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Deep KISS 第35号「答えより思考プロセス~「おりおば」の読み方」

(今日のエッセイは長いです。時間のあるときに、じっくり読んでみてください。とても大切なことを書いたつもりです。)

結論:
「答えを他人に求めてはいけません。答えを出せる自分の脳みそを築るのです。」

たとえば、理論物理の領域では、「絶対的な基準」があります。
それは、光の速度(2.997925*10^10cm/sec)です。

光りの速度は、その観測者がどんな状態であれ、光源がどのような速度で移動していようが、常に一定です。(光速度一定の法則)
みなさんおなじみの、アルバート・アインシュタインによる特殊相対性理論の
E=mc^2
という方程式にも、c=光りの速度が使われています。
絶対的な基準があると、物事の理解は、そうでない場合に比べて、比較的楽になります。

しかし、経済となると、すべての因数が、影響しあうばかりではなく、それらの因数のどれを取り出してみても、その出所を固定する絶対的な解が存在しないのです。
ニクソンショックまでの間は、米ドルは「金=ゴールド」という絶対的な基準がありました(金本位制)。
現在では、それが原油や武力に代わったのかもしれませんが、いずれにしても、金自体、原油自体、武力自体の価値も変動するわけですから、やはり絶対的な基準は存在しないのです。
すべての因数は、こと経済においては、相対的に、しかも影響しあってしか存在できないのです。
つまり経済を理解すること、それは、「絶対的な解が存在しない」ということを「受け入れる事」から始まるのです。

我々日本人の教育は、常に「唯一絶対的な解」を求めることが中心になっていました。少なくとも先月42歳になり、フツーの義務教育を受けた僕の経験では、そうでした。
しかし、経済を学ぶことの目的は、すなわち「経済的な側面で将来を予測する」と言うことですから、予測を行う現時点で、不確定な将来に対する「唯一絶対的な解」は存在しないのです。
この点、我々が経済を理解する上で、最も大きな壁でしょう。
経済を理解する上で、短絡的な「=」式を「暗記」しているようでは、いつまで経っても、経済を理解することは不可能です。

たとえば、「おりおば」に対するネット上の書評などで、同様のことが原因の「批判」が見受けられます。
「さっさと結論を書けばよいのに」といった批判です。
そのような意見を書く方は、要するに「答え」を早急に求めているわけです。
(というより、批判的な意見のほとんどは、全く論理的ではなく、ただひたすら感情的であることは、誰が読んでもわかるとは思います。)
しかし、「その事例」に対する個別の結論を書いたところで、それは「おばさん向けの生活の知恵」程度の本にしかなりません。
「おりおば」における、それぞれの「事例」は、経済の中での「ある仕組み」を解説するための「きっかけ」に過ぎないのです。(←著者が言うのですから、間違いありません。)

「おりおば」には、
1、「お金の時間価値」・・・現在のお金と、将来のお金の価値の違い・・・計算方法としてのDCF法。
2、「お金の流れ方」・・・ただのものなどこの世に無い、お金の流れ方が違うだけということ。
3、「価値と価格の違い」・・・通貨は価値の交換媒体に過ぎないこと。
4、「調達と運用」・・・投下資本利益率と資本コストの関係
5、「価値創造」・・・再投資による将来キャッシュフローの増大?再投資による現在価値の増大のメカニズムについて。
6、「資本市場メカニズム」・・・経済価値の移転が、価値のわからない人から、価値のわかる人へと、いともたやすく行われること。
7、「投資対象の利回りとインフレ率の関係」・・・通貨の絶対値より経済価値が重要なこと。
8、「企業価値」・・・曖昧な企業価値についてのまとめ。
などなどなどなど、経済を理解する上での基本的なエッセンスを、普段の生活の「事例」を取り上げながら、書いているわけです。
(確かに後半はいきなり難しくなるのは否定しません・・・読者が「これですべてわかった!」みたいな誤解に陥らないように、わざと、「まだまだ先は長いですよ」的に書いているわけです。著者が言うのですから、間違いありません)

