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企業と法律 第31回「不況に備えるファイナンス」

(毎週火・木曜日は、パートナーエッセイにお付き合いください。)

みなさん、こんにちは。板倉雄一郎事務所パートナーのMoriです。

私事ですが、この前、イタリアに旅行に行ってきました。

私にとっては、初めてのイタリア旅行でしたが、知的刺激に満ち溢れる旅になりました。旅の中で感じたことはいろいろありますが、その中でも、古代ローマ時代の社会生活のレベルに非常に驚きを覚えました(多分、高校時代の世界史の時間にある程度勉強したはずですが、実際に行くのと座学では全然違います)。

旅行をきっかけに、古代ローマ(共和制ローマ・ローマ帝国)にとても関心を持ち、いま、塩野七生著「ローマ人の物語」を読んでいます。古代ローマにおけるローマ人の生活に想いを馳せることがこれほど楽しいとは思いませんでした。


法律家の視点から古代ローマを見ると、非常に興味をそそられることが数多くあります。当時、既に利息制限法の議論がありましたし(カエサルは、終身独裁官になった後、年12%を上限する法律を制定したとのこと。現代の日本よりも厳しいです!)、陪審員の資格を元老院議員の独占から徐々に市民に門戸を広げるような改革も行っています(陪審員制度は元老院階級、騎士(経済人)、平民の階級闘争として考えられており、共和制ローマの市民にとっては真の共和制実現にとって重要と考えていたのでしょう。この点、国民主権が憲法で謳われ、これを維持する努力をすべき市民の間に未だ裁判員制に拒絶感がある現代日本とはかなり違います)。

その他にも、現代で使われている法原理の多くがこの時代に生まれていることもわかります。この時代の社会や政治は本当に興味深く、本を読んでいるとあっという間に時間が過ぎていきます。


さて、本題です。

昨今の不況で取りざたされているキーワードに「貸し剝がし」という言葉があります。最近は、銀行が融資を止め、これによって運転資金が回らなくなり、利益を上げている事業がストップし、民事再生申立に到ることが多いことから、このサイクルの原因を作った銀行への批判という意味で使われることが多いようです。

事業を行っている方からすると、何故こんな時に融資を止めるのかと思いたくなりますが、銀行は、「晴れの日に傘を貸し付け、雨の日に傘を取り上げる」と揶揄されるように、銀行のビジネスモデルからして、リスクの可能性のある事業から融資を引き上げるのは、ある意味やむを得ない現象でもあります。

金融業は多かれ少なかれ、このような現象を起こすものとして考えるしかありません。従って、ビジネスをする側からすると、常日頃から、ある程度は貸し渋りが起こる前提で資金繰りを考えなければならないことを意味します。とはいえ、今回のような急激な不況入りでは、なかなか予め対応するのは難しく、一方で、不動産業のように借入で多額の資金調達を行う必要のある業種では、そもそも対応が難しい面もあります。とは言え、貸し渋りに対応できるか否かは、経営サイドの問題も大きいのです。

貸し渋りによって、資金ショートが起きないようにする方法の一つには、「借入を少なくすること」が挙げられます。このエッセイでも何度も取り上げているように、エクイティーは、事業が抱えるリスクのバッファーとして機能しますので、エクイティーを増やすことにより、(資金調達コストが増大するというマイナス面があるものの、)デフォルトリスクを避けることができます。(なお、誤解のないように、無借金経営が手放しで良いと言っている訳ではないことを付け加えさせてください)。

ただ、私が仕事をしていて、感じる重要な要素は、人間関係等の数字以外のものです。これは借入だけでなく、出資の場合にも言えることですが、誰からどんな考え方で借りるのか、出資をしてもらうのかということです。

融資・出資する側の立場では、財務諸表だけ判断するのではなく、誰に貸すのか、どういう考え方を持った人に出資するのか、どういうビジネスにお金を出すのかという点を忘れないということです。これだけ聞くと、「当たり前じゃないか」という反論が返ってきそうですが、ファイナンスの勉強をすると、とにかく数字(担保価値や財務諸表)だけ見て判断する方向にふれがちです。

