会計監査の目的とは、当該企業の会計処理にウソ偽りや間違いが無いかを「客観的に判断」し、問題がなければ「適格」とハンコを押すことです。
ここで重要なのは、「客観的に」という部分です。
しかし現実には、監査を実施する監査法人の報酬は、監査対象の企業からいただくわけです。よって、「客観的に」を保証するのは、監査法人の「モラル」だけになってしまうのです。
結果、ライブドアを始めとする幾つもの上場企業のインチキ会計に「適格ハンコ」が押されてしまうというわけです。つまり、ガバナンスは、誰からカネを頂くかに強く依存してしまうというわけです。
事実、監査法人からは、「たくさん報酬くれるからね・・・ある程度は・・・」という声が良く聞こえますし、どう考えても粉飾だろうという企業が上場企業の中にもいくつか見受けられます。
例えば、何期にも渡って、会計上は「増収増益」だが、営業キャッシュフローが何期にも渡って「マイナス」の企業なんかがそれに該当します。
このような場合、僕は直ちに貸借対照表(=B/S)を確認します。
案の定、総資産の「大部分」が、売り掛けだったりするわけです。
もちろん、このような場合は、投資対象にはなりえません。
また、やたらとグループ間での取引が複雑で、UFO(=有価証券報告書)を読めば読むほど、ワケが分からなくなるような企業は、仮にインチキが無かったとしても少なくとも僕は投資しません。
なぜなら、インチキを把握することが困難になるからです。
たとえばライブドアがその典型的な例です。
安心して投資できる企業の最低限の条件は、「何をやっているか単純でハッキリしている企業」なのは言うまでもありません。
で、話を戻して提案です。(上場企業に関して)
監査にかかるであろう費用は、証券取引所が、上場企業から「監査費用」という名目で集金する。
監査に必要な費用は、企業規模や取引の複雑さなどによって異なるので、適当な基準を設け、幾つかのランクに分ける必要があります。
その上で、証券取引所が、それぞれの企業の監査を、どの監査法人に任せるかを「客観的に」判断し、証券取引所から監査を依頼する。
こうすれば、上場企業と監査法人の「癒着」は、少なくとも現在よりはマシになる。
但し、今度は証券取引所と監査法人の「癒着」というリスクも考えられますが、監査法人と監査対象企業が直接取引するよりマシなはずです。
「視聴率」にも同じことが言えます。
視聴率の測定方法を考え、実際に測定し、その結果を発表する企業の株主構成は、その大部分が民放キー局、そして大手広告代理店だったりします。
参考エッセイ:KISS 第6号「経営者不在の民放TV局」
つまり、視聴率が上昇することによって収益が増える企業が、視聴率を測定する企業の株主と言うわけです。この場合も、ガバナンスは働きにくくなります。
本来、視聴率の正確さを求めるべきは、その視聴率を頼りに広告費を負担する「広告主」ですから、広告主が視聴率調査にかかるコストを「直接」負担すべきであって(米国ではそのようになっています)、同時に視聴率調査企業の株主は、視聴率に関連する様々な企業群であるべきです。
そうでなければ、「モラル」だけが視聴率の客観性を担保することになり、ガバナンスは不十分です。
ファイナンスを理解すると、「カネの流れ」が見えてきます。
「カネの流れ」が見えてくると、その先にある「人の心」が見えてきます。
結局のところ経済的取引は、常に「誰かの価格と他の誰かの価値の交換」であることに気づき、更に経済とは「人の心が動かすシステム」であることに気がつきます。
完全なガバナンスは、システムによって実現するわけではありません。
どのようなシステムであっても、そのシステムに参加する者がシステムを正しく理解した上で、最低限のモラルを守ることが大切です。
だからといって、「システムはどうでもよい」ということではありません。
システムで防げることは、システムを改善すべきであって、システムですべてが解決するわけでもありません。
ガバナンス・・・言うは安いが、実現は「人」に依存するというわけです。
2006年2月28日 板倉雄一郎