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「懲りないくん」2002年4月26日号(63)

極めてプライベートなご報告があるで週。

4月20日(土曜日)

これまでの「懲りないくん」にて、
「恋愛のゴールが結婚とは思わない」と書いた。
「結婚が愛を育むとか、結婚によって幸せになる
という考えを持ち合わせて居ない」とも書いた。
「結婚したくて相手を見つけた結婚ではなく、
好きな相手ができて、結果として結婚するのいい」
とも書いた。
しかし今、新ためて、自分の文章を振り返ってみると、
僕は、相当「結婚」に興味があったように思う。
以上の文章を持って、僕の周囲の人は、
「板倉は結婚したくない人」と思ったらしい。
あまりにも大雑把すぎで言葉も出ない。
僕は、今日現在も上記の考えを変えていない。
しかし、断っておくが、
将来を予測する意味で「結婚しないだろう」とは
書いたり、言ったりしたことがあるかもしれないが、
自らの「意思」として
「結婚しない」と書いたことは一度も無い。

僕は、結婚そのものに興味があったのだろう。
興味はあるが、それ自体を積極的に実行しようとは、
まったく思っていなかった。
しかし、経験主義である以上、
自らが結婚しないところで、
それについて語ることは、恥ずかしいことだった。
いつも書いているように、
童貞君がセックスの批評をするようなものだからだ。

僕が、自らの結婚に否定的だったのは、
自分の家族を含め、周囲に幸せそうな家庭を
見つけられなかったことにある。
「一時の衝動によって結婚し、
いずれ、あのように不幸せになるんだろう」と
思っていたのだ。
「不幸せな将来」が待っているから、
それに否定的になったわけではない。
ここがちょっとややこしいのだが、
不幸せだろうが、幸せだろうが、
将来がほぼ確定している選択を
したくないということなのだ。

僕は起業家としての人生を歩んできて、
多分これからも広義では起業家として生きていく。
その大きな理由は、この部分にある。
すなわち、組織人の場合、その未来は、
自分の上司やトップの姿として、
少なくとも起業家のそれよりはっきりと見える。
だから選択したくない。
言い方を変えれば、それを選択したとしても、
僕には、それを続けることができない。
将来が、ある範囲で確定していたら、
興味を失うからだ。

そんな生き方が、僕をして、
結婚から遠ざけさせてきたのだと、思う。

単なるノロケ話になるかもしれないが、
彼女に出会って、僕の考えは変わらなかったが、
結婚における未来の想定に変化が生まれた。
「彼女とだったら、もしかしたら、
周囲で起こっている家庭の事情とは
別の何かを期待できるのではないか?」と。
つまり、「やってみなければわからない」という
僕が新しい何かに取り組むうえでの
最大のモチベーションが生まれたのである。

「絶対に幸せな家庭を作るんだ」などと、
神に誓うでも、自分に言い聞かせるでもなく、
「僕も、周囲と同じように不幸せな家庭を
いつしか作ってしまうのではないか」などと、
びくびくするわけでもなく、
「彼女を自分の物にするんだ」などと、
一時の所有欲に支配されるわけでもなく、
極めて自然体で、結婚という事業を「やってみよう」と
思った次第である。
もちろん、相手が彼女であったということが、
一番大きな理由であることは間違いないが。

とまあ、回りくどい書き方をしたが、
要するに結婚することになったのだ。
(できちゃった結婚じゃないよ)

お相手は、ここ最近、この日記にも登場するT嬢。
ただ、あくまで二人の間で、
それが決まっただけであって、
先方のご両親の了解を得ているわけではない。
だから、結婚するまでわからない。
しかし、本人同士がそう決めている以上に、
大切なものは無いとも思う。

僕は彼女に始めて会ったとき、
その場で電話番号を聞いた。
(まあ、これはいつも通り)
それから数日後、最初の食事の席で、
彼女にプロポーズした。
それまで、結婚願望などまったくなかったのに、
その場で自然と言葉が出た。
彼女は笑って聞いていた。
その笑顔を見て、
僕は出た言葉を、取り消そうとは思わなかった。
自分の声が、自分には一番良く聞こえる。
自分の言葉に、僕は違和感を感じなかった。
彼女はしばらく、明確な返事を避けていたが、
彼女は、どちらかというと、
気持ちが表情に出てしまうタイプだから、
僕のプロポーザルを快く思っていることは理解できた。
この日記にも書いてあるが、彼女の返事は、
彼女が、彼女の友人たちに僕を紹介する方法だった。
それは、僕自身も自分の気持ちを確かめるのに、
都合が良かった。
第三者の前で、彼女に対しても、
彼女の友人に対しても、同じで居れるかどうか。
もちろん、違和感は無かった。

