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Deep KISS 第63号「株式投資は人への投資」

企業の有価証券報告書から財務数値を取り出し、
DCF法によって企業価値を算出し、ひいては株主価値を算出し、
時価総額と比較し、「割安」、「フェアバリュー」、「割高」を算出することなど、
僕にとっては、いとも簡単なことです。
他人に、価格を頂きながら知識を伝える側ですから、当たり前のことです。

しかし、上記の手法は、
「今日の価格と、今日の時点での価値の把握」を行える程度であって、
この情報から得られることは、
「価値と価格の裁定余地」があるか無いかだけなのです。

大切なことは、その先にある、
「時間経過と共に価値が増大するか否か」ということになります。
もし、年率20%もの経済価値増大が期待できる企業があったなら、
仮に価値と価格の裁定余地が無い「フェアバリュー」であったとしても、
近い将来、何らかのショックで価格が凹む可能性が低ければ、
フェアバリューの時点でも投資を実施し、後は寝て待ちます。
(いや、寝るのではなく、価値算定および価値創造算定をしっかり行って上での投資活動であれば、空いた時間を、このように文章を書いたりする「社会に対する価値提供」に使うことが出来ます。デイトレでは不可能なことです。)

時間経過と共に企業価値が増大するか否かをファイナンス的に表現すると、
当該企業の投下資本利益率(ROIC)の見通しと、
当該企業の加重平均資本コスト(WACC)の見通しにより、
そのスプレッド(ROIC-WACC)が長期でプラスであるかどうかということになります。
ファイナンス的には、このスプレッドに投下資本を掛けた値程度、企業価値が増大します。

しかし、経済価値を算定する技術を得ると、「経済価値はすべて未来からやってくる」ということに気がつきます。
これに気がつくと同時に、未来は不確定であるということにも同時に気がつきます。
つまり経済価値算定とは、資本主義の原理原則に根ざしたDCF法であっても、その因数は観測者(=評価者)によって揺れ動き、極めて曖昧であることに気がつきます。
未来を予測し、現在価値を求め、さらに時間経過と共にそれが増大するのか減少するのかを計ろうとするわけですから、曖昧になって当然です。
(ただし、DCF法そのものの理論は完璧であって、これ以外の経済価値測定の方法は、「この世に存在しません」)

不動産に対する投資は、明らかに「モノ」に対する投資です。
「モノ」を媒介にして、現在の価格と、「モノ」が生み出す将来のキャッシュフローの交換を行うことを、不動産投資と表現します。
現在の価格と、将来のキャッシュフローの交換と言う意味では、不動産投資も、株式投資も、債券投資も、全く同じです。
しかし、不動産投資と、株式投資には、決定的な違いがあります。
それは何でしょうか?
1、 ファイナンス的に
2、 本質的に
をそれぞれ考えて見ましょう・・・












答えは・・・
1、 ファイナンス的
ファイナンス的には、投資家に帰属するキャッシュフロー(以下FCF)に、
「成長があるか無いか」という点です。
不動産は明らかに「モノ」ですから、価値はあります。
しかし、投資家(=不動産所有者)が何もしなければ、「価値創造」は行われません。
対象が「モノ」なのですから、モノが価値を生み出してくれることはありません。
つまりFCFにインフレや対象の需給バランスによる価値変動があるぐらいで、価値創造は行わないと言うわけです。
それに対し、企業への投資は、時間経過と共に、価値創造を行う場合もあれば、価値破壊をしてしまう場合もあります。
つまり、価値創造も、価値破壊も、投資対象企業の「人」の仕事によって、変化します。
FCFが成長する場合もあれば、FCFが減少する場合もあるわけです。

2、 本質的
不動産投資が、モノに対する投資であるのに対し、
企業への投資は、明らかに「人の集団」への投資です。

だから僕は、投資対象企業を選定するとき、「経営者の手腕」を重要視します。
言っていることと、やっていることが一致しているか、
再投資の基準をしっかり数値で把握しているか、
最低限のファイナンスの知識を持ち、合理的な判断をしているか、
つまり、投資家を大切にしているかどうか、を見極めます。
誰がなんと言おうと、経営者の仕事は、
「投資家から預かった資本を、効率よく社会に役立てならが運用する」
と言うことに他なりません。
そのために、従業員が気持ちよく仕事をする環境を作り、
そのために、取引先や得意先との継続的な良い関係を作り、
そのために、社会に対して価値を提供し、
そのために、必要な税を支払うわけです。

