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「懲りないくん」2001年11月4日号(40)

10月28日(日曜日)~10月30日(火曜日)

この期間、暇さえあればホテル日航東京の「スパ然」。
風邪気味という
自らのエネルギーの減退に対するイクスキューズのおかげで、
2Kgも太ってしまったから、ひたすら泳いでサウナを繰り返す。
きっと心臓に良くないのだろうな。

日本エアシステム客室乗務員の女性に、サウナで声をかけ、
電話番号を入手。
こんなことしていると、懲りない僕は復活する。

10月31日(水曜日)

朝から「スパ然」。
元の62Kgにやっとこさ戻る。
62Kgになると、体脂肪率は15%前後となることを、
経験的に知っているので、ほっとした。

13時、「板倉雄一郎事務所」のスタッフとミーティング。
11月は週2回の講演予定があるんだけど、
根が飽き性だから、そろそろ違う仕事もしたくなった。
そんなことをただひたすらわがままに訴える。

14時、日興ソロモンスミスバーニーというインベストメントバンクで、
M&Aファンドを担う人を紹介される。
どうやら、サラリーマン止めて、
自分でファンド運営を始めたいらしい。

彼らの仕事は、単位がでかい。
起業して始めるファンドは1000億が目標という。
あらら、当社のベンチャーキャピタルファンドと比べたら、
雲泥の差。
一方で、期待リターンも逆に雲泥の差。
で・・・僕は何を手伝えばいいの?

15時、僕が連載を辛うじて続けさせていただいている、
「月間ビジネススパe+B」の特集取材。
「BMWに乗ること」ってことで、
過去に4台のBMWを乗り継いだ僕に取材。
車関係の取材や原稿はとってもうれしい。
自動車雑誌のエッセイなんか書きたいけど、
たとえば「恋愛と自動車」みたいな奴。
しかし、どうやら、自動車ジャーナリストは、
僕のことを快く思わないらしい。
以前お食事をご一緒させていただいた
「NAVI」の小川編集長も、メール送れど返事は無し。
そういえば、僕の車に対する意見に対しても、
どこか「見透かしている」という表情と態度だった。
自動車評論がシロウトの前では、
なんでも見透かしていなければならないという心理はわかる。
しかし、実用工業製品としてのマーケットが飽和している現在、
自動車の絶対的な価値や評価は、もはや存在しない。
乗る人の感性、そして風景や生活などの環境によって、
相対的に評価されるものに変化した。
それがどうやら彼らには、理解できていないようだ。

今日担当の自動車ジャーナリストも、
僕の様々な意見に否定的。
「F355スパイダー」を最近手に入れたらしいが、
僕は同車を2年間2万Km乗った経験がある。
どんなに多くの車に乗った経験があっても、
残念ながら、一つ一つの車は僕のほうが深く知っている。
一度食事して、セックスした女性について感じることと、
数年間付き合って感じることって、別なのだ。
(って、僕が言っても説得力無かったりするし、
女性の場合は、長く付き合うことが
深く知ることと一致しないことが実は多い。)

僕は自動車雑誌を読まなくなった。
「メルセデスのニューモデルの評価」なんて記事は、
読む前からベタボメが予測できるし、
その表現も、どこかで聞いたような言葉だらけなのだ。
(メルセデスの良さなんて、僕にはちっともわからない。)
だから僕は、書店での立ち読みで、
ボディーサイズ、動力性能、スタイル、
そしてギミックの類といったデータだけを見る。
後は、適当な口実で試乗するのが手っ取り早い。
試乗しながら、自分の生活スタイルや運転技術、
それに身体から伝わる「僕なり」の感性で評価する。

多くの人は、自分の感性より、
彼らジャーナリストの意見に準拠しようとして、
自らの感性にも修正を加えようとする。
そして、自動車雑誌に書いてあるような事を言う奴が、
巷で評価されたりする。
車に限らず、政治も経済もファッションも、
あらゆることが、オピニオンリーダーを参考にするのではなく、
オピニオンリーダーと同じ感性になろうとする。
だから、一億玉砕文化になる。

「かっこよさ」がもし欲しければ、
メディアと同じ事を言うことじゃない。
自分の感性を信じて、かつ表現することだ。
そして、様々な価値観の元に、様々な違った意見が、
混沌と存在することが、平和の鍵だと思っている。
一つのイデオロギーに支配された社会が、
平和で長続きした例など、僕の知る限り歴史上無い。

話は変わるが、僕は「でかい車」が好きではない。
居住空間が商品価値の大きな要素であるセダンは別だが、
特にスポーツカーにとって「でかさ」は致命的な欠陥である。
最近のフェラーリ(特に360モデナ)は、
まさにこの致命的な欠陥をさらけ出している工業製品だ。
だから、例え金があっても欲しくない。
彼らが「うすらでかい車」を作るには、商業的なわけがある。
車を作る上で、一番コストがかかるのは、
部品においても、製造工程においても、設計においても、
「小さく作る」事なのだ。
同じ性能のスポーツカーを、
大きく、つまり「かすかす」に作れば、安く作れる。
運動性能というスポーツカーとしての
極めて重要な商品価値の一つを犠牲にして。
フェラーリは、新社長に代わって、量産メーカーの道を、
少なくともそれ以前と比べて選択している。
この商業的ディシジョンは大成功だ。
値段を下げなければ、どんなに良い商品でも、
数は狙えないから、コストを下げようとする。
その結果が「でかさ」として現れる。
フツーと違うスタイル。
フツーと違う動力性能。
そして、フツーと違う「フェラーリミュージック」。
これらのマーケティング要素をうまく抽出しながら、
スポーツカーとしての基本要素を犠牲にして、
現在のフェラーリは作られている。
それ以前を知らない人にとっては、
むしろこのマーケティング優先の戦略のほうが、
わかりやすいし、現実的ではある。

