価値は、自ら創造するもの。そして自ら評価するもの。
しかし、価格は、他人が付けるもの。
たとえば、自らが社会に対して価値を提供する場合、
自らが資源を調達し、その資源を利用し価値を創造する。
その価値に対して、価格を付けるのは、他人。
たとえば、自らが価格を支払い、価値を手に入れるとき、
手に入れようとする価値を、評価するのは自分自身。
「自分の価格は自分で決めるんだ!」という方もいらっしゃるでしょう。
確かに、自分の価値、自分が生み出した価値に対し、
自分勝手な価格を付けることは自由です。
しかし、自ら付けた価格によって取引が成立するためには、
その価値と価格の妥当性を認めてくれる他人が必要なのです。
よって、結局のところ価格は他人が付けるものなのです。
価値の無いモノに、価値に対して相当に高い価格を付ければ、
いずれ買ってくれる人は居なくなります。
株式であれ、債券であれ、不動産であれ、
普段の仕事であれ、自分自身であれ、なんであれ、
価値と価格は、市場原理によって均衡します。
つまり、カネそのものを追いかけていたのでは、カネを掴むことはできません。
価値を創造し、社会に提供すれば、カネは勝手に後から付いてきます。
カネは他人から奪い取るものではありません。
カネを手に入れるには、自ら価値を生み出す以外に無いのです。
そして、その後、カネがカネを生み出すようにするためには、
社会から頂いたカネという社会に対する議決権を、
大切に行使しなければなりません。
我々自身と、我々の暮らす社会のために、我々は、
議決権を行使する対象の価値評価を、しっかり行う義務を負っているのです。
価格変動を追いかける投機活動は、
価値と価格の大きな乖離(かいり)を生み出します。
それは、あなたと、あなたの社会を滅ぼしてしまいます。
冒頭のフレーズを繰り返します・・・
価値は、自ら創造するもの。そして自ら評価するもの。
しかし、価格は、他人が付けるもの。
2006年2月6日 板倉雄一郎
PS:
たとえば・・・
経営者の仕事は、「企業価値の最大化」ですが、
その企業価値に対して、企業価格を付けるのは、経営者ではなく市場です。
(ちなみに、企業価値=「株主価値+債権者価値」であって、「時価総額+有利子負債」は、企業「時価」ですので、このを混同している表現を見つけたら、その表現者の表現を信頼できないと思っていただいてOKです。)
たとえば・・・
皆さん自身の労働力を高く売りたい場合、それに対して価格を付けるのは、
間接労働力提供の場合であれば、企業が、
直接労働力提供の場合であれば、社会が、あなたの能力に対する価格を決めるのです。
つまり、カネを稼ぎたいなら、
自らの能力を磨き、提供できる価値を増やすしかないのです。
参考エッセイ:DeepKISS第37号「間接労働力提供、直接労働力提供」
PS^2:
ご自身の「資産目標」などを、「手帳」に付けて邁進するなんて事ほど、馬鹿馬鹿しいことは他にありません。
そんな目標を立ててしまうから、その目標のためには「何でもやる」ということに成ってしまうのです。
目標を立てるなら、社会に対して一体何を提供するのか、それを目標にするべきです。
目標より、「手段」における誠実さの方が、遥かに重要です。
そもそも数値化できる目標など、大した価値の無いことです。
結果としての数値は、それが資産であれ、接する人の数であれ、時価総額であれ、勝手についてくるものなのです。
ちなみに、板倉雄一郎事務所には、売上目標も、利益目標も一切ありません。
あるのは、毎回いらしていただくセミナー受講生、このWEBの読者などに対し、「全うな知識」を伝えることによって、社会に価値を提供する。
ただそれだけです。