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「懲りないくん」2001年9月16日号(33)

いろんなことがありすぎの号

9月9日(日曜日)

今日は、例の番組の収録日。
僕がスタジオに行くと、
パネリストにバイアスをかけるということで、
遠慮しました。
ホントは、皆さんに挨拶したかったのだけれど。

9月10日(月曜日)

トピックなし。

今回の番組は、
僕をして、過去を整理させる機会のようだ。
今思うハイパーネットの倒産原因は、
当時の僕が、
それ以上会社の延命を続けることによって、
僕自身の考えるところの
フェアーという考えに基づいた行動を、
僕自身が失ってしまうことに対する恐怖を
感じたからではないかと振り返る。

こう書くと、美学のように思えなくもないが、
つまりは、自分を失いたくなかったという、
自己都合によっていたということだ。
だから今、何をしていても、
その影は常に僕に付きまとう。

しかし、人生なんてそんなものだと思う。
「人の一生は、
重荷を背負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし」
という、僕と同じ誕生日の徳川家康の言葉は、
不思議と僕を楽にさせてくれる。

9月11日(火曜日)

23時、つけっぱなしのTVから、
米国同時多発テロの映像が流れる。

まるで映画だ!

2000年以上続いてきた、
宗教と領土の、複数の当事者による
複雑な経緯を
(首謀者が誰かを特定することは大切だが)
首謀者を捕まえて裁きにかけても、
根本的な解決にはならないのは、明らかだ。

「どちらが先に手を出したのか」ということも、
いつを起源にするのかという議論と、
当事者が(過去にさかのぼれば)多数であり、
その結論は得られない。

確かなことは、
数千人の犠牲者、
数兆円(間接的には数十兆円)の経済損失、
そして、報復による更なる犠牲者の増加だろう。

キリスト教、ユダヤ教そしてイスラム教も、
同じ神を信じる人なのに。

情報は錯綜している。
すべての情報は、その発信者によって、
バイアスがかけられている。
誤解を恐れずに言えば、
情報そのものも、発信者の「都合」に
影響されている。
どんな情報を、どの程度受け入れるか、
個人個人が吟味しなければならない時だと
痛切に感じる。

いずれにしても、個人として今できる事が何かを
「情報を吟味」した上で、実行するほかない。

25時、友人数名に連絡を取るも、
米国方面の電話回線は不通。
悶々とTV画面を観る。

9月12日(水曜日)

9時、船橋の実家を出る。
船橋駅周辺通過中、数十人の人の列を見る。
献血の行列かと思ったが、
行列の先には、「パチンコ店」。
「・・・・・・」

島国だからだろうか、
世界は複雑に絡み合ったシステムであり、
個人はそのシステム上に生きているということを
理解できていない人が多いように思う。

12時、定例ミーティングのため、
渋谷はセルリアンタワーGMO本社。

15時、リクルート投資育成関連WEBの
インタビュー

17時、当社投資先のビジネスミーティング。

と、事件に影響されない行動を
積極的に心がける。

9月13日(木曜日)

13時、当社投資先の取締役会。

19時、ビジネスミーティングを兼ね食事のため、
新橋は「第三春美」。

9月14日(金曜日)

「商工会議所青年部近畿ブロック」での
講演のため、
和歌山県は新宮市まで、永遠6時間かけて到着。
台風、テロ、そして長旅のせいか、
今回の講演は、200回近くの講演の中で、
ワースト10にランキングされるほど、
出来が悪かった。

19時、総勢400名+コンパニオンという
パーティーに出席。
が、1時間ほどで早々にホテルへ引き上げる。

9月15日(土曜日)

東京へ帰る。

テロ犯は、誰だとか、
報復は、更なる報復を呼ぶとか、
日本は平和的な解決の手段を取るべきだとか、
群集を煽って、戦争の準備を取り付けるなら、
ブッシュでなくてもできるとか、
それでも、家族や友人を失った人の
感情を考えると軍事行動も仕方ないとか、
経済損失は間接的には数十兆円になるとか、
そういうことは、そういうことで
評論家と世論に任せるとして、
僕が今回の事件で最初に思ったことは、
生きていることのリアリティーだ。

ある読者が、「自分の子供を持つことは、
人生のリアリティーを持つことだ」といったのを
思い出す。
つまり、自分の子供を持つ事は、
それを失うリスクを同時に持つ事であって、
それがゆえに、人生にリアリティーを持つと。

僕にとっては、人間の子供ではないが、
犬や両親や友人が居る。
今回のテロのような事件は、
大切に思う人を、普段以上にそう思わせる。
失うことへの恐怖が増し、リアリティーが増す。

すると、僕はこう考える。
自分の力の及ばない原因で、
彼らを失った時、自分が後悔しないように、
今できることをやっておこうと。
失ったときは、それまで何をどうやっていようが、
悲しいだろうし、悔しいだろうし、落胆するだろう。
けれど、「僕があの時、もっと~していれば・・・」
などと後悔することだけは避けたいと思うのだ。

だから、犬にはなるべく時間を割き、
散歩に連れて行ってあげ、
楽しい思い出をたくさん作り、
彼らを失ったとき、
「僕は彼らに幸せな時間を提供できた」と
思える結果にしたい。

たとえば異性に対しても、
恒常的な平和を前提にしているから、
「おまえは、昨日なんで電話に出なかったんだ!」
なんていう、つまらぬ所有欲による喧嘩を
継続できるし、
また、喧嘩状態のまま、別れることもできる。
しかし、その相手が、自分と一緒に居ないときに、
帰らぬ人となる可能性を考えたら、
つまらぬ事で喧嘩などできない。
自分の大切な相手が、
自分が相手をできない時間に、
何をしていたかを掘り下げ、
相手の中の、自分の優先順位を図ることより、
目の前に居るその相手との楽しい時間を、
積み上げていきたいと思うようになる。
「一期一会」~その瞬間を大切にして、
別れ際に、宿題を残さないように、
人と接したい。

大切な相手を失う可能性は、
たとえテロが撲滅されても、常に存在するのだ。

評論家的に言えば、
報復行為が延期される事によって、
世界世論が、報復の是非論に
移行する可能性に期待したい。

被害者はアメリカではなく、
亡くなった方々と、その家族友人であり、
全世界の地球市民であることを、
忘れてはならない。

亡くなった大勢の方々に
ご冥福をお祈りいたします。

板倉 雄一郎
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