口で「株主様を大切にしている」と表現する経営者を、僕は信用していません。
なぜなら、株主によって選出される経営者である以上、株主を大切にするのは、
あ・た・り・ま・え・の・こ・ん・こ・ん・ち・き、だからです。
また、「お客様を大切にしています!」も同じことです。
顧客を大切にしない企業など、箸にも棒にもかかりません。
そんな当たり前のことを、ことさら言葉にする経営者はそもそも胡散臭いのです。
そんな口先の言葉より、実際のオペレーションと、過去のオペレーションの結果としての財務数値が大切なのです。

株主には、株主価値の増大によって、
顧客には、価格以上の価値の商品によって、
企業の姿勢を示すべきなのです。


ではなぜ、僕が、モノへの投資より、人への投資を好むのか・・・

先ほども書いたとおり、経済価値は、未来からやってきます。
未来の予測から、現時点での経済価値を計るわけです。
しかし、未来は常に不確定です。
しかしこれは、投資対象が、モノであっても全く同じです。

たとえば大規模な地震が発生した場合のことを考えていましょう。
普段、経済価値を把握するとき、大規模地震のことを、ことさら未来の数値に落とし込むことなどいたしません。
しかし、地震は必ずやって来ます。
そして、多くの経済価値が毀損されるでしょう。
このとき、僕の持っている価値も相当に毀損されるでしょう。
投資対象が「モノ」であった場合、地震によって毀損された「モノの価値」は、どうにもなりません。
しかし投資対象が「人の集団」であったなら、どうでしょうか?

人は生きようとします。(もちろん生き残った人の話です。)
生きるためには、社会に何らかの価値を提供し、カネを稼がなければ生きて行けません。
人が働けば、それなりの価値が提供されます。
価値が提供されれば、その人が所属する集団の価値は増大します。
その結果として、その人にも報酬がもたらされます。
このような活動のおかげで、「人に対する投資」は、喩え大規模地震が発生したとしても、「モノ」それ自体より、その苦境から脱却するエネルギーを持っているのです。

地震の話は、現実的ではありますが、ちょっと極端でしたね。
経済は、あらゆる人の心に支配されています。
企業価値ひとつとっても、インフレ、金利、為替レート、自然環境、世界経済の流れなど様々な要因によって変化します。
地震でなくとも、「予期せぬ事態」は必ず起こります。
そのような「予期せぬ事態」をすべて予測し、DCF法の因数として数値化することなど、絶対に不可能です。
(しかし、ある程度現実的な、価値の範囲を把握することも、絶対に必要です。)
だからこそ、その「予期せぬ事態」に、「経営者とそのチーム」が、しっかり対応できるかどうかを最も重要視するわけです。

株式投資は、結局のところ「人への投資」なのです。
経営者をはじめとする「人」の能力と努力の結果として、数値が付いてくるのです。
「人」がそこに居るからこそ、「不測の事態」に対処することが出来るのです。

しかし、経済活動を行う「人」を評価するとき、
経済について、企業に付いて、ファイナンスについて、そして人について、
理解が無いとすれば、人の評価は出来ません。

ファイナンスを学ぶと言うことは、すなわち、経済の側面から経済活動をする者を評価する手段を得ることに過ぎないのです。

堀江がインチキな人間であることを、僕は一昨年から指摘してきました。
それが出来たのは、彼の言葉と、彼のオペレーションに、大きな食い違いを見つける知識を持っていたからです。
GMOのMSCBが(それがそのまま実行された場合に)株主を毀損することを、数万人が読むであろうこのWEBで書くことが出来るのも、ファイナンスに対する理解に自信があるからです。
村上ファンドのやり口が、まるで総会屋であることを指摘するのも、同様です。

「この企業の経営者はクズだ!」などと思うような企業には、真っ当で賢明なる投資家は、絶対に投資しないのです。
「クズ」に投資して、どうするんですか?
僕は、クズには投資したくありません。
きっと皆さんもそうでしょう。

ただですね、「なんとなく人を判断する」のは、よろしくないことです。
その人がどんな社会活動をしているかによって、その社会活動に関する専門知識から、その人を評価しなければなりません。
結局のところ、投資対象の「人」を評価するには、ファイナンスの知識は絶対に欠かせないのです。

株式投資は、人への投資なのです。

2006年3月1日 板倉雄一郎





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