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Deep KISS 第81号「村上ファンド ミイラ取りがミイラに」

村上氏と堀江君の共通点を列挙して、同質に扱うメディアやそのコメンテーターが居ます。しかし、本質的に、全く別物です。

堀江君は、その行動規範に「社会に対する価値提供」は、最初から無かった。
自らの「金儲け」がすべてであり、そのためにはなんでもした。

自らを応援する者(←同社株主)でさえ、彼は搾取の対象としていた。

裁判の行方を待つ必要はあるが、仮に堀江君が何も知らなかったとしても、代表取締役として、「知らなかった」で済むはずも無い。

仮に「刑事事件」として無罪となったとしても、民事として、株主代表訴訟をはじめとする訴えが相次ぐでしょう。

一方、村上氏に関しては、「少なくともファンド立ち上げの当初の頃」は、「株主を軽視し、現金を遊ばせておくような御めでたい経営者」に対し、「株主をちゃんと重視しろ!」というメッセージを送り、その「ついで」に、配当なりの利益を稼いでいた、と僕は認識しています。

つまり日本企業のコーポレートガバナンスを確立する一つの力に成ろうとしていたであろうし、実際その効果はあったと思います。

少なくとも堀江君のように「自社の株主(←ファンドの場合には出資者)」まで裏切ろうとはしなかったといえます。

この点、二人の大きな違いです。
(二人の結果は、大して変わらないようですが)

しかし「出資者を向きすぎたファンド運営」は、ニッポン放送の買収劇がきっかけなのか、上記の「活動理念」が薄らぎ、「ファンドとして利益を追求する」という、(もちろんそれ自体は悪ではないが)「よくありがちでつまらない金の亡者」になってしまったということでしょう。

なぜか・・・

話は簡単です。

彼が、搾取先上場企業に対し、
「おいらは大株主だぞ!」と主張することと同様に、
彼のファンドにも、
彼のファンドに出資している出資者(企業でいえば株主)が存在し、
その出資者は、当然ながら、
出資した見返りとしてのリターンを求めるわけです。

村上ファンドの場合、
メディアに注目されるような派手な活動を続けていましたから、
それを見た出資者の村上ファンドへの出資に対する「期待収益率」は、
決して小さくないわけです。

たとえば、出資者の期待収益率が年率30%だったとすれば、
村上ファンドは、年率30%を超えるパフォーマンスを得なければなりません。

必然的に、「理念よりリターン」と、その行動理念は変化するわけです。

ある意味、「ファンドマネージャとしては真っ当」だったわけですが、
そもそも運用額が大きくなった場合、投機による搾取は難しくなり、本質的な投資(=対象企業の経済価値創造に長期で貢献する)に切り替えなければ、ファンドとしての成功は難しくなるものです。

しかし、企業価値や株主価値について(彼の発言を聞いている限り)彼はあまり詳しくありません。

よって、小さなファンドの投機手法のまま、運用額が大きくなり、結果として「裏技」を使うハメになっていったのでしょう。

たとえば、
10億円を、1年で倍にすることは、不可能ではありません。
しかし、4000億円を、1年で倍にすることは現実的ではありません。
10億円の運用の場合と、4000億円の運用の場合で、同じ[「投機」手法が通用することは無いのです。

村上ファンドの手口とは、要するに「金の力で相手から脅し取る」手法です。
そんな手法は、回帰的に考えて継続不能です。

ファンド運営額の肥大化と共に、奪い取ることから、当該企業の利害関係者とのパートナーシップによって価値創造を行うという本当の投資手法に切り替えなければならなかったのに、そこまでの知識や手腕を持っていなかったわけです。

村上ファンドの手法には、いくつかの破綻が見えていました。
たとえば・・・・

阪神電鉄のケースのように価値算定に大きな間違い「ダブルカウント」があり、

その上、単なる搾取を計画していた様子があり、

松坂屋のケースのように、無理なシナリオがあったりと。

多少なりともファイナンスや企業に関する真っ当な知識がある者が村上ファンドの手法を見れば、「ああ、わかって無いか、または、わかった上での搾取をやってるな」と、わかるわけです。

「体の良い総会屋」と題して、村上ファンドの手口を僕が言及したのは、昨年(2005年)の6月28日でした。

インサイダー取引があるとか無いとか、そういった「法律論」については、僕は言及していません。

しかし、違法か適法か、という議論の前に、
「その行為が社会にどのような結果をもたらすのか」
という点について、(経済的な活動に関しては)ファイナンスの面から考えれば、結果は出るものです。

いくら言葉で、「お客様のため」、「株主様のため」と言ったところで、その手法が全く逆であれば、わかる人にはわかります。
いくら言葉で、「企業価値」と村上が叫んでも、彼の手口は明らかに企業価値破壊です。
(ただし、余剰現金を遊ばせておく企業を擁護するつもりは全くありません。)

言葉は大切です。
しかしその言葉がその人間の「理念」から生まれた真実で無い場合、いずれ破綻し、そのインチキな言葉が、結果としてその人間のダメージを大きくします。

いくら「繕った言葉」を吐いても、聞き手が冷静であれば、不思議と「本意」は透けて感じ取れるものです。


「数値としての計画より、理念を優先すべき」

僕は、自分自身のために、これを貫いています。
僕が、ハイパーネットを倒産させたことによって学習した最も重要なことです。

「初心忘れるべからず」
日本にはたくさんの貴重な言葉が残されています。
本来、ValuationやFinanceのような外来手法を持ち出さなくても、この国の先人は、たくさんの深い言葉を残してくれています。
外来手法を深く追求した先には、「灯台下暗し」、この国の様々な言葉に突き当たるものです。

僕は、彼の「企業は株主のものや!」という暴言を聞いたとき、
「あらら、ミイラ取りがミイラになるな」と感じました。

2006年6月3日 板倉雄一郎





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