板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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Deep KISS 第7号「渋滞理論」

「渋滞を作っているのは、自分自身」とは、何度も書いていることです。
僕は、この当たり前の現象を、株式市場のメカニズムを理解するときのわかりやすい比喩だと思っています。

たとえば、光をさえぎるブラックボックスの中に、コップが入っているとします。
このコップが、どのような形なのかを、「コップに全くなんの影響も与えずに」観測する方法を考えてみてください。


は、






す。

答えわかりましたか?
もし、答えが判明したとしたら、あなたはきっとノーベル物理学賞を受賞できるはずです。
なぜなら、上記問題の答えは、「そんなことは不可能」だからです。
(量子力学的には、箱を開け、コップを見るまで、コップの存在すら揺れ動くと言うことになりますが、この量子力学の視点は、割愛します。)

「箱を開けて見ればよい」と思った方・・・
箱を開け、そのコップを視覚的に観測するということは、コップが箱の中に入っているときには当てられていなかった「光」を当てる必要があります。
光が当たっただけで、そのコップには光によるなんらかの影響が及びます。
よって、上記の問題の条件を満足することは出来ません。

「X線」で観測する場合も、当然ながらコップにはX線の影響が生じます。
「MRI(核磁気共鳴)」による観察も、磁気の影響が生じます。

つまり、あらゆる「観測方法」は、観測する対象に何らかの影響を与えること無しに実現しないのです。

株式市場のメカニズムにおいても、上記例と同様に、「あなたの存在による影響」が必ずあります。
たとえ、一株の取引であっても、その株を買うためには、他の誰かが同じ価格で売ってくれなければ買うことは出来ません。
同様に、たとえ一株であっても、その株を売るためには、他の誰かが同じ価格で買ってくれなければ、売ることが出来ません。
そして、あなたの取引は、それがたとえ一株であっても、「売れば」株価の下落圧力になり、「買えば」株価の上昇圧力になります。
確かに「たった一株」では、微々たる影響でしょう。
しかし、「微々たる影響だ」と考える人が、たくさん居れば、それは大きな影響になるわけです。

「そうだけど、自分が取引しない、ポジションを持っていない企業の株価を、客観的に観測することは出来るでしょ」と思われましたか?

このような考えは、企業価値を全く無視した投機筋の方の考え方です。
なぜなら、赤ん坊だろうが、老人だろうが、主婦だろうが、主夫だろうが、女であろうが、男であろうが、病人だろうが・・・とにかく生きて生活している以上、企業の業績に影響を与え、企業の業績は、当たり前ですが株価に影響を与えます。

たとえば車・・・
車を買うだけで、自動車会社の業績、自動車会社と取引する企業の業績、それら企業の従業員、株主、取引先・・・と、その影響は、「わずかながらではありますが」、必ずあるのです。
当然ながらその影響は、「風が吹けば桶屋が儲かる」がごとく、回りまわって、自動車会社にも、あなた自身にも何らかの影響を与えているわけですし、その影響は当然ながら、その企業の株価にも反映されます。
車を買わなくたって影響があります。
たとえば、あなたの生活の中で「トラック輸送」の伴わないモノがありますか?
無いですよね。
「そのモノ」が直接あなたの自宅にトラックで輸送されなかったとしても、「そのモノ」を作る過程で、部品の輸送をトラックで行っている場合が考えられます。
また、ネットを使った金融取引でさえ、それを実現するためのシステム構築の段階で、サーバーだの、何だの、とにかく何らかの輸送が伴っているわけです。
ってことは、あなたの生活は、トラック輸送会社にも影響を与え、与えられ、
ってことは、トラック販売会社にも、トラック製造会社にも、トラック・・・(もぉええちゅうねん)
とにかく、「あなたと社会の間」では常に互いに影響を与え合っているわけです。

「なら、遥かかなたの恒星(=我々の太陽のように自ら光を放つ星)なら、その星に影響を与えずにかんそくできるんじゃない?」と思われましたか?
このあたりの話を進めると、量子力学の話をしなければならなくなってしまうので、止めておきます。
(↑、面倒なので逃げました(笑))

存在とは、他の存在や事象から「全く独立して存在することは不可能」なのです。
つまり、
「すべては全体の一部に過ぎない」
のです。

「ライオン」は、少なくとも彼らの顕在意識の中で、「俺たちが増えすぎたら、他の動植物を食べつくしてしまい、俺たち自身も生き残れなくなる」とは、考えていないでしょう。
(それを証明する手立てはありませんけどね)
自然の摂理(バランス)の中で、今、たまたま、食物連鎖の均衡が得られているだけのことです。
現在の均衡でさえ、時間経過と共に徐々に変化していくでしょう。
しかし、人間は、ライオンとは違います。
世の中の仕組みを考え、生み出し、社会を「自分の存在も含めて観察」することができます。
自分の言動が、社会に対して「どのような影響があるのか」を、考え、想定することが出来るはずです。
自分の言動が与える直接的な(=一次的な)影響だけしか想定できない人もいます。
(それでも、「自分のことだけ考える人」に比べれば、遥かにマシです。)
自分の言動が与える間接的な影響までも想定できる人もいます。
自分の言動が与える間接的な影響が、さらに自分自身に影響を与えるという「ループ現象」まで想定できる人も、たまに居ます。
自分の考えや想定が及ぶ範囲を広げ、「自分と全体にとっての利益」を考慮した上で行動する・・・これこそ、人が人であることの存在意義だと思います。
(この場合の利益とは、単純に経済価値だけを指しているわけではありません。)

