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「懲りないくん」最終号

僕は97年12月の倒産と自己破産から数カ月後、あることを心に決めた。
「2002年いっぱいの期限で、僕が、一体何者で、何を目的にして生きているのか?を突き止める」という目標である。

ハイパーネットの倒産の原因は、経営上のテクニカルな要因も数限りなく発見することができたが、それらは7月発売予定「失敗から学べ!」日経BP社に任せるとして、ここではその中から失敗の本質的な部分について触れてみたいと思う。
すなわち、僕個人の人間性にかかわる問題だ。
そもそも事業という手段、IPOという手段を、僕が生きるうえで選択した本当の目的、本当の動機について、僕自身は明確に意識していなかった。このことが度重なる経営判断ミスを生み、その結果訪れる数々の試練を乗り切るだけのエネルギーを継続できなかったことにあるのではないか?
つまり、口幅ったい言い方をすれば「夢」や「理念」が人生においても、経営においても、僕の中で決定的に欠如していたということが本質的な失敗の原因ではないか?

このような仮定としての原因を見つけた僕は、自らの夢や理念を突き止めるために、倒産からの4年、自らの欲求より周囲からの依頼を可能な限り実行することにした。
よくあるたとえで言えば、自分で自分の服を選ぶより、人に薦められた服にチャレンジすることの方が、自分の可能性や適合を広範囲で検証することができるというわけである。
その結果、僕に与えられた手段のチャンスは、「講演」、「執筆」、「メディアへの出演」、「投資事業」などであった。
しかし、一つだけ誰からも依頼も受けずに、自らの欲求で始めた手段があった。
そう、この「懲りないくん」である。

僕がこの連載を開始するに当たって、採用した方法は、自らの言動を「よく思われたい(=悪く評価されるような行動を書かない)」とも「悪く思われたい(=わざと内在する悪癖だけを書く)」とも考えず、ひたすら素直に自らの言動・思考を書くことによって、読者からの批判や評価を得ようというものだった。
それらの批判や評価がどのようなものであるか? また、それらに対して自分がどのように感じ、どのように対応するかを見つめ、自らへの理解を深めるのが目的だった。
だから僕は、思いのまま自身の言動を文章に綴り、それに対する読者からのすべてのメールに返信をしてきた。
明らかな誹謗中傷には傷つき、返信を書くたびに、自らの怒りを抑制するために心が震えた。
その心の震えを、しかし可能な限り、誠実に返信を書くことのエネルギーに変換してきた。
明らかな賞賛には喜び、しかし返信の文章に何かお土産を加えるように努力した。
以上のような「懲りないくん」の活動は、僕にとって苦しみだった。
「なにも自分の生活までディスクローズしなくたっていいのに」
「どこの馬の骨かわからない読者のメールなんか気にしなくてもいいのに」
そんな身近な人間の優しさに接するたびに、僕は自分に言い聞かせた。
そう、自分の目標を達成するために、唯一自分が進んで決めた手段を、目標が達成するまでやりぬくんだと。
結果が自分にとってマイナスであっても、プラスであっても、それは自らの言動が起こしたこと。だから、
その結果が自分自身であると言い聞かせていた。

そして、僕はいくつかの結論を得ることができた。
1、人の主義、価値感、それに基づく言動を一元的に、絶対的に評価することは不可能であるが、
2、ある事象を評価するとき、それぞれの評価主体(観測者)が一つの価値感に頼って評価せざるを得ない。
3、しかしながら、この時の一つの価値感は、時間や環境と共に同じ主体であっても変化する。
4、よって、事象の予測される評価を基に、自らの言動を制御することより、自らの信念を基に
行動する以外に得るものは無い。
ということであり、僕自身に対する発見は・・・
1、 自らの「興味」のあるなしによる結果の陽動が、人より激しく、
2、 周囲の心の陽動を、人より敏感に感じ取り、
3、自らの「楽しさ」の違いによって、自らにもたらされる結果の成否に、人より大きな差が生まれるという、
まあ、簡単に言えば「ワガママ」の最たるもとということだった。
そして最後に、とある僕の尊敬する人物からの言葉が僕自身を気がつかせてくれた。

「板チャンが犬を好きな理由がわかる。犬には『心のボタン』がせいぜい3つしかない。Aを押せば喜び、Bを押せば悲しみ、Cを押せば怒る。板チャンは世の中を生き抜くために、自分に千個ぐらいのボタンがあるように振舞う。相対する人間の心の陽動を掴んで、それに対抗するための技を得たからだよ。本当はせいぜい5つぐらいしかボタンが無いのに」Words by K.M.

僕はこの言葉の持ち主である、海外に居住する氏には、「懲りないくん」とまったく無縁に出会い、交流を始めたが、実際の彼との会話やメール交換はせいぜい1年に数回。しかし彼はこの「懲りないくん」を毎回行間を探りながら読んでくれていた。その彼が僕自身が納得する答えを教えてくれたのである。この彼の言葉だけで、僕は「懲りないくん」を続けたことによる十分なリターンを得たと確信した。

話は横道にそれるが・・・

人は、誰かにした「好意」を大きく評価し、
誰かにされた「行為」を小さく評価する傾向がある。
僕は、その例外ではないどころか、人よりその傾向が強い人間だと思う。

人間の脳の基本構造であるところの「いやなことを忘れ、良いことだけを長時間記憶する」という身勝手さも僕の場合、人以上だと思う。

書き出したらきりが無いこのような僕主体の僕自身に対する悪い評価は、しかし別の見方をすれば都合よく評価することもできる。
前者は、自分が他人に与えた「害」を、人からされた「害」より大きく評価できるし、
後者は、状況が悪いときでも「今何が残っているのか?」を探し出し、再出発する能力とすることもできる。
このように、深く考えれば考えるほど、何が人の評価となりえるのか、絶対的な評価を探せないばかりではなく、僕という固定された主体による評価さえ、ままならない。
そんな出口の見えない自分自身への探求というスパイラルに陥っていた僕へ、彼は一つのそして大きな出口を教えてくれたのである。
宗教じみている発言に聞こえるかもしれないが、僕は彼の言葉で開放された。
「もう、やらなくていいよ」と自分に言えることができた。

以上が、身勝手な僕が、身勝手に「懲りないくん」を止めようと思った経緯である。
ほらね、ボタンがたくさんある振りをしているでしょ。

僕の身勝手な欲求に機会を与えてくれた、糸井重里氏をはじめとする「ほぼ日」の皆さま、そして身勝手な僕の文章に付き合ってくれた多くの読者の皆様、ありがとうございました。
僕にとって、ここに書ききれないほど多くの利益がありましたことを感謝いたします。
本当にありがとうございました。

2002年6月、独身38歳・板倉雄一郎拝
独身最後で週。

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