を頂いた顧客へ発送されました。
しかし、ここで些細な問題が発覚しました。「音飛び」です。
お買い上げいただいた方の中には、「気がつかなかった」という方もいらっしゃるほど、それは些細な「音飛び」でした。問題の原因を追究したところ、編集を担当していただいた(我々にとっての)取引先のミスであることが発覚しました。しかし、当たり前ですが、購入して頂いた方々に、「音飛びが認められますが、これは当事務所の瑕疵ではなく、編集をお願いした取引先の瑕疵ですから、彼らに文句を言ってください。」などとは、言えないわけです。
よって、DVDをお買い上げいただいた顧客と直接の接点である板倉雄一郎事務所は、顧客に対する責任を全て取る必要があります。
我々は、責任の所在を追及したり、賠償を求めたりする前に、まずは我々の顧客に対し、問題点を修正したDVDを印刷し、配送するというディシジョンを実行しました。その上で、この瑕疵の原因である編集を行っていただいた取引先と協議し、我々が我々の顧客に対して取った責任の配分をお願いしたというわけです。
DVDをお買い上げいただいた顧客の中には、ある日突然「2枚目のDVD」が届いて困惑した方もいらっしゃいました。
もちろん、改訂された2枚目のDVDをお送りする理由とお詫びの文面を添付しましたが、それを読まれる前に、「何故か2枚目が届きました。私が注文したのは、1枚だけです。何かの間違いでは?」と、正直に連絡していただける方もいらっしゃいました。
また、「板倉雄一郎事務所の姿勢に感激しました」と言っていただける方もいらっしゃいました。我々は、「当たり前の対処」をしたまでです。
しかし、売り手側が「自らの利益のために、自らの顧客に損をさせてはならない」と、真剣に考え、それを行動に移している限り、その顧客も以上のように、真っ当な方々ばかりになるはずだと、少なくとも僕は考えています。
同様に、我々の姿勢は、取引先にも通じます。彼らは、彼らのミスをスグに認め、修正後のDVDの印刷および発送費用をすべて負担していただきました。
当事務所の利益も、当事務所の取引先の利益も、すべては、エンド・ユーザ(=この場合DVDの購入者)から生まれます。
エンド・ユーザに「損」をさせたのでは、我々に先がありません。よって、当事務所も、その取引先も、その取引先の更に取引先も、責任の擦り付け合いなど行っていません。
話し合いによって合理的に対処すべき問題に過ぎないのです。仮に、内部での責任の擦り付け合いが発生したとしても、それを我々の顧客に伝える必要はありません。
顧客からすれば、「それはアンタらの問題だ」となるわけです。
したがって、商流の中で一旦我々が、顧客に対する責任をすべて引き受け、その上で「我々の問題」として、内部で処理するべきことです。
我々が取った対処は、「すばらしい対応」でもなければ、「尊敬される経営」でもなく、「当たり前の行為」に過ぎないと思います。
我々が、我々自身を厳しく評価すれば、「完成品のチェックをもっとしっかりやるべきだった」ということになろうかと思います。
今回の「欠陥マンション事件」の場合、以上のような「当たり前」が、それを作る側にも、それを販売する側にも、それを評価する側にも、それを監督する側にも、それを批判する側にも、それらの問題を伝える側にも、そして、購入する側にも、ちょいと欠けていたのではないでしょうか?
構造設計をチェックする(確かイーホームズという)機関は、民間企業です。国土交通省の出先機関です。 「官から民へ」という掛け声は立派です。
「日本経済の外資への開放」という主張も、一見立派です。しかし、それらを受け入れる土壌・・・つまり国民の経済や取引に関するリテラシーが追いついていないと思うのです。
結論は、いつも一緒ですが、「しかるべき教育」が、「カタチ」より遥かに重要なのです。
国力と言うものは、結局のところ、その国の国民の知識や教養にかかっているのです。法制度が国力を創り出すのではないのです。
「適法ならOK」などということではないのです。
(違法ならもちろんマズイですが) というか、マスメディアがダメよね。
しつこいようだけど、彼らは、「責任問題」と「民事と刑事」と「業界構造の問題」を、ごちゃ混ぜに議論しているんです。
それと、被害者(とされている)ところのマンション購入者ですが・・・「所有」に特別な価値を感じすぎると、こういうことになっちゃうリスクがあるんです。
同じマンションに「賃貸」で住んでいる人なら、「おら!引越し費用よこせ!」ぐらいで、さっさと退散できるわけですからね。
それに、所有して住んでいようが、賃貸で住んでいようが、少なくとも(雨風凌ぐと言う意味では)物理的には、「おんなじ構造の部屋」です。
立派な構造のマンションを、「自分だけが安く手に入れる」という、「ありえない好条件」を現実と思ったあなたたちにも、責任が全くないとは言えないと、今回の事件の発端である船橋の物件の真隣に親族の住む僕は、思いますのよ。
だって、麻薬の売人だって、「そこに需要があるから」というのが、彼らの言い分ですからね。
