板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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Deep KISS 第13号「なぜそれがそこにあるのか」

なぜ上場企業の株価がそこにあるのか?
その価格で株式を売りたい人と買いたい人が出逢うから。
確かにそうですね。
しかし売りたい人は、なぜ過去にその株式を買ったのでしょうか?
また、買いたい人は、なぜその価格で買おうとするのでしょうか?
どちらも儲かると踏んでいた(踏んでいる)から。
確かにそうですね。
しかし、どうして儲かると思った(思う)のでしょうか?
過去の株価チャートの形から、「今後上昇するだろう」と思って買う人も居るでしょう。
過去の株価チャートの形から、「十分に評価益が出たからこの辺で利益確定しよう」という思って売る人も居るでしょう。
また逆に、損切りとして売る人も居るでしょう。
しかし、もし、このように「価格変動」だけを見て、株式の売買をする人による資金量が大部分なら、果たして、トヨタ自動車の時価総額が18兆円であったり、マザーズに上場する新興企業の時価総額が数十億円という「差」が生まれるでしょうか?
この差が「美人投票」や「人気投票」の結果として生まれるでしょうか?
「生まれるんだ」という方もいらっしゃるでしょう。
しかし、少なくとも僕は、その価格(=株価)を裏付ける「株主価値」がそこにあり、その株主価値の差が、結果的に時価総額の差になっていると思います。
「株主価値」に目を向けられる人ほど、持っているだけでは何の役にも立たない現金を、企業の価値創造によってその価値が増大する株主価値の一部(=つまり株式)に「変換」し、時間経過と共にその恩恵を受けるからだと思います。
価値に目を向けることができる人ほど、その経済価値を増大させることができ、結果、株式市場を占める資金の多くが、価値を把握できる人によって動かされる・・・その結果、価値と価格が、少なくとも長期では、均衡する・・・そう思います。

1980年代後半、ご存知のようにバブルが発生しました。
主な原因は、土地の価格が、その土地の価値に無縁に高騰し、それが株式市場にも波及したわけですが、このとき(1989年末)、株式市場に占める「個人投資家」の比率は過去最高となりました。
つまり、価値算定の出来ない「土地成金」や、価値算定の出来ない個人投資家の資金によって、それぞれの企業の株主価値とは無縁な価格(株価)が形成されたわけですね。
その直後のバブル崩壊で、最も損失を被ったのは、やはり価値算定の出来ない個人投資家でしょう。
(↑これは、予測の範囲を出ません。)

投資対象の経済的価値などどうでもよい、または、そもそも価値なんてわからないという人も、事実、市場に参加しています。
多くの場合、このような方々は、価値算定の出来る人から「価値に対して割高な価格」で、株式、つまり株主価値の一部を掴まされることになります。
また逆に、価値に対して相当に割安の価格にて、せっかく持っている株主価値を、「価格がしばらく下落してしまったから」という理由だけで、手放してしまう(=価値のわかる人にとっては、割安の価格で手に入れることが出来る)ということも多々あります。
どちらも、価値算定の出来ない人にとっての経済的損失です。

価値算定なんて難しそうだし、そもそも未来の話だから当てにならない・・・だから数時間で売り買いを完了させるんだ。
そういう方もいらっしゃるでしょう。
つまり極端な話、「株式なんて紙切れ同然」という考えですね。
しかし、このような方は、一方で、1万円と書かれた日本銀行券の価値を信じています。
日本銀行券にしなければ価値を認識できないということでしょう。
ところで、その一万円札・・・どうして一万円の価値があるのでしょうか?
この国に、働く人が居て、資金を投資する人が居て、それらを管理する経営者が居て、つまり企業があって初めて、YENの価値が生まれるのではないでしょうか?
企業も無く、したがって外貨を稼ぐ主体も無く、ただ限られた土地と、そこから生まれる農作物だけで、今の1万円の価値があると思いますか?

経済価値は常に相対的に存在します。
株主価値に対して割高な価格で株式を手に入れれば、経済価値を損失します。
株価上昇益よりインフレ率の方が高ければ、経済価値を損失します。
御金持ちと貧乏は、持てる資産の絶対額で決定されるわけではなく、持てる資産の両者の間の相対的な差で決定されます。

労働力を提供した代わりに得られた現金を、常に、
「支払う価格 < 得られる価値」
という基準で「価値と価格の交換」を行えば、少なくとも今持っている価値を失うことを防げます。
つまり、持てる経済価値を減らしたくない、出来れば増やしたいと思うのなら、価値算定手法を身につけることが最も効果が大きいと、少なくとも僕は思いますし、実践しています。

話は、突然飛びますが・・・

今ここに、この文章を読んでいるあなたが居ます。
あなたや僕は、ただ生きているだけで、間違いなく地球の資源を消費しています。
食べるために他の生物を殺し、呼吸するたびに(すくなくとも我々には有害な)CO2を排出します。
そんな一見、居るだけで、我々人間全体にとって迷惑な存在の我々は、なぜ存在するのでしょうか?
ただただ、生きている間に、資源を奪い合い消費するだけの存在なのでしょうか?

2005年10月31日 板倉雄一郎

PS:
お詫びと訂正です。
過去のエッセイで、「バフェット氏率いるバークシャーハザウェイは、過去にただの1セントも配当をしたことがありません」と、何度か書いてしまいました。
ところが、当事務所の投資銀行に勤める優秀なパートナーに、念のため確認をお願いしたところ、1967年にたった一度だけ、一株当たり10セントの配当を行っていました。
後にも先にも、これ一度きりではありますが、情報が不正確でした。
ここにお詫びと訂正をいたします。
大変失礼いたしました。

PS^2:
今週も一週間、仕事も遊びも、大いに楽しみましょう!





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