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「懲りないくん」2001年2月25日号

今週の「懲りないくん」は、まるでLA滞在日記。
もしくは、米国ビジネスモデル特許事情レポート!
かなり長くなるよ。
それじゃ、はじまりはじまり。

2月18日(日曜日)

昨日は三重、明日からLA。
朝、犬の散歩。
しばらくこいつらに会えない。
5Km+近くの学校の校庭でボール遊び。
午後、散歩から戻ると、
熊谷正寿インターキュー社長から携帯に留守電。
明日からのLA出張についての挨拶が吹き込まれている。
と言うのもこの出張、実は彼の会社からの依頼。
この話、書くと長くなるから大幅に割愛するが。
昔、僕がハイパーネットで出願した「広告付無料プロバイダーサー
ビス」(ハイパーシステム)に関する特許が今ごろ世界中で成立。
ハイパーネット倒産後、この特許、
回りまわって現在はインターキューが権利者に。
一方、この特許に抵触する恐れのあるサービス、
今ごろ世界中で実施されてる。
僕の知っている限りで20社ぐらい。
中でも、米国ネットゼロ社は
数百万人を抱える大プロバイダーに成長、
米NASDAQにも上場。
早すぎた僕自身の事業展開を、再び思い知らされる。

昨年、この会社の代理人が僕を訪問、
特許のライセンスを譲ってくれと言う。
こちらから提訴するまでも無く、
先方から買いに来てくれたというわけだ。
その時点で、この特許の権利者はインターキューだったから、
僕はインターキュー社とネットゼロ社をつなぐことに。
北米とオーストラリア地域のライセンス契約はさっさと締結され、
インターキューは契約金と継続のロイヤルティーを確保。
もちろん、僕には1銭も入らない。トホホ。

ライセンスを受けたネットゼロ社は米国で競合他社を提訴する。
特許化された発明の使用停止を訴えるわけだ。
つまり競合他社に対して、サービスを止めろって事。
もっとはっきり言うと、「死ね」って事。
すると、あたりまえだが提訴された側も戦う。
特許非侵害の確認の訴え、
および特許の無効の主張が逆提訴される。

一方、米国を含め、世界の数十カ国に出願していたこの特許、
権利者が変わっても「発明者」は板倉雄一郎他2名。
そして、今回のディポジションに僕が証人として行くことになった。
ちなみに、米国のメディアでは、
この特許の名称が「ITAKURA PATENTS」。
米国では特許の名称を、発明者の名前を使ってそれとする慣習
があるらしい。
僕にとっては、今更、どうでもいい事ではある。
ただしかし、あらかじめ参考資料として入手した米国での雑誌、
新聞など、
この訴訟に付いてのメディアの取り扱いを見てボー然とする。
いかに、この特許とその訴訟が、ビジネスの世界で、、
世界的に注目されているか思い知らされる。

一方、日本のビジネス関連、ネット関連メディアは、
「ビジネスモデル特許」に関する記事は特集するも、
その後の「ケース」にはまったく興味が無いと見える。
実際、僕に対する取材は、
あい変わらず「敗者復活の、、、、」というテーマばかり。
もうこの手の取材、3年間受け続けているのだが。

メディアの方々、
以下の要点を理解した上で興味が無いのだろうか?
1、 この世界的に注目を集めている特許、日本人の発明であるこ
と。つまり「日本は物まね」の概念を覆すものだということ。
2、 この特許をはじめて出願したのはハイパーネットという、グロ
ーバルネットベンチャーの草生であこと。
3、 そして、その会社は、同国の金融システムとの相性の悪さと、
馬鹿なCEO(つまり僕)のおかげで、およそ40億円の負債と
共に倒産してしまった事。
4、 話題のビジネスモデル特許の中で、「インターネット」という表
現を使用した最古の特許(つまり最初の訴訟)である事。
5、 日本のマーケットより、米国のマーケットが注目していること。

「ビジネスモデル特許」というキーワードで騒がすだけ騒がして、
その後は知らないというメディアに対する印象を、
僕が持つのは不自然だろうか?