一方、僕が20世紀の市販スポーツカーとして、
もっとも優れていると、勝手に思う「MacLaren F1」は、
その部材や生産数が
1億2000万円という価格の理由だと思われがちだが、
多くのコストは、コンパクトさと軽さにつぎ込まれているのだ。
まじめに作りすぎて、いやその値段のせいか、
あまり話題に上らないが。

以上のことは、どちらが良い悪いの話ではない。
あくまで僕の好き嫌いの次元である。
しかし、以上の事は、どの自動車雑誌にも書かれていない。
雑誌である以上、その収入を広告に依存している。
広告主、つまり自動車メーカーはお客さんなのだ。
だから、「本当のこと」は、自動車評論家は書かない。
「書かない嘘」は認めるが、そのリスクヘッジが、
自動車雑誌販売不振の根本的な理由ではないだろうか?

以上の理由から、
自動車雑誌にジャーナリズムを期待してはいないが、
全く異なったソースからの収入を持つメディアなり個人が、
それらを表現することの需要が潜在的にあるように思うのだ。

って、事だが、
それでも僕は、車の前でにっこりポーズ!
さて、どんな記事になるんでしょう。
ちょっと気がかりなのが、僕の発言が文章として要約された時、
どれほど元の意味を保っているかだ。

18時、「コラボレーション21」という勉強会での講演のため、
よりによって永代通りの「三井住友銀行」のビル。
15名ほどの、異業種交流会のような集まりだが、
それぞれのメンバーは、それぞれの分野の一流どころ。
「なんとなくで考えるのは止めよう」というお題目は、
僕自身の提案。
つまりは、いつか書いたことだが、
多くの人は、物事の認識と判断を「なんとなく」という、
怠慢の結果によってしている。
そして、それは、その判断をしている本人にとって、
損だという話。

実は僕、「なんとなく」の判断がヒジョーニ多い張本人。
いや、殆どなんとなくで決めている。
しかし、決めてから、必ず論理的な理由を探す。
殆どの場合、論理的に考えた末、
結論を変えることは無いのだが、
それでも、その行為は自分をよく理解できる。
「なんとなく」で決められない時がごく稀に発生する。
「なんとなく」が後の理論と一致する結果を招くのは、
経験的や知識によって判断できる場合であって、
それ以外の場合、「なんとなく」で判断すると、
後で修正を迫れることになる。
そんな時に、感覚に任せず、論理的に考える。
論理的にしか結論を出せない時、
それまでの論理性の訓練が役に立つ。
自らの論理回路が先の習慣によって形成され、
回路の自立性によって、判断できる。

話がめんどくさくなったが、要するに僕は、
自分の感性に自信を持っている。
そして、その感性が追いつかない場面でも、
感性の延長線上の論理回路が役に立っている。
以上。

かっこよく(自分ではね)書いてみたが、
これは、実のところ僕が「馬鹿」である証明。
「賢い人は、歴史に学び、愚かな人は、経験に学ぶ」
だから、失敗の後で、僕は真実を得る。
失敗という経験が無ければ、真実を得られない。
が、経験的学習は、歴史考察による学習より、
学習の深さと定着度が良い。

11月1日(木曜日)

16時、顧問依頼のIT企業のミーティング。
この会社、ここ最近のIT関連企業の中で、すこぶる良い。
顧問でも何でも引き受けましょう。
ついでに、当社のファンドから出資もさせていただきたい。

17時、日経BP社柳瀬博一氏とミーティング。
8月から、わざわざ別荘カンズメまでして書き始めた原稿の
単行本化を延期して頂くお願い。
というのも、9割ほど書いたところで、
僕はある大切なことに気がついてしまった。
「エンディングが無い!」
「社長失格」では、ハイパーネットの倒産という
(図らずしも)明らかなエンディングが用意されていた。
しかし、その後の話となると、
特にこれといったエンディングが無い。
だからといって、事実に基づく話だから、
エンディングを読み物として、でっち上げるわけにもいかない。
なので、エンディングと見なされることが無い限り、出せない。
ごめんなさい。
でも、その代わりも用意してるから大丈夫。
春には出せるはず。

11月2日(金曜日)

久しぶりのデート。
お相手は、五本木在住のOL、KK嬢31歳。
そして、お食事は「第三春美」、これも久しぶり。

「戻り鰹」、「えぞ鮑」、「さより」も美味しかったけど、
なんと言っても「カワハギ」の刺身を、
カワハギの肝ダレと合わせて頂くのはサイコーです。
カワハギって、身にはなぁ~んにも味が無いのだが、
肝にはギッチリ風味が蓄えてあるのです。
一度お試しあれ。
「あぁ、よだれが出てきた」

1年ぶりのKK嬢は、以前より洗練された感じ。
なので、自宅にて映画鑑賞。

11月3日(金曜日)

これまた久々のお食事会のため、
起業家の弟子、渡部篤史君とその彼女、
そして、彼女の勤務する
日興ソロモンスミスバーニーのOLと共に(笑ってください)
白金は「イゾラ」。
久々の「マルゲリータ」はサイコーでした。

このところ続いていた体調不良による、
デート、合コン、お食事会の復帰第一弾として、
「第三春美」と「イゾラ」。
僕って、かわいい奴?(笑)。

でも、体調が悪い。
ということで、大嫌いな病院に来週は行きます。
(書いている時点では、もう行ったのだけど、
一応日記ですので、また来週)

板倉 雄一郎
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