ビジネスサイドからは資金の出し手は一体どういう人でどういう価値観を持っているのか、投資家サイドからはどういう人がリーダーで、どういう人によって構成されている組織なのかということが重要だということです。債権者や株主も広い意味での「企業」の構成要素であるとも言い換えられるでしょう。

ファイナンスでは、不況になっても、資金ショートしそうになっても、ビジネスの将来性を信じてもらって、お金を出してくれるというような信頼関係が築けているかというのは、非常に重要です。確かに、昨今、(銀行の自主的なものか、金融庁によるものかはともかく、)銀行の保有する債権については厳しい査定があり、個別の信頼関係がどうであっても、一定の要件を満たせば強制的に不良債権に分類されていくため、信頼関係とは無関係に容赦なく貸し渋りに遭う場合があります。

銀行は、BIS規制の自己資本比率維持に耐えうるように、不良債権の割合を抑える必要があり、こういった規制の中で、信頼関係やビジネスモデルに着目した融資といっても限界があり、実際は、銀行実務では担保価値の評価を中心とする融資が主です。ベンチャーキャピタルにしても、ファンドの出資者に説明責任を負っており、客観的な資料で説明できない投資を継続するのは、難しい場合もあります。ただ、それでも最後は信頼関係がものをいうことが多いように思います。

ここで示す信頼関係とは、単によく飲みに行くといったものではありません。

では、具体的に信頼関係を高めるにはどうすればよいでしょうか。
一つには、業務を行う側も投資をする側も、ビジネスについての理解を深め、それを日々更新する人物かどうかを確かめることです。

そして、二つ目には、事業の将来について、よく話し、相手の言葉によく耳を傾けることだと思います。特に、この二番目は、コミュニケーションの基本のようであり、決して簡単ではありません。ビジネスにおいて、相手方への理解が欠けたがため、関係が決裂するなど、交渉が成り立たなくなったケースは、少なくありません。

銀行やファンドには、数多くの同業者がいますが、同じように見えて決して同じではありません。担当者も違えば、決裁権者も違います。ポリシーも違えば、経営環境も違います。利子が低いとか、株価が高いという理由だけではなく(これらも勿論重要ですが)、どういった信頼関係が築けるのかという目に見えない部分もファイナンスにとっては、極めて重要だと思います。

カエサルの言った言葉に、次のような一句があるそうです。

「人間ならば誰にでも、すべてが見えるわけではない。
 
多くの人は、自分が見たいと欲する現実しか見ていない。」

ファイナンスを行う融資担当者や投資をお願いに回る立場のCFOに限った話ではなく、個人投資家がポジションをもったときや、経営者がビジネスを展開しているとき等、現代でも多くの人が、自分が見たいと欲する現実のみを見るようになってしまうことが多いと思います。

それは、全く意識されていない場合もあれば、気付いてはいるもののなかなか変えることができない場合もあるでしょう。ただ、少なくとも、ビジネスに関わる人が、ただ数字を見るのみではなく、そこで動いている人の心やその背景に目を向けることも大事ではないかと思う視点は、忘れないようにしたいものです。


【文献について】
塩野七生著「ローマ人の物語 (1) ローマは一日にして成らず(上)
今は、まだ全部を読みきったわけではありませんが、ユリウス・カエサルの章だけでも、本当に面白いです。少なくとも現代の経営論やリーダーシップ論としても参考になるエピソードが数多くありますし、単純に戦記としても格別に面白いです。「ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)ローマ人の物語8」、「ローマ人の物語〈11〉ユリウス・カエサル ルビコン以後(上)」は特にオススメです。

行動ファイナンス―市場の非合理性を解き明かす新しい金融理論
投資家は自分が見たいと欲する現実のみを見るために、その結果、陥ってしまう心理的な罠について解説した本。個人投資家のみならず、銀行員やファンドマネジャーを相手にする財務担当者も相手方の心理を把握する上でも有効だと思います。

2008年10月21日  M.Mori
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