「お金とは、社会に対する議決権である」
words by Yuichiro ITAKURA.
資本主義社会の中で暮らす僕らは、欲しいと思う商品があれば、それを買うことができる。
手元資金が不足していれば、稼ごうと思う。
稼いで、欲しい商品を手に入れる行為は、その商品を提供している企業の売上高に貢献し、その結果、その企業の企業価値が増大する。
顧客が「価値 > 価格」だと思う商品を提供する企業の利害関係者は、結果としてお金を儲けることができる。
儲けたお金は、やはり欲しい商品を手に入れるために使える。以上は、フィードバックする。
つまり、お金は、社会に対する議決権である。
「ってことは、悪どい商売もフィードバックで伸びるってことじゃないかよ!」
その通り。
だからこそ、議決権としてのお金は、その使い道をちゃんと考えなければ資本主義社会は崩壊する。
どのようなシステムであっても、悪用は可能である。
共産主義であれば、お金の代わりに「賄賂」や「地位」がそれに変わるだけだ。
システムの問題ではない、システムに参加する者が、システムを理解し運用しなければ、どのようなシステムでも目的通りの機能は果たせない。
僕らは資本主義社会に暮らしている。
システムを変えることより、今あるシステムを上手に利用することを考えた方が合理的である。
しつこいようだが、お金は、社会に対する議決権である。
だから僕は、継続性のある事業を経営し、沢山のお金(=議決権)が欲しい。
事業の継続性は、それが本質的に顧客満足を得られなければ、得られない。
つまり、
「ベストセラーは、テクニカルに実現可能だが、
ロングセラーは、本質的価値が伴わなければ実現不可能だ」
words by Kazumi Hasebe.
テクニカルに話題を作ったり、瞬間的な稼ぎのために顧客を騙そうとする事業は、継続性が得られないか、場合によっては、しょっぴかれる(笑)
つまり、本質的な価値を提供出来なければ、泣く子も黙るぐらいの稼ぎ(=議決権)は手に入らないということだ。
もし、僕が、泣く子も黙るぐらいのお金を得たとしても、それを溜め込んだりしない。
消費や投資という手段で、社会に還元する。
そうでなければ、議決権として機能しない。
僕は、お金「そのもの」が欲しいのではない。
社会に対する議決権が欲しいのだ。
「僕の価値観に過ぎない」が、僕の信じる社会を実現したいのだ。
だから、議決権としてのお金が欲しいのだ。
2012年2月27日 板倉雄一郎
PS:
これは、2005年に書いたエッセイ。ご参考まで。
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