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Deep KISS 第37号「間接労働力提供、直接労働力提供」

「直接金融」と「間接金融」は、みなさんならお分かりですよね。

例えば、企業が資金調達をする際、社債発行や増資などして、資本市場から「直接的に資金を調達する方法」を直接金融と表現し、銀行などの金融機関から融資を受けるといった「間接的に資金を調達する方法」を間接金融と表現します。

『(資金調達側から観た)負債=間接金融であり、
 (資金調達側から観た)自己資本=直接金融と言う』

これは、良くある誤解です。

資金の出し手から直接資金を調達する方法であれば、それが社債や有利子負債や、増資などで自己資本に組み入れられる場合でもこれらは、直接金融となります。

まとめると、以下のようになります・・・

D.K_037_E1.gif
ということになります。

これらの分類にて重要なことは、それぞれの「投資リスクの高低」、と、「投資リスクの遮断」です。

デット(Debt)とイクイティ(Equity)はどちらも(資金の出し手から観た場合)投資行為ですが、Debtは、投資対象の業績に(少なくとも短期的には)無関係に投資家のリターンが約束された関係であり、Equityは、投資対象の業績が直ちに投資家のリターンに影響が及ぶ関係というわけで、Debtは(資金の出し手から観て)Equityに比べ「ローリスク・ローリターン」です。

(但し、社債のように、それがDeptであっても、その債券が日々取引され、その価格が変動する場合「表面利率」に変動がなくても、「利回り」には、変動が生じます。しかし、債券保有者に対するキャッシュフロー=利払いは、債務者が倒産でもしない限り一定です)

 一方、直接金融と間接金融の違いは、
(資金の出し手から観て)投資リスクが遮断されているのが、間接金融であり、リスクが遮断されていないのが直接金融となります。

わかりにくいですか?なら、もっと具体的に書きましょう。

例えば、企業が銀行から融資を受け、その後、その企業の業績が著しく悪化し、銀行から観た「不良債権」が増加したとしても、それを理由に、その銀行の「預金者=実質的な資本の出し手」に対し、「預金の引き出しはできません」とか、「預金利率を下げます」などとは言えないわけです。

このように、間接金融は、資金の実質的な出し手と、その資金を投じる相手の間に金融機関が入り、リスクが遮断されているわけです。

しかし長期では、全然リスク遮断にはなっていません。

なぜなら、ある銀行の融資判断に多数の誤りがあり、その銀行の経営が立ち行かなくなれば、本来リスクが遮断されているはずの預金者にもその影響が及びます。

ペイ・オフ解禁後であれば、それが顕著に現れると言うわけです。

つまり、(資本の出し手から観た)投資の「カタチ」には、「リスク遮断有無」が認められますが、長期的には、「どっちも同じ」ってことになり、結局のところ、「リスクの高低」の違いだけになるわけです。

以上は、「資本」における話しですが、これを「労働」におき換えることが出来ます。

結論から書けば、企業などと雇用契約をして労働力を提供する方法を、「間接労働力提供」と(僕は)呼び、起業家として、はたまた個人事業主として労働力を提供する方法を、「直接労働力提供」と(僕は)考えます。

労働力を提供するのは、直接の契約先が企業であれ、なんであれ、最終的な提供先は、「社会」です。

ある労働者が、企業との雇用契約をしていたとしても、その人の労働力によって創られた商品は、企業を媒体にして、最終的には社会に提供されます。

そうでなければ、企業は経済価値を生み出すことが出来ませんし、賃金を支払うことも出来ないわけです。

企業との雇用契約をしていれば、労働者⇔企業⇔消費者のそれぞれの関係において、「一見」リスクは遮断されているように見えます。

簡単に言えば、雇用者(=企業など)の業績がどうであれ、「短期的」には被雇用者(=労働者)の報酬に変化は無いわけです。しかし、長期に渡り雇用者である企業の業績が芳しくなければ、労働者は解雇されたり、減給されたりというリスクがあり、結局のところ、リスクは遮断されていないわけです。

