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Deep KISS 第6号「合理的な対処を」

どう考えても、「その方がよいでしょう」と思うことでさえ、既得権益の前に、それは実現しない。
そんなことは、多々ある。

たとえば・・・

もう数年前の話になりますが、僕が代表を務める「ちっちゃなちっちゃな」ベンチャーキャピタルに、エプソンを退社された5人衆が出資要請に訪れた。
彼らのプランは、「カルテのCD-ROM化」であった。
単なるCD-ROM化ではない。
「追記書き込み型CD」を、健康保険証代わりに使うことによって・・・
1、 データを追記することは出来るが、過去のデータを改ざんすることは不可能。
2、 よって、医師による過去のカルテの改ざんが不可能。
3、 よって、医療ミスなどの発見が可能。
4、 そして、最も基本的、かつ、重要なことは、「自分の体の情報を、病院が持つのではなく、本人が持つことができる」
5、 万が一の紛失や、CD媒体の破損などによりデータを失うことを、データバックアップサーバーにより解決する。
というプランだった。

すばらしいと思った。
しかしながら、彼らの訴えを聞く限り、「どこの自治体も扱ってくれない」ということだ。
何のことは無い、既得権団体であるところの「医師会」の猛反発を受けているということだ。
「そんなことになったら、カルテの改ざんが出来ないし、医師の尊厳が奪われる」という、ホントわけのわからん理由らしい。

僕は、この事業への出資をディシジョンする前に、以前から御付き合いさせていただいている田中康夫長野県知事に電話した。

「康夫さん、実は・・・・・と言うことで、長野県で最初に採用してくれませんか?」
すると康夫さんは、答えた。
「それはいい。けれど、たとえば国民健康保険証の発行主体は、市町村だから、県として強制することは出来ない」
力及ばず。
あきらめるのが早いかもしれないが、かといって、この事業にだけ取り組むわけにも行かない。
出資者の利回りを担うファンドマネージャの辛さである。
僕がファンドマネージャとして投資判断するべき最も重要なことは、「出資者の経済価値を増大させる」と言うことだ。
いくら社会的に意義があると思ったところで、現実的にビジネスとしての可能性が確認されなければ、出資に応じることは出来ない。
僕は、このすばらしいアイデアへの出資を断った。
同時に、「もう、ファンド運営なんかしたくない」とも思った。

僕の著書「社長失格」の冒頭でも書いたとおり、当家はどういうわけか「医者」の多い家系である。
父の兄弟の長男は、東京医科歯科大学の第一期生であり、かつ学費免除の特待生であった。
三男は、東北は福島の「板倉病院」という精神科の病院の創業者であり、院長であり、経営者であった。
その他親戚中に、医者がたくさんいる。
特に、上記精神病院の場合、「患者を檻に入れておけば儲かる」という姿勢ではなく、患者の福利厚生のために、田んぼを買い、患者をバスに乗せ、田んぼ作業を行わせるなど、「患者とのコミュニケーション」を大切にしてきたようだった。
そんな親族を僕は尊敬する。

だから、「あるべき医療」として、上記プランに賛同した。
しかし、それは実現しなかった。
僕の力不足である。

僕は、小学生~中学生の頃、叔父の病院に遊びに行くたびに、数学や物理、将棋に囲碁など、多くをこの精神病院の患者から教わった。病院の中庭にある卓球台で、患者さんらと卓球を楽しんだりしたもしたものだ。
だから、彼らが、単に「キチガイ」ではないことを、僕はよく知っている。
しかし、彼らをよく知らない社会は、彼らを「汚いもの」と扱う。
ジョン・ナッシュが、統合失調症(=昔風には精神分裂病)として扱われたが、論文「ナッシュ均衡」の功績が認められ、ノーベル経済学賞を受賞したように、人の可能性は、社会が「なんとなく」認識している範囲を超えているのだ。
(↑詳しくは、映画「ビューティフルマインド」をご覧ください。)
僕は、憤りを感じる。
個々人の真の価値を社会が認めようとしない。
これは、社会にとって、大きなロスである。

病気が発生してからの「対処療法」としての医療は確かに重要だ。
しかし、病気にならないように「予防医学」がもっと発達してしかるべきである。

犯罪者の処遇を決めるために「最高学府」の人間が労働するより、
「犯罪を未然に防ぐ政策を考える」事に、最高学府の人間が知恵を搾るべきである。

麻薬中毒患者を檻に入れるより、治療してあげることの方が合理的である。

そして、行政は、「パブリックサーバント」であるべきである。

そんな民主主義の基本を、今一度、国民全体で考えるべきではないだろうか。
郵政民営化法案など、以上のことに比べれば、些細な問題に過ぎない。
と思うのは、僕だけだろうか。

2005年10月12日 板倉雄一郎





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