できれば、米国での名声より、
この日本という国の国力に貢献したいのだけれど。
その思は、常に叶わず。

話はディポジションに戻る。
ディポジションとは、裁判ではなく、
後に裁判での証拠能力のあるインタビュー。
裁判所からの「命令」に基づくもの。
今回は被告側の一社である、
ジュノーオンライン社の弁護士から、
僕がネホリハホリ質問を受けるってわけ。
当然、僕にとっては経済的メリット無し、
それどころか、この出張のおかげでいくつかの講演をキャンセル。
さらに、このディポジション、裁判では無いけれど、
嘘をつけば「偽証罪」で米国の牢屋にぶち込まれるという。
とんでもない仕事だ。
いや経済的なメリットが何も無いから「仕事」ではないか?
いずれにしても行きたくない。
でも、米国裁判所からの「出頭命令」。
行かなくちゃならない。
熊谷正寿がわざわざ日曜日に電話してくるわけだ。
少なくともこの戦い、勝てばインターキューのメリットにはなる。
「覚えておけよ」っと彼に伝えるメールを書く。

午後、荷物をまとめ、車で成田。
シンガポールエアは成田第一ターミナル。
昔は出国前に現地通貨を用意したものだが、
今はCITIBANKのカードがあればどこでもATMで現地通貨が引
き出せるから、そんな用意もいらない。
さっさとチェックイン。

僕はどんな長い旅でも荷物を一つにまとめて、
機内持ち込み可能な手荷物だけにしている。
バゲッジクレームでの待ち時間がもったいないからだ。
ところが、機内に持ち込めるはずの大きさのバッグに、
グランドホステスが文句を言う。
「重量オーバーです。」
しばらく粘ったが、許してもらえなかった。
仕方ないから、ラップトップなど暇つぶし道具を、
客室持ち込みように取り出し、チェックイン終了。

いつも混んでる成田パスポートコントロール。
今日はガラガラ。
シンガポールエアのラウンジで「懲りないくん」2号の執筆開始。
18時過ぎボーディング。
機材はB747-400、エンジンは4基、僕の席はアッパーデッキ。
B777が多くなったが、
双発エンジンで太平洋を渡るのはあまり賛成できない。
実際双発エンジン機材に対して「180分規制」という、
180分以内に着陸可能な空港がある位置を、
飛ばなければならないという国際規制がある。
首都高をぶっ飛ばす方が、
はるかにリスキーであるのは承知している。
が、結果に対する自分の制御範囲が小さければ小さいほど、
怖くなる。
少なくとも僕の場合には。

隣は空席~ラッキー!
なるほど、直前で同伴者の分をキャンセルしたからだ。
通路挟んで隣の席には、先ほどラウンジで見かけた、
どこかのTVCFに出ているモデルの子。
さて、声をかけるか?
そう思ったが、もし失敗して、その後、
永遠8時間も気まずくなる事を恐れて辞退。

長距離国際線の離陸は国内線と比べて極めてゆっくり。
「どんぶらこぉ~、どんぶらこぉ~」って感じ。
荷物と燃料の重さが原因だ。
最大重量での離陸はリスクたっぷり。
飛行機の「最大離陸重量」と「最大着陸重量」の関係は、
「前者」>「後者」だから、
一度最大離陸重量で1mmでも浮き上がったら、
後は燃料を使って軽くしてからでないと着陸できない。
知りすぎると怖い事は世の中にたくさんある。
「社長失格」もベンチャー起業の勉強にはなるが、
果たして起業前に知りすぎるのは、いかがなものかと考える。

ディナーサービスの後、
ラップトップの「タイムゾーン」をJSTからPSTに変更。
「懲りないくん」2号を執筆。
最近のラップトップ、確かに軽く小さくなったが、
いかんせん長時間用のバッテリーが付くと重い。
パソコンショップでは、長時間バッテリーどころか、
標準のバッテリーさえ外された状態で展示してあるので、
重さには注意して購入を決断しなくてはならない。
「懲りないくん」2号完成。
でもこの号はあまり面白くない。ごめんなさい。
寝る、寝る、寝る。