つまり、資本においても、労働力においても、その契約形態には「一見」、「リスクの遮断」が認められますが、長期で考えれば、どちらも同じというわけです。

違いがあるのは、資本の場合と同様、「ハイリスク・ハイリターン」か、「ローリスク・ローリターン」の違いだけです。

さて、何でこんなことを書いているか?ということですが・・・

「起業したいが、上手くやれる自信が無い」という方、よくいらっしゃいます。そのような方には、僕はこう言ってやります・・・「それじゃアンタは、給料泥棒だな」 つまり、上記のような発言を解釈すると「間接的な労働力提供なら稼げるが、直接的な労働力提供なら稼げない」と言っているようなものであり、そもそもがオカシイのです。

「間接労働に比べ、直接労働では、収入の変動が大きい」というリスクを認識した上で、間接労働力の提供を選択するならば、合理的です。

しかし、本当に価値ある仕事が出来るのであれば=社会に対する価値提供が出来るのであれば、「社会との契約形態が、間接であれ、直接であれ、収入を得られるはず」です。

今、我々日本人は、「小さな政府」を選択しました。

それはすなわち、資本においても、労働力においても、「間接から直接」を選んだことと同義です。

この状況下では、「全ての人が、本質的な起業家であるべき」だと僕は思います。

個人が社会に対して何らかの価値を提供した見返りとして、「カネ」を頂く。その本質は、労働力の契約形態が、社会との間で、間接であれ、直接であれ、変わりは無いのです。

(僕が考えるところの)最も理想的な社会とは、「個人が社会に対して提供した価値に担保された、個人の収入の格差が生じること」です。

その意味では、共産主義でもなければ、資本主義でもなく、「人本主義」ということになります。少なくとも、資源に乏しく、資本主義のルールさえ義務教育で教えてもらえなかった人が構成する我が国「日本」の場合、「人本主義」以外の繁栄手段は、ないのだと思います。

2006年1月9日 板倉雄一郎

PS:
ということで、「おりこうさん おばかさんのお金の『使い方』」がたくさん売れて、僕に再度、出版のチャンスがあるとするならば、「おりこうさん おばかさんのお金の『稼ぎ方』」なる本でも書いてみたいと思います。

PS^2:
昨日(2006年1月8日)の日本経済新聞の「おりおば」広告も、たまげました。(笑)その後の販売状況などを見ると、「お金の話は、やっぱり日経」という感じがします。(関西地区では、本日(2006年1月9日)に広告が載るそうです。)

PS^3:
バカヤロー銀行。まあ、銀行は、すべからくバカヤローですが、今回のBTM&UFJの統合では、僕は本当に迷惑しています。

そもそも「うんこ・ふん・じゃった銀行」などを、わざわざ抱えて(トヨタに面倒見てもらえばいいのに)、預金者のオンラインバンキングは、URLも、手順も変わってしまって、んでもってパスワードミスをやらかしたわけです。

で、問い合わせたら、「書面によって手続きをして、5営業日後にオンラインバンキングが再開」という・・・いいかげんにして欲しい。

確かに、預金を誰かにぱくられるよりは、マシだ。しかし、「僕自身が支店に出向いてもダメか?」という問に対して、窓口の女性は、「郵送でなければダメです」とのたまう。

僕は、間違いなく僕自身の口座の権利を持つ本人であるからして、本人である証拠などたくさん持っている。それでも、「窓口では再開できない」というわけだ。

一見、セキュリティーのためのように見受けられるが、冗談じゃない。

本人の「生身」と、免許証など国家発行の証明を持っていってもダメなら、それはセキュリティーのためじゃなく彼ら内部の「ご都合」に過ぎないわけだ。

タダで金集めて、その上、決済行為には、別途支払が発生して、挙句の果てに、勝手に統合しておいて、その手続きは、まるで他人事のように「~となっております」とくるわけだ。

多くの日本人のフィナンシャルリテラシーが高くなったら、バカヤロー銀行は、おしまいだな。

彼らの最も尊重するのは、「顧客の利便性」ではなく、「自らの組織のルール」なのだ。しかし、彼らの収益の根源は、「事実上資本コストゼロの預金という名の、預金者からの借金」なのです。

融資先の信用力の調査も出来ず(というか、銀行の振る舞いそのものが融資先の信用力を減らしていることにも気が付かず)、自らの経営もママならず、その上でも儲けられるのは、一体誰のおかげなのか、今一度考え直してもらいたい。

誰のおかげかって?そりゃ、預金者が、「ほとんど無利子で銀行にカネを貸してあげているから」に他ならないでしょ。

つまり、奴らがバカヤローな分を預金者が補っているに過ぎないのです。これは、本当です。





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