つまり、事例はあくまで事例でしかなく、思考プロセスが重要なのです。
思考プロセス(=仕組みへの理解)がなく、単に事例の答えを求めるだけでは、実際の経済活動の場面での応用が出来なくなってしまうのです。
「Aの場合には、Bだ」という理解では、Aである「条件」の一つが崩れただけで、もはやBが正解ではなくなることが、たくさんあるということです。
あくまで、「仕組みへの理解」、「思考プロセスの演習」、それが「おりおば」の本質的な目的なのです。
「答えを求めること」から、「仕組みを理解すること」へと、あなたの興味が変化したときから、物事の理解は飛躍的に深まるのです。

(ここまでで、本日のエッセイのエッセンスは完了です。以下は、「たとえば話」が延々続きます)

「おりおば」への批判に限らず、様々な場面で、「仕組みの理解より答えを求める傾向」はたくさん見受けられます。

たとえば、「無借金経営が良い」などという乱暴な「暗記」がそれに当たります。
少しでもファイナンスや企業価値について学んだことのある人なら、「無借金経営が良い企業」だとか、「有利子負債を抱えたほうが良い企業」だとかは、短絡的に判断できることではなく、事業リスクに見合った最適資本バランス(=D/E比率)を得ることが、資本の調達側において最も重要であることがわかるはずです。
よって、
「結局、借金がある会社と無い会社とどっちがいいのだ?」
などという質問に、唯一絶対的な解は存在しないのです。
すべての企業において、最適資本バランスは、それぞれ異なるわけです。
最適資本バランスを見つけるという手法一つ取り上げただけでも、資本の論理をしっかり包括的に学ぶ必要があるのです。
しつこいようですが、「思考プロセス」、「仕組みへの理解」が大切なのです。

たとえば、株式投資において、
「あの会社は、増資を決定したぞ、売りだ!」などと、これまた短絡的な考えが市場に蔓延しています。
しかし、その増資の良し悪し(=株主価値を高めるか否か)を判断するためには、
1、 増資の際のオファリング価格(=株価)が、当該企業の株主価値に対して割安なのか、割高なのか?
2、 その増資によって得られた資金を、現在の当該企業の投下資本利益率を上回る事業に対して投資するのか、それとも同等程度の投下資本利益率の事業に投資するのか、はたまた、現在の事業より投下資本利益率の下回る事業に投下するのか、によっても判断は分かれます。
3、 また、3のいずれの場合であっても、当該企業の資本コストを上回る投下資本利益率なのか?
4、 さらに言えば、その資金を投じる事業の成長ステージ(導入?成長?成熟?衰退)と、現在の当該企業の全事業とのバランス(=プロダクト・ポートフォリオ)はどうなっているのか?
などなど、様々な考察によって初めて増資の良し悪しが決まるのです。
増資=売りなどと、馬鹿げた短絡的な発想は、これまたしつこいですが、「答え」を求めすぎなのです。

「暗記+ちょっとだけ理論的」な人の場合、以上のような考えに対して、
「増資によって一株辺りの株主価値が希薄化(=ダイリューション)するのだ」
などと、その一部についての理解でしかない理解で満足して、間違った結論を導き出してしまうのです。

答えは、その人の頭の中にしか存在しないのです。
その人の頭の中の答えが、正解に近づけるかどうかは、情報を処理するその人の「知識と思考プロセス」に依存するのです。

確かに、唯一絶対的な解を求めることを訓練された我々にとって、以上のことは非常に難しい。
難しい以前に、ピンと来ない、というのが正直なところでしょう。
答えを暗記することによって、資格は取れるかも知れませんが、理解は得られないと言うことであり、理解がなければ、新しい何かを生み出すことは出来ないということですし、理解とは、「答えを誰かに教えてもらって暗記する」のではなく、その「仕組み」を学ぶということなのです。