LAX到着。
もう何度来た事かこの空港、
相変わらずパスポートコントロールが混んでいる。
95年、ラスベガスで開催のCOMDEXの時は、
空港職員のストライキのおかげで、
パスポートコントロールを抜けるのに3時間!
とんでもない空港だ。
いや国だ、っと後で思い知る事になる旅の始まりであった。

予想通り、なかなか出てこない荷物を待って外に出ると、
一つ前のNHで到着の龍華特許事務所、龍華先生がお出迎え。
彼にはハイパーネット当時から永遠と、
この特許のお世話をして頂いている。
彼の雇い主は変わったが・・・。

直後に、LA在住のMK氏登場。
彼は僕の兄貴分。
LAに来るときは必ず会う。
LAとNYにオフィスを構える、メディア関連会社のオーナー社長。
彼のジャガーで、ダウンタウンのど真ん中、OMNIホテルに到着。
チェックイン後、再びMK氏と共にビバリーヒルズのMK氏宅へ。
最近結婚したばかりのMK氏奥さんによる手作りラーメンと餃子を
ご馳走になる。
なんだか嬉しい。
ちなみに彼女、美人で古風な日本人女性、元国際線CA。
MK氏50歳、なかなかやる。

午後、ホテルに戻りディポジションのための打ち合わせ。
なお、打ち合わせの内容は極秘なので書けない。
なぜなら、Privilegeというのがあって、
自分の弁護士にはなんでも話せる変わりに、
弁護士との会話は「全て」機密事項として話せないからだ。

この打ち合わせの内容とまったく関係なく、
ディポジションの基本は、
1、 相手側弁護士からの質問に答える2日間。
2、 あくまで自分の事に対する質問であり、あらかじめ資料を探
したり、調べたりする必要は無い。
3、 先方弁護士の質問に対して、こちらの弁護士から時々オブジ
ェクションが入る。
(1) Objection vague 質問の意味が曖昧である。
(2) Objection vague as to time いつの事か曖昧である。
(3) Objection speculations 推測に基づく答えを要求して
いる。
などなど。
4、 こちらに有利な事を言っても意味が無い。先方は先方に有利
な発言だけを証拠として後に提出する。
5、 最良の答えは「Yes」、「No」または「I don't know」。つまり与
える情報は少なければ少ないほど良い。
こう書けば、誰でもわかるが、
実際どういう質問が出てくるか予想できないので、困惑する。
と言うのも、ある象徴的な判決が過去にあったからだ。

あるディポジションでの事である。
「Can you speak English?」と言う質問に、
「No, I can't」と「英語」で答えた証人がいた。
この言葉が原因で、すぐさま負けが決定したと言うのである。
ああ怖ぁ~僕の一言が億単位の損失につながる。
たった一言が。

オブジェクション3(Speculations)がまた厄介だ。
たとえば「人間は月に行く事ができるか?」と聞かれたら、
一般の人は「ハイ」と答えてしまうだろう。
過去にニール・アームストロング他数名の「人間」が、
月に降りた事実があり、「技術的には」可能だからだ。
しかし、この質問に対する的確な答えは「わかりません」なのだ。
なぜなら、質問の中の「人間」というのは、
必ずしも誰とは特定していない、
少なくとも自分の事「だけ」が聞かれているわけではない。
だれか他人の可能性については、
「推測」しなければ答えられない。
推測した答えはできない(しなくてもよい)から、
答えは「わかりません」となる。
理屈は理解できるが、益々混乱する。

僕にはこのシステムが、どうもしっくりこない。
ディポジションも裁判も「真実を追究する」という目的を、
持って居ないからだ。
弁護士は「いかにして勝つか」だけを考えている。
あちらも、こちらも一緒だ。
真実は決まっている。
少なくとも僕の中では、
この発明が、95年の夏に、僕の頭の中で生まれたということだ。
馬鹿馬鹿しい。
この国、良いところ、日本が学ぶべきところはたくさんあると思うが、
こと、法務に関してはとんでもない国だ。
その点、日本の弁護士の方がよっぽど社会正義を念頭において
いるように思える。