もちろん、偉そうに書いている僕だって、以上のことが理解できるからこそ、同時に自分自身の考えの「狭さ」を常々感じています。
そう感じるからこそ、「もっと知りたい」と思うのです。
知れば知るほど、知らないことの方が遥かに多いことに気が付きます。
正直な話、毎日毎日、エッセイを書くたび、人と会話をするたび、メールのやり取りをするたび、
「本当にこれでよいのだろうか?」
と悩んでいます。
その悩みが、新しい発見の基になっています。

(以下、たとえば話が続きます)

たとえば、デイトレードをすることを「悪」だとは思いません。
しかし、ある企業に「たった数分や数時間」投機することによって得た(または失った)経済価値は、一体誰に対して、どのような価値を提供した見返りなのでしょうか?
僕には、正直わかりません。
しかし、その経済価値を手に入れる行為によって、少なくとも直接的には当該企業の利害関係者に対して何らかの影響を与えていることは間違いありません。
どのような影響があるのかは、みなさんで考えてみてください。
しつこいようですが、「その影響」を考えることが出来るのが人間たる所以だと、少なくとも僕は思うからです。

たとえば、ある有名で世間を騒がせている投機家(笑)を交えてのお食事会をしたときのことです。
彼は、「ゲーム理論」を持ち出し、ジャンケンゲームを始めました。
僕は、その程度のゲーム理論などよく知っていましたから、ゲームには参加せずに、その投機家の言動を観察していました。
(僕が観察していることでさえ、彼の言動に影響を与えているわけですが)
彼は女子大生相手に、当然勝ち。
そして、こう言い放ちました。
「人間は、考えるからこそ人間なんだよ。」
確かにそうです。
しかし、その方の考えは、「目の前の勝ち負け」にしか及んでいないのではないかと思いました。
その後の彼の社会の中での行動は、確かに「適法」であり、「ルール」を尊重していると思います。
しかし、人の活動、生き方とは、「違法か、適法か」によって評価されることでしょうか?
企業経営を評価するとき、違法な手段はもちろん論外ですが、適法ならばOKというほど低次元の話しではないと、少なくとも僕は思います。

「個の利益追求が全体の利益につながる」と言ったアダムスミスの理論は、ジョンナッシュの「ナッシュ均衡」によって、破られました。
理論はあくまで理論ですから、「ナッシュ均衡」でさえ、時間経過と共に他の理論によって破られるかも知れません。
しかし、理論を持ち出すまでも無く、
「すべては全体の一部に過ぎない」のは、間違いないと、少なくとも僕は思います。
あらゆる人の行動は、社会に何らかの影響を与え、
社会現象はあらゆる人に影響を与えます。

資本主義社会の中で、「金」の影響力はきわめて大きいわけです。
だから、莫大な「金」を動かせる立場になればなるほど、その影響を考慮した行動をするべき責任が生まれるのです。

「ノーブレスオブリージュ」とは、自身が行った行動の「正当化」のために使われる言葉ではありません。
自分の行いが社会に与える影響を、考え行動する「責任」を表す言葉です。

未来は揺れ動きます。
その揺れ動く未来の中で、どんな未来になるかは、「今の言動」が決めることです。

参考エッセイ:
KISS第123号「美人投票」
KISS第95号「人」
KISS第92号「体(てい)の良い総会屋」
KISS第72号「タイムマシンパラドクス」

ってか、すべての過去のエッセイが参考エッセイです。

2005年10月14日 板倉雄一郎

PS:
先日、「んなことやっても無理だよ」的な内容のメールを読者から頂きました。
さらに、「自分が世の中を変えようと思うな、世の中が勝手に変わるから」と、他人から言われたとのメールも頂きました。
どちらも、間違いだと思います。
「一人が動き出さなくて、全体が動くはずが無い」ですし、
そもそも、やってみなければ、実現できるかどうかは、わからないのです。
少なくとも僕は、僕が想定できる範囲の中で、僕が「理想」と思う社会のために、たった一人でも、何らかの活動をして行きたいと思います。
そうでなければ、少なくとも僕は、生きている意味を感じることさえできないわけです。
(あくまで「僕が思うところの理想」ではありますが)

PS^2:
断っておきますが、僕は、「僕の言動のすべてが社会にとってプラスになる」なんて、おごった考えを持っているわけではありません。
僕の主張に、致命的な間違いがある可能性を、常に考えていますし、そもそも、僕が生きているだけで、大切な資源を消費してしまっているわけですから。
ただ、「僕の言動のすべてが社会にとってプラスになる」に、近づけるように努力したいということです。

「少なくとも、言っていることと、やっていることに矛盾が生じない生き方」のための努力したいと思います。
だって、「きれいごと」で人をひきつけ、やっていることは全然違う人って、結構たくさん居ますし、多くの方は、「きれいごと」に騙され、「きれいごと」を言う人を「あの人ってすごい!」とか思う傾向がありますからね。
「言葉と行動」の両側面で人を評価したいものです。





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