自信は、どこから湧いてきて、どこで失ってしまうのか。
自分にとって思いのほか良い成績を取得できた時、自信が生まれるという経験は誰にでもあるでしょう。
自分には無理かな?と思うような異性との関係を築けた時、自信が生まれるという経験も、きっと誰にでもあるでしょう。
これらのケースは「期待以上の結果が得られた」が生み出す自信です。
人は、欲深い生き物ですから、期待以上が続けば、期待値を上げてしまうものです。
すると、いずれ、期待以上の結果が得られなくなる時が来ます。そこで自信を失ってしまう。
「期待以上の結果」が生み出す自信、他人から頂戴する自信は、かくも儚いものです。
もしかすると、自信とさえ言えないのかもしれません。
一度失った自信を取り戻すのは、並大抵のことではありません。
他人から頂戴する自信が自信の源であるとすれば、一生、自信を取り戻すことはできないかもしれません。
僕の場合、アントレプレナーとしての自信を取り戻すのに、アントレプレナーとして大失敗してから14年を要しました。
人生の最も貴重な資源である「時間」をかなりロスしたと思いますが、時間そのものを取り戻すことは不可能なので、悩みもがいた時間を、成果の源であると「評価替え」する他ありません。
自信を取り戻した今は「評価替え(=今後の成果)」に、それこそ自信を持っています。
では、どうして自信を取り戻すことができたのか・・・
「もう、起業なんてしないよ。だって『社長失格』だもん」
そうやって逃げていたこともありました。
「こっちの方が向いてるもんね!」
そうやって自分を騙す時期もありました。
けど、心のどこかに、常に、諦めきれない自分が居ました。そんな自分が居たからこそ、
「板倉さん、再起業してください!」
という周囲からの言葉が、とんでもなくウザかった(笑)
「だから、やらないって言ってるでしょ!」
って。
March 11は、僕をして、気づかせてくれました・・・
「あっ、僕もいずれ死んじゃうんだ。
いずれ、やりたくても、やれない時期を迎える。
だったら、やりたいことを、やれるうちに、やってしまおう。
最悪、死ぬだけだ。
何をしていようが、いずれ死ぬんだから。」
僕の中に、自信が復活しました。
「やろう!」と思うことが、自信の源である。
これを悟りました。
冒頭に書いた、
「結果が生み出す自信」ではなく、
「誰かに褒められ、与えられた自信」でもなく、自ら湧き上る自信。
今、その自信は、着々と「カタチ」に成っています。
自信が勇者を呼よせ、一つにまとまっています。
結果が出る前から、自信に満ちています。
自分の体から「お前にはもうできない」と言われない限り、やり続ける。
それこそが、自信の源なのだと思います。
次に諦めるのは、死ぬ時だ。
2012年1月24日 板倉雄一郎