18時、再びMK氏夫妻と共に、ジャパンタウンの寿司屋で夕食。
ホテルに戻り「懲りないくん」2号をメール送信して就寝。
しかしネットは便利である。
作家として仕事していれば、
世界中のどこにいても電話線さえあれば、仕事になる。

2月19日(月曜日)

アメリカは休日。
何の休日だかわからないが、とにかく休日。
しかしこのディポジションの関係者はネクタイを締める。
同ホテルに宿泊の龍華先生他数名と、
ビバリーヒルズ隣に位置するセンチュリーシティー、
先方の弁護士事務所へ向かう。
LAではビバリーヒルズに住み、
センチュリーシティーで仕事をするのがステータスらしい。
センチュリーシティーはLAの副都心のようなところ。

ディポジションの部屋はちょっと大き目の会議室。
ビデオカメラとそのオペレータ。
通訳の日系女性。
先方の弁護士。
速記者。
そして我々。

速記の方法にびっくり!
ピアノの鍵盤のようなマシン、キーは多くて20個ぐらい。
彼はこのマシンで「音」をタイピングするのだと言う。
そのマシンは彼のラップトップにシリアル接続されていて、
そのマシンが直接吐き出すプリントアウトと同じ情報を、
ラップトップにデータ送信する。
ラップトップには、
専用のアプリケーションソフトウェアが起動されていて、
マシンから受け取った「音」に関する情報を元に、
英語の文章を生成する。
日本語では絶対にできない。
なぜなら日本語には同音異句がたくさんあるからだ。

さらに彼のラップトップはシリアルケーブルで、
翻訳の女性のラップトップにもつながっている。
彼女は英語の文章をラップトップで確認して通訳する。
彼女はベテラン通訳。
それでも通訳チェックを担当する弁護士も同席する。
通訳も大変だ。法律用語にコンピュータ用語、
さらには、微妙な言い回しで結果が大きく変化する。
つまり非常にシビアということだ。

ディポジションが宣言される前は、和やかな雰囲気。
僕も先方の弁護士と名刺交換したり適当な会話をしたりする。
あっ、やばい、英語を使ってしまった。
どうしよう?

午前9時、ディポジションが始まる。
ビデオオペレータの大きな声が響く。
ここから先は、今回のディポジションと無関係な、
作家として勝手にでっち上げた描写であることを、
お断りしておく。
ただ、読者の想像に制限を加える事もできないが。

「○月○日○時○分、ディポジションの開始。」
それまでの和やかな雰囲気が消え、
空気が動きをやめたような緊張感に満たされる。
そして、弁護士連中が自己紹介をはじめる。
僕の番が回ってきた。
するとビデオオペレータが僕に指示する。
「右手を上げてください。」(英語で)
指示通り右手を上げる~オペレータが続ける
「ここで発言されるいかなる証言も証拠として採用される。
真実以外の何も話さないことを誓うか?」
通訳が訳す。
僕はシンプルに日本語で答える「はい」
通訳の彼女が通訳する「YES」
相手弁護士の最初の質問だ。
「Can you speak English?」
ほら来た、僕は通訳がご丁寧に訳している間に、
適切な答えを探す。
そして日本語で答えた。
「はい。すこし。」
我ながらパーフェクトな答えだ。
「すこし」は曖昧だが、
僕が曖昧な返事をして悪いとは、どこにも規定されて居ない。
相手の質問が曖昧であれば追求するが、
僕は曖昧でもかまわない。
少なくともこの質問の答えとしては、
曖昧な答えが一番正確とも言える。
この質問を皮切りに、先方の質問は核心的な部分に進んでいく。

ランチ後のディポジションは、要領を覚えた僕の独占場だ。
要は相手に支配されるのではなく、
こちらが相手をコントロールすればよいということだ。
僕は初日の後半をずいぶんとENJOYする事ができた。

質問、「その時あなたが書いたメモには、
どんなことが書いてありましたか?」
すると、こちらの弁護士からのオブジェクションが入る。
「Objection vague as to time!」(いつの事か曖昧である)
僕はすかさずこう答える。
「その時とはいつのことだ?」
先方が答える「○月○日○○年」の事だ。
僕は答える。
「線や点、それに名詞や動詞や目的語、数字などだ」
すると一同苦笑する。
が、僕は嘘は言っていないし、結構まじめに答えている。