僕は、彼女を尊敬している。
なぜなら、こんな僕、つまり、
一般の尺で計ったら、
「事業の失敗」「自己破産」、「40近いのに独身」、
「女関係がたくさん」、言い出したらきりが無いほど、
ネガティブファクターだらけなのに、
それを結婚の対象として選んだからだ。

いつか書いたことがある。
スタンリーキューブリック監督の遺作
「アイズ・ワイド・シャッド」について、
「乱交パーティーシーンの印象が強く、
ほとんどの人が、この映画の本質を見つけられない」と。
僕は僕自身に対して、人間力としての自信がある。
過去の数々の失敗を経験値に変える才能。
金を貯めることより、作り出す力。
そして、使い果たす能力。
将来を見極める目。
どんな状況でもポジティブな思考を絶やさない精神。
しかし、それらを書いた看板を高らかに掲げたり、
それらから生まれる結果(たとえば金)を、
わかりやすいからと見せびらかしたり、したくなかった。
なぜなら、その場合、本来の僕固有の価値に
気がついた上での興味ではなく、
その価値から生まれた結果に対する興味だからだ。

彼女がどれほど、理解しているのか、
本当のところはわからない。
しかし少なくとも、起業する相手として、
十分尊敬できる。

20:00
毎月定例の「赤石太郎邸パーティー」へ、
T嬢とともに出かける。

いつもの合コンパイレーツにも、冷やかされる。
そして、「裏切り者」呼ばわりする者まで(笑)。
しかし不思議と、疑いの目で見るものは居なかった。
「誰も信じやしないだろう」というのが、
僕の予想だったのだが。
そんな彼らだが、僕が席をはずしたその時、
T嬢に対して
「板倉さんは、きっといつまでも大切にするはず」
とかなんとか言ってくれたらしい。
僕が遊んでいるその具体的な状況を、
一番身近で見ていた彼らが、
実は、一番理解していてくれたのかもしれない。

4月21日(日曜日)

18:00
文化放送「板倉雄一郎のラブコン」の収録のため、
文化放送。
今回は、看護婦さん2名。

この番組、そもそも僕がラジオで、
言いたいことを話しまくりたいという動機で
スタートしたのだが、
なぜか、現在の僕は、単なるインタビュアー。
一回目の放送では、
「板倉さんがしゃべりすぎだから、
ゲストの情報を聞き出すように」などと注意された。
まあ、何でも引き受けるが、
僕を使う以上、僕に独特の価値観を話させるほうが、
番組としての価値が上がると思うのだが。

4月22日(月曜日)

相手の両親の承諾も得ていないのに、
二人は式の準備を開始。
スタッフとして、何人かが協力してくれる模様。
だがしかし、招待客のリスト作成は、
自らがやらなければならないわな。
これ、結構大変です。

4月23日(火曜日)

今日は、2週間入院した雄太の退院日。
退院後、1ヶ月は安静ということで、
特に、階段の上り下り、すべる床は厳禁。
ということで、朝から実家の廊下にジュウタンを引き、
階段の付近に柵を作るなど、日曜(火曜)大工。

13:00
受け入れ態勢が整い、早速迎えに行く。
のだが、免停中とあって、母上の運転。
あらゆる行動が車ベースだから、
何をするにもずっこける。
でもあと少しで、免許復活。

術後の経過は、パーフェクト。
ちょっと「プードル風ゴールデン」の雄太は、
相変わらず、歳の割りに(僕もこれは一緒だが)
元気にはしゃぎまわる。
が、これはまずい。
家族全員で暴れる雄太を叱るが、
彼にはその理由などまったく理解できないだろう。
「僕を長い間、折に閉じ込めて、
 帰ってきたら、みんな冷たい」ぐらいに
思っているかもしれない。
でも仕方ない。
夏になったら、海にも山にも連れて行くから、
しばらく辛抱ね。

4月24日(水曜日)~25日(木曜日)

この期間、ワンワンケアー&サービスのため、
実家にて、執筆にいそしむ。
6月発売にずれ込んだ単行本の追加原稿。
それに、GW明けから始まる
GMOシリコンバレーエクスプレスの連載原稿。
僕は、書き始めると、
人が変わったようにのめり込むのだが、
その状態に自分を持っていくまでが大変。
あれが無いとか、これじゃできないとか、
とにかくいろんなイクスキューズに明け暮れ、
イクスキューズが見つからなくなって、
初めてキーボードを叩く。
もともと、
芸術肌(芸術が得意という意味ではない)なのだ。

4月26日(金曜日)

10:00
2月のスピード違反の取調べのため、
市川区検察庁。
なんてことは無い、簡易裁判か通常裁判か選ぶだけ。

今日は、この後、久しぶりのホテル日航東京「スパ然」。

ということで、読者にとっては
どーでも良いことばかりだったかも。
デモね、しっかり書いておきたかったのです。
それでは、また来週。

新橋駅のカレー屋さんにて。

板倉 雄一郎
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