さらに「たとえば」が続きます・・・
「毎月5000円の支払で、入院時に1万円を生涯受け取れます!」
と謡う保険商品があります。
この保険商品が、「絶対にお徳では無い」とは言い切れません。
なぜなら、「効率的に入院をすれば(笑)」そのIRR(=内部収益率)は、保険商品としては十分なプラスになりますし、「全く健康で、わずか10日の入院で自然死」などとなれば、IRR(=内部収益率)は、途端に大きなマイナスになります。
ですから、保険商品にケチをつけるつもりはありません。
しかし!
このような保険に加入する人の多くは、「現在の1万円で現時点で得られるモノやサービスと同等の価値が、10年先の1万円でも手に入る」と、思い込んでいると思いますし、その勘違いを保険会社は、十分に認識し、広告宣伝の謳い文句に利用しているのではないでしょうか?
言うまでもありませんが、経済は、少なくとも長期では「インフレ傾向」にあります。
というか、そうでなければ、「金利」という概念が支える資本主義は成り立ちません。
すると、10年後、20年後の1万円で、10年後、20年後の時点で手に入る価値は、少なくとも現時点の1万円で、現時点で手に入れることが出来る価値より、少ない価値しか手に入らないのです。
しかしながら、毎月の保険料は、「現時点での5000円」です。
お金の時間価値・・・これはまさに現在と将来の相対的な関係なのです。
と書けば、「保険商品=加入してはいけない」とか、「保険商品=是非加入しましょう」とか、そんな短絡的な「答え」は、全く持って意味が無いことに気がついていただけると思います。

さらに続きます・・・
たとえば、国債などの債権への投資や、配当利回り「だけ」を頼りにした株式投資の場合、投資した時点から、半永久的に(債券の場合には満期まで)その権利を持ち続ければ、債券価格が市場でどのように変化しても、株価がどのように変化しても、その投資家の投資時点での「利回り」に、変化はありません。
(ただし、株式の場合には、投資対象企業が、永続的にその投資家が投資した時点の株価に対する配当利回りを維持することが条件であり、また債券の場合には、債務者が破綻しないことが条件ですが)
これをもって、「郵便局の窓口(笑)」では、「ずっと持っていたほうがお得ですよ」などと、明らかな「詐欺行為」をしているわけです。
現在の国債利回りが1.5%として、今後経済が成長し、インフレ率が、2%まで上昇すれば、国債保有者は、明らかに「年率0.5%の経済損失」を被ることになるわけです。
しかし、確かに毎年(厳密には年に2回らしいですが)金利をいただける。
すると、「円としての絶対値=金額」に唯一絶対の価値を見出すであろう多くの国債保有者は、知らず知らずの内に、確実に経済価値を損失するわけです。
この場合も、「国債=買ってはいけない」とか、「国債=買いだ」とかの短絡的な「答え」は存在しないのです。この例の場合、「将来のインフレ率と、現在の国債利回りの比較が必要である」という、「思考プロセス」が大切なのです。

しかし、「唯一絶対的な解が存在しない」と言うことは、何も落胆するようなことではありません。
「おりおば」に書いている範囲の、基本的な「お金の仕組み」は、資本主義経済が続く限り普遍ですし、その基本をしっかり学べば、あらゆる応用が可能なのです。
むしろ、「Aの場合はB」といった「答え」が用意されていないからこそ「経済は面白い!」のだと思うのです。

そもそも経済システムは、自然界に存在する法則に基づいたものではなく、人間が作り上げ、人間の「心」が動かす「極めてあやふやなシステム」です。
しかしだからと言って、まったくでたらめに動くわけでもありません。
仕組みを理解し、思考プロセスを訓練することによって、少しずつ理解が深まり、「今何をすべきか」が見えてくるのです。

答えが無い世界も、それはそれで、面白いのですよ。
すべてに「唯一絶対的な解」などがあったら、それこそ生きていく楽しみなんて、何にもなくなっちゃうじゃないですか。
少なくとも僕は、テレビゲームの中に生きることなんて出来ません。

2006年1月5日 板倉雄一郎

PS:
恋愛に置き換えれば、誰でもわかることです。
「彼女がAという発言をしたときは、CがOK(笑)」などと言う答えは無いでしょ?
その人それぞれ、その人との距離それぞれ、その人の価値観それぞれによって、対応を変えるべきでしょ。
で、異性を口説くためには、異性の心の構造を理解するしか無いと言うことがわかるでしょ。
「AならばB」という答えを欲しがる人って、恋愛についても「マニュアル本」とか読んでいたりして(笑)





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