また、先方が数百ページある資料を出して質問する。
「この資料にはどんなことが書いてありますか?」
僕は答える。
正確に答える。
「OK。それじゃ答えるよ、時間かかると思うけど、ええと『請求項
一、この発明は、、、、、』」っと永遠にその資料を読み始める。
すると先方の弁護士は、
正確さを追求する、けなげな日本人の努力をさえぎり、こう聞く。
「その資料全部を読むつもりですか?」
僕は答える「ええもちろん。正確さのために」

しつこいようだが、
以上のディポジションの描写は、あくまでフィクションであって、
今回のディポジションとは基本的に無関係である事をここに記す。

それにしても、楽しかった。
このディポジションの本当の内容について、
興味のある皆さんには、後に吉報がある。

午後5時、僕はへとへとになった。
とりあえず、大きなヘマをする事も無く終える事ができた。
しかし不思議なものである。
裁判で勝つために説得する相手は、
後に開催される裁判の判事であって、この弁護士ではない。
なのに、なぜか説得したくなる。
相手は、単に自分に都合の良い情報を引き出したいだけなのに、
説得したくなる。
特におしゃべりな僕は、ついいろいろ余計な事を話したくなる。
相手側が、こちらに有利な情報に対してする事はただひとつ、
‘証拠として採用しない’

一日目が終わり、
センチュリーシティーパークホテルのロビーにて打ち合わせ。
MGDで喉を潤す。
すると、大勢のメディア人がホテルのエントランスに集まってくる。
僕の取材でないことは確かだ。
カメラも10台以上、リポーターも数十人。
「いったいなんだ?」
するとホテルのロータリーに来るわ来るわ、
まるで夜の六本木のような車の行列。
Sクラスメルセデス、ランボルギーニダイアブロ、ポルシェ、
フェラーリ、そして長さ十数メートルはあろうかというリムジン。
エントランスには、
「MUSICARE PERSON OF THE YEAR」と書かれている。
どうやら音楽関係のイベントのようだ。
すると僕の目の前を綺麗でグラマーな日本人姉妹が通り過ぎる。
「叶姉妹」だ。なぜここに?
実物は意外とスリムで、出るところは出ている。
日本なら彼女たちもメディアにインタビューされるところだろうが、
ここではどのメディアも彼女たちには反応しない。
それもそのはず、この後、登場するのは、
スティービーワンダーをはじめとする、超大物アーティストたち。
さすがハリウッドを抱えるロサンゼルス。
ひと時の観光者気分。

チャイナタウンでチャイニーズ。
やたらと「かに」「えび」が多い。あたりまえだが。
僕はこのどちらもアレルギーで食せない。
北京ダック、鱶鰭スープ、チャーハン、蒸し鮑、
でおなかを満たした頃、注文していないモノが登場。
どうやら鳥の肉。
聞くと、北京ダックの肉だと言う。
一同ボー然。
これって食べるもの?

ホテルに戻りいくつかのメールチェックをして就寝

2月20日(火曜日)

前日とほぼ同じ行動。
ディポジションも慣れたせいか、ここに書ける範囲では、
あまり深い印象は無い。
ただし疲れた。
夕刻、特許の発明者に名を連ねる元ハイパーネット社員、
藤田君を交えての打ち合わせ。
あすから2日間の彼のディポジションのために僕の印象を伝える。

Hustonという、まあ良くあるアメリカのダイナーで、
弁護士ともどもお食事。
例によってカリフォルニアの食べ物はひたすら量が多い。
そして、美味ではない。
ワインときたら、カリフォルニアワインだけ。
DRCやフレンチビックシャトーモノはお預け。
地域や畑、それにドメーヌを名称に使うフレンチワインと違って、
なぜか葡萄品種を大きく表示するカリフォルニアワインには、
結構お手軽値段でおいしいものもある。
ピノノアール品種が良いと言う僕の意見を、弁護士が却下。
カベルネソービニョン品種のワインを注文。
まあそこそこのお味。