少なくとも僕なら、「品質を外側からしか判断できないモノ」を、経済価値を「生み出さないモノ」を、資本コスト(マンション購入の場合はローンの金利)を支払ってまで、所有しようとは、全く思いません。
所有すれば、今回のような事件ばかりではなく、たとえば「隣人がゴミ屋敷を始めた」などという問題にも対処しずらいですよ。
イトーヨーカドーと、ダイエーの明暗を分けたのは、「所有」を欲したか否かなのです。
被害者とされている方々に置かれましては、「もしかしたら、自分自身の『所有欲』が、自分自身の損害の原因であるかもしれない」という可能性も考えていただきたいものです。
国民の多くが、行政を信じることによって、自分の責任が回避されると思っているうちは、「官から民へ」は、実現できません。
「自己責任」が嫌なら、たくさん税金を払いましょう。
「たくさん税金を払う」のが嫌なら、自分で自分のお尻ぐらい拭きましょう。
「自分で自分のお尻を拭く」のが嫌なら、自己責任をちゃんと考えましょう。
「一生に一度の大きな買い物をした人たちが可哀想」という意見を否定するつもりはありませんが、そんな大切な買い物なら、「もっとシッカリ自己責任にて購買対象の物件をチェックすべき」という考えがあって、初めて、「官から民へ」が実現するのです。
国民の多くが、このように真っ当な判断基準を持てば、インチキ業者は自然と淘汰されるのです。
「株式投資」でも同様のことが言えます。有価証券報告書を、ろくすっぽに読みもせず、価値算定手法も持たず、その上で「損した」と嘆くのは、「自分が悪い」のです。
そんなイイカゲンな、なんちゃって投機家が増えるから、インチキ経営者も増えるんです。そんなイイカゲンな、購買者が増えるから、インチキマンションデベロッパーが増えるんです。
経済に関するリテラシーの低い国民がたくさん居るから、インチキビジネスが蔓延るのです。
インチキを無くすためには、税金をたくさん払い、官に監督をお願いする、もしくは、自分自身で、自分の判断の確からしさを高める努力をする。
これ以外にありません。 「税は払いたくない、責任は、官が取れ」、そんなバカヤロー国民が増えれば、この国もおしまいです。
以下、ある方のエッセイを参考までに掲載いたします・・・
反社会学者として名高いパオロ・マッツァリーノ氏が新刊『反社会学の不埒な研究報告』で、日本の不動産がいかにクズであるか、統計データで示している。
(ちなみに同氏の書籍は前著『反社会学講座』ともども必読である。ほとんど全てのニュース番組と新聞、雑誌の調査報道、統計報道、評論家のコメントがいかに危険な形で誤っているかが鮮明にわかる)
マッツァリーノ氏の論を大雑把にまとめると、、
① 日本の住宅着工数は戦後ずっと減っていない というのが日本の不動産の現実である。 |
この話の、とりわけ欧米における不動産の位置づけ(土地ではなく上物こそに価値がある)という価値観があれば、今回のような構造欠陥マンションというのはそもそも建ちようがない。
そしてマッツァリーノ氏の論はそこまでは触れていないが、この欧米における不動産に対する価値観は、一個一個の不動産に価値があるのではなく、その連なりとしての街とそこに住まう人々が営む社会の水準が高いかどうかで「価値」が決まる、という思想につながっている。
ヨーロッパの街並みの美しさを、日本人旅行者は大好きだが、その美しさが「個人の不動産に対するエゴ」をコントロールしているからこそ成り立っている事実をどれだけ理解している人がいるだろうか。
ま、いないですな。せいぜいがヨーロッパ家具をお家にしつらえてご満悦ってとこでおしまいである。
マッツァリーノ氏は上掲書で、今回の事件を予想するかのような発言を記している。こちらもかいつまんでまとめると
① 同じ3,000万円で家を買えるにしても、欧米ではそのうち住宅にかけるお金が2,500万円。日本では土地代が1,500万円、住宅が1,500万円。 以上は構造問題である。 |
だから、姉歯やヒューザーを叩くだけでは何の意味もない。
だから今回の事件は事件ですらない。むしろ、みんなが見ないフリをしていた「常識」であり「日常」だったわけである。
こうした構造を変えるには、土地を個人や企業が所有すること自体に価値がある、という価値観そのものを覆すしかない。
が、それは現在の日本の資産形成の根幹をひっくり返すことでもあるから、現実にはきわめて困難だろう。
が、この価値観で猫も杓子も不動産をあっさっている、という状況が、「外資系金融機関」に土地と不動産を売り買いされたあげくにさやを抜かれて廃墟のようなゴミマンションが残る、という未来をいま創り上げようとしているわけだ。
以上、ある方のエッセイの掲載でした。
2005年11月27日 板倉雄一郎
PS:
この事件のおかげで、今週「お食事会」をする予定だった女性陣の幹事の方(=元局アナ)が、当日「テレビの生出演」となってしまい、お食事会はヤローばかりでやるハメに(笑・・・だれか女性陣参加いただけませんかね、30日、ヤロー5名なのですが・・・・)
PS^2:
それにしてもこの問題、、実は「氷山の一角」なんじゃないでしょうか・・・・