ホテルにて、さらにブリーフィング。
龍華先生はこの数日間、
ディポジションで気が付いた注意事項を詳細にメモしていた。
これって結構価値ある書類だ。
それに僕もこの一週間を本にまとめたくなる。
もちろん前(発明の過程)後(この訴訟の行方)も含めて。
そして二人は握手した。
そう、龍華&板倉の共著プロジェクトの握手である。
僕が情景や心理描写を書き、
彼が法律的な見地でテクニカルに解説を加えていく。
「社長失格」に商法や金融の解説がつくようなものか。
読んで面白く、かつ勉強になる本。
この共著、是非書きたい。

部屋に戻り、メールチェック。
すると、先日MK嬢に紹介された、
某航空会社の羽田グランドホステスを努めるSA嬢からメール。
なんと、21日から冬休みでLAとラスベガスに行くと言う。
これはラッキー!
昨日の夜、「豚」の出てくる夢を見た。
「豚」の夢はサイコーの幸せ運だと聞いている。
なるほど。
何とかラスベガスでの彼女の滞在先を突き止める。
が、連絡取れず、がっかり。
まあ、明日も待って見るか。

ホテルで就寝、とにかく疲れた。

2月21日(水曜日)

ジェットラグ、完治しない風邪と昨日までの疲れのせいか、
体調優れず、ゲストルームでひたすら寝る。
夕刻、MK氏から食事の誘い。
ジャパンタウンのラーメン屋にて、
焼きそば、焼売、ポーク生姜焼き、味噌汁、ご飯。
俺はいったいどこにいるんだっけ?
このMK氏、ロスに滞在20年以上なのに、
いつも食事はジャパンタウンのラーメン屋。
体調優れずホテルに戻り早めに寝る。

2月22日(木曜日)

「懲りないくん」2号を「ほぼ日」にて確認。
それにしても、この2号、全然面白くない。
反省。
朝食後、ゲストルームにて、いくつかの原稿を夕刻まで執筆。
再びMK氏とMK氏のオフィスでビジネスミーティング。
ジャパンタウンで洋食。
米国で洋食と言うのも変だが、いわゆる日本で言うところの洋食。
ハンバーグ定食やオムライスなどが並ぶ店。
当然店員も日本人、お客も日本人。
だがめぼしい女性客も見当たらず。
邦人団体客相手で有名なホテルニューオータニにてお茶。
キャーキャー騒ぐ日本人女性3人組のカメラ代行を努める。

ホテルに戻り、ワインを注文。
Robert Mondavi Winery , Napa Valley , C.S.を注文。
一人寂しく、70ドルもするナパワインで乾杯~就寝。

朝方5時、ジェットラグが僕を苦しめる。
仕方ないから「懲りないくん」3号の原稿を書き始める。
すると、SA嬢を紹介してくれた、
東京に居るMK嬢からケータイに電話。
どうやらラスベガスのSA嬢と連絡が取れたということ。
すぐさま、ラスベガスはホテルモンテカルロに電話、
やっと話ができる。
明日のディナーの約束を取る。

それにしてもアメリカのケータイは、いつになっても大きく重い。
彼らに最新(でも無くなったが)のP502iを見せると喜ぶ。
しかし最後に彼らはこう言う。
「でもさぁ、こんなに小さくちゃ、キーを押せないよぉ。」
マックのマウスがシングルボタンの所以である。

変な時間に起きて、変な電話があり、
変な時間にデートの約束をし、変な事を考え、変な時間に寝る。

2月23日(金曜日)

11時、龍華先生と共著の打ち合わせ。
ホテル隣接のリストランテで昼食。
カラマリ、ピッツァマルゲリータ、シーフードパスタ、
トマトベーススープなど。
この店、雰囲気もよし、お味も美味。
お客も店員も、コイィー顔のイタリアン。
久しぶりのご馳走だった。

午後も17時まで永遠、ミーティング。
夕刻、BMW Z3をレンタルして,
サンタモニカをドライブすると言う龍華先生と別れて、
SA嬢他2名の女性をピックアップ。
皆さん某航空会社のCAではなく、グランドホステス。
CAならステイ先での合コンも現実的だが、
グランドホステスとLAで合コンはまれな事。
またも良くあるアメリカンダイナーで楽しく合コン。
21時、彼女たちをお行儀良く送迎してホテルに戻り寂しく就寝。

LAまで来て合コン。
37歳にして「合コン大魔王」と呼ばれる所以である。

2月24日(土曜日)

雨。
2月はカリフォルニアの雨季~山の緑が輝く季節。
9時、龍華先生と朝食。
この日記のディポジション部分のリーガルチェックを依頼。
余計な事書いて、訴訟で不利になるのは真っ平ごめんだ。
ホテルのビュッフェに並ぶ「日本食」にチャレンジ。
納豆、ご飯、味噌汁、海苔、おしんこ。
あまり美味しくない。
やっぱサニーサイドアップにカリカリベーコン、
フレッシュオレンジそしてコーヒーが無難。
NHで僕より一足先に帰国の龍華先生を見送り、
ゲストルームで荷造り。

11時、ラップを大音響で鳴らす、
黒人運転手のファンキー、タクシーでLAX。

自ら進んでバゲッジを預け、チェックイン。
SQのラウンジにてこの原稿を書き始める。
13時、ボーディング。
眠い。
だけど、原稿が気になる。
この原稿を執筆開始。

途中、CAを捕まえて、わがままを言って見た。
「あのぉー、コックピット見学できない?」
記憶に新しい全日本空輸のハイジャック事件。
あれ以来、日本の航空会社は、
コックピットを乗客に対して封鎖した。
しかし、今、僕はSQに乗っている。
もしかしたらと思い立ったのである。
彼女の返事は意外だった。
「少しお待ちください。今確認しますから。」
数分後、彼女からOKの合図。
早速コックピットへ、ルンルン。

僕は小さい頃からパイロットになりたかった。
実家が千葉県船橋市に位置する事が原因かもしれない。
今も昔も、羽田離発着機の多くが実家の上空を飛行する。
天候が悪い時、手が届きそうなくらい低空を飛行する。
機材が何であるか、詳細に確認できるほどに。
B727やDC-8、どれほどプラモデルを作ったことか。

2000年の8月まで、1年と6ヶ月つきあったOY嬢を思い出す。
付き合い始めた後に知る事ではあったが、
彼女の父上が日本航空のキャプテンであり、
紳士禄データベースに載る程の人物であり、
彼女の母上が同社のキャビンアテンダントであった事が、
彼女と付き合っていた理由の「一つ」であったことを否定できない。

コックピットから眺める空は、キャビンのそれとはまったく違う。
顔を乗り出せば、左右270度、上下180度は視界がある。
雲海が美しい。
マルチインフォメーションディスプレイに表示されている高度は、
3万2000フィート。
キャプテンとコーパイ(副操縦士)の真中に位置する、
自動操縦装置に設定されている高度と寸分違わない。
高々この高度で、この美しさ。
宇宙飛行士が感じた世界をうらやましく思う。

いくつかの質問と、コーパイからの返事。
好奇心旺盛な僕は、永遠ここに居たいと思った。

「FUEL」と書いてあるスイッチについて質問した時のことだ。
「このスイッチを下げれば、エンジン止まるわけですか?」
我ながらヤボな質問をしたものだ。
この質問を機会にキャプテンの顔から笑顔が消えた。
そして、僕は、僕が去るべき時が来たことを悟る。
デジカメで写真を撮って、
「Thank you very much.. I promise that I'll choose Singapore Air on
my next flight too.」と言ってコックピットを後に。
その後、再びこの原稿。

ラップトップの「タイムゾーン」をPSTからJSTに変更。
12時00分。
昼寝は得意だ。
寝よう。

ここまで読んで頂いた読者に「ありがとう」。
来週はもっとコンパクトにまとめるようにいたします。

板倉雄一郎
LAXからNRTに向かう、SQ